インセプション : 映画評論・批評
2010年7月13日更新
2010年7月23日より丸の内ピカデリーほかにてロードショー
「夢の中の階層」を描くアイデアは面白いが、色気はない
T-araのコリアン・ガールズ6人、あるいはジェシカ・アルバがニカッと微笑んで、アタマの中に入ってくるような場面はあるかな、と少しは期待したが、クリストファー・ノーランはその種の色気、さらにいえば映画の色気皆無の監督であることを思い出した。「ダークナイト」は、故ヒース・レジャーのジョーカー演技がノーランのつまらない整合性を木っ端微塵に粉砕したからこその色気であった。
眉間に皺を寄せて、レオナルド・ディカプリオがまたしてもそこにいる。「シャッターアイランド」と寸分変わらない演技の質感。しかし、これは正しい(苦笑)。いってみれば、「シャッターアイランド」は、「インセプション」の夢の層のどこかに組み込まれていい二元性があったからだ。つまり同じ設計のマトリックスを使用しているからである。
夢と現実という二元世界をあれこれ楽しむ流儀は昔から人類に染みついている。仮想空間を作らないと誰も現実に耐えられないからだ。小説、演劇、アートなどはそもそも必要に応じて作り出された仮想空間そのもので、人はそこに<イン>し、別のリアルを模索するのである。ドラッグによる脳内神経の化学反応で現実を攪拌(かくはん)する方法も人類は覚え、フィリップ・K・ディック、ティモシー・リアリー、サイバーパンク、そして、あまりにヒットした「マトリックス」シリーズが生み出された。<夢の中の夢>まではシェークスピアも詠ったが、「インセプション」が<植え付け>任務を遂行するマトリックスは<夢の中の夢の中の夢>という深層である。もっとチープな作品で剥き出しのアイデアで観たかった気もするが、とりあえず面白い。
(滝本誠)