<映画のことば>
人生は楽しめ。
死んだら終わりだ。
人間、生きていてこそ価値があり、言い換えれば「生きていて、なんぼ。」という部分があることは誰しも否定ができないところでしょう。
じつは、近隣市で毎月月末に開催されている「デスカフェ」に通い始めて、そろそろ一年になります。
そしてそれは、死を身近に考えることで、改めて死生観について思いを致すことで、より良く生きることを考えるという趣旨の集まりなのですけれども。
「死生観」ということばを聞くと、決まって評論子が思い浮かべるのは、この作品(の原作本)になります。
それで、今回に改めて鑑賞することとしたものでした。
改めて、いま生を受けて生きていることの大切さ、有り難み、それゆえに、将来に悔恨を残さない生き方をすることの大切さに改めて思いを致すには、決して悪い作品ではないのだろうと、評論子は思います。
その意味では、佳作と評しておきたいところです。評論子的には。
(追記)
二番目に登場する「現在の精霊」の足元に、二人の子供が隠れていたというのは、本当に象徴的と思います。
現代社会の問題は、多かれ少なかれ、その名の示す二つの要素(問題)に起因していると思われるからです。
反対に言えば、その二つを取り除こうと努めることが、本当の意味での「(より良く)生きること」なのかも知れないとも思います。
(追記)
<映画のことば>
「メリー・クリスマス、スクルージおじさん。」
「よせ、くだらん。」
「くだらない?クリスマスですよ。」
「浮かれるな、貧乏なくせに。」
「不機嫌なんですね、金持ちなのに。」
貧乏を/すれど我が家に/風情あり/質の流れに/借金の山
どんなに質素な暮らしをしていても、「流れ」「山」という山水の風流が自分の家にもあることを忘れず、「足るを知る」という生活を心がけたいものです。評論子は(も)。
(追記)
本作の原作はチャールズ・ディケンズの小説と承知していますけれども。
小学校に上がるか、上がらないかの頃、就寝前に亡母が、子供たちに読み聞かせをしてくれていたことを覚えています。
当時は亡父が大学病院に初めて長期入院した当時と覚えています(亡母も一人で夫婦の寝室で休むのが寂しかったのか、子供たちも、呼ばれて一緒の部屋で休んでいたことを覚えています)。
評論子には、往時の亡母の読み聞かせの声も彷彿とするような一本にもなったことを、申し添えておきたいと思います。