抱擁のかけらのレビュー・感想・評価
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ペネロペ・クルスがかわいいだけ
高評価のレビューが多かったから観たけど、私には全く合いませんでした
登場人物全員に全然共感できず、ストーリーも面白く感じられず観るのがしんどくなったくらいです
その中でひたすらかわいいペネロペ・クルス
そのペネロペ・クルス演じるレナに執着する気持ち悪いジイさんとおじさん
そのジイさんの息子も気持ち悪い
やたら嫉妬が渦巻いてて疲れる
作品の中に出てくる映画も変なストーリーだったし、なんかもう全部が変
ペネロペ・クルスのかわいさだけが良かったです
目を見張る美しさのペネロペクルス
ペネロペクルス扮する秘書のレナリベロは、父親が癌ですでに転移しているのに病院から家に帰らされるので迎えに行った。金がいるのでレナは裏稼業に出る段取りをしていた。
どんな美女でも裏があると言う事かな。それにしてもペネロペクルスが界隈にいるとしたらそりゃあ躍起になるよね。やっぱりペネロペクルスの登場シーンは目を見張る美しさが光るね。ペネロペクルス観てるだけで満足だな。レナが消えてからは蛇足だと思うね。
『老いらくの恋』はドングリの背比べ。
開いた口が塞がらない。
汚い爺さん達と美しい若い女性との妄想的三角関係。
余計な場面が多くて、無駄な登場人物が多くて、出鱈目を通り越して、めちゃくちゃな話になっている。
カットの問題ではなく、CASTから考えるべきだ。女優が誰かも僕は知らないが、どこかで見た程度で、ただの美人だと思うし、無許可で横流しの写真だって、彼女のイメージをけがすような汚い写真ではない。
やはり、午前中に見た『ヒューマン・ボイス』は『男と女を入れ替えて見るべし』は正しかった。
『老いらくの恋』は妄想的ドングリの背比べ。どこかで『女性のしたたかさ』が見たかった。
けれども、ストーリーは、
別の女性に告白させて、話を手際良くまとめる。ギョッ!とする。ずっと、そう思って見ていたので、朝食を食べながらの呆気ない告白でも、感情移入は全く出来ない。
まぁ、僕なら
バカ息子二人はCASTから外して、余計なサイドストーリーを入れずに、それこそ、40分位にまとめて、『中年女性の悲哀』にまとめた方が、良かったと思うけどね。テーマはそこだろうから。この映画のテーマは醜い爺さん達の『妄想的老いらくの恋』ではないと見るべし。(爺さんが言うんだから間違い無い)
追記
皮質性失明は回復が望めない障害ではない。寧ろ一時的な場合が多いとネットワークでは申しています。
さて、この演出家の演出や脚本を、根本からリバースさせて見れば、奇才と言える才能なのかも知れない。しかし、演出家本人がそれに気付いていないような気がする。
まぁ、素人の僕がそんな事言わないほうが良いのか?
でも、鑑賞者としてそう思う。
愛する人が死ぬ時、自分が何をしていたか?
数え切れぬ抱擁とキスを繰り返し、愛の言葉を捧げた。でもそんなことより愛する人を一人で逝かせてしまった?一番大事な時に手を放してしまったのか?
それが判明した時、また人生が動き出す。
それが全て。百万の愛の営みも、死を前にしての行為には何も意味を為さない。だって永遠を誓ったのだから。だって愛の営みは初めて出会った人とだってできる。お金の為にだってできる。君を愛し抜いた、その証とは。
粉々にされてしまった愛の記録…。物ではない。どんなに壊されたって自分の思い出にその人は生きているはず。なのに…。手放してしまった…。だけど実は…。
いろいろな愛の形が描かれている。狂おしく求めあう形。黙って側に寄り添っている愛の形。支配しようとする愛の形。見事に絡み合い話が展開する。
映像は相変わらず美しい。
海辺の場面。部屋のインテリア。何気ないシーンでも見入ってしまう。鮮やかな色彩に目を奪われる。『ボルベール』のようなこれでもかという溢れんばかりに迫りくる極彩色と違って、海辺の白。館の艶のある重厚な色み。白黒映像。劇中映画ではポップな色調。という緩急の効いた色使い。飽きさせない。
そこに役者の演技。これでもかと華を散りばめるペネロぺさん。フラメンコのようでありながらハンサムウーマンかつ母性という幾重にも含蓄のある演技をさらっと魅せるブランカさん。彼女たちに比べたら男どものなんと薄っぺらなことよ。
と、手放しで絶賛したいのに、何故かのれない。
ペネロぺさんが「今までで最高の脚本」と絶賛したそうな。…どこが?
ハリウッド映画でのペネロペさんの扱いみれば、確かにこっちの方が良いですね。でも『ボルベール』と比べるとどうなのかな?こういう、ファムファタルを演じてみたかったのかしら?『それでも恋するバルセロナ』でもエキセントリックな女性を演じていらしたけれど、周りを振り回す態が違う…。
でも正直、劇中劇は今ひとつ。ラストにかけての重要な小道具なんだけど…。”女優としては今ひとつの美人女優が演ずる役”という面倒臭い演技だからなのか、ペネロぺさんの魅力が半減する。
へップバーンさん達風を装ってみました。ってそんな必要あるの?
コンビを組んで4作目の監督と女優のお遊び・悪ふざけ(挑戦)?ブランカさんだったらもっとカメレオンみたいに化けたかもしれないけど…。
すばらしい愛の物語のはずなんだけど、
一方でペネロぺさんのPV映画に見える。
映画って難しい。
ペネロペなら…
さすが情熱の国スペイン。愛欲、情欲、嫉妬渦巻く、そんなに人間て簡単に愛に生きる?いや、意外と人間は単純なのかもしれない。いやいや、ペネロペの美しさだからこそでしょ、日本人には縁遠いなどと、ペドロ・アルモドバルらしい作品だな。ジュディットもマテオのことが相当好きだったんだろうな。しかし、意外とマテオがレナの死後あっさりしてるのがちょっと腑に落ちなかった。ハリー・ケインて今ならサッカー選手を思ってしまった。
「映画は完成させなければならない」…辛くてでも美しいラブストーリー
①盲しいた監督が完成させなければならないのは、14年前に愛しあいそして先に死んでいった恋人を主演に撮った映画。今は眼が見えなくても全てのカットが頭に入っているのだろう。何とも悲しくて美しいラスト。②しかしアルモドバルば本当に脚本が上手い。先が読めない展開ながら最後はあるべきところに収まるこの感じだ。③ペネロペ・クルスの美しさを初めてわかったように思う。特に秘書の時のタイトなスーツ姿はたまりません。彼女が扮するヒロインは本当に愛するもの(父、マテオ)を守ろうとした時にいつも代償を払わされる。その彼女を永遠に生かせる為に、そして彼女とマテオとになされた復讐を意味なきものにするために映画は完成されなければならないのだ。④アルモドバルの映画でいつも楽しみなのは今回はどの映画が出てくるだろうということ。マテオは「死刑台のエレベーター」のジャンヌ・モローの声を聞きたいと言う。一人の男を愛し抜いた女を演じたジャンヌ・モローの声を…
何となくヒッチコックを模倣している様な…
元映画監督で、現脚本家の主人公が語る。
「私の名前はハリー・ケイン」
…「おいおい!オーソン・ウェルズかい」
いきなりてらいも無く語られたらお手上げで有る。
しかもトニーノ・ヴェッラの名前は出るわ。ジャンヌ・モローの“声が聞きたい”と言って『死刑台のエレベーター』の話題が出たりと、映画ファンがニヤリとする場面が多い。
だが、単なるコアな映画ファン向けの作品でも無い。知っていればより楽しめると言ったところ。
「ジャンヌ・モローの声が聞きたい」確かに彼がそう言うには訳が有る。
本名を捨てて、ハリー・ケインと名乗るにも訳が有った。
彼には忘れ去れ無い記憶が有った。
この映画を観て他人がどう感じたのか?普段は他人の意見などそれ程気にしないのだが、個人的に「これヒッチコック的な雰囲気が漂ってはいないか…」と。他の人達はどう感じたのだろう?…と、観終わった直後に直ぐ思ってしまった。
ヒッチコックが初めてハリウッドに招かれて撮影した作品である『レベッカ』のプロデューサーが、かの大プロデューサー:デヴィッド・O・セルズニックだった。
セルズニックは、自分が気に入った女優を発掘すると猛烈に入れ込み、大金を投じて作品を作り上げていった。特にジェニファー・ジョーンズには相当入れ込み、大女優にまで育て上げ、やがて2人は結婚までしている。
元々女優志願だった、ペネロペ・クルス演じるレナとゆう女には、ホセ・ルイス・ゴメス演じるエルネストとゆう大金持ちの愛人が居た。
エルネストは彼女の為に有る映画のプロデューサーになる。監督をするのが、主人公のルイス・オマール演じるマテオ・ブランコ=ハリー・ケイン。
映画の途中からレナは奥様と呼ばれているから、正妻にまで収まったのだろう。それでも彼女の上昇志向は止まるところを知らない。その事が後々響いて来る。
嫉妬深いエルネスト。彼の取る行動と、レナとマテオが隠れる様に話し合う姿。この一連の動きが、ヒッチコックの名作『汚名』を想起させずには於けない。
しかも、ホセ・ルイス・ゴメス自体が『汚名』のクロード・レインズとどうしてもダブって見えてしまう。どことなくクロード・レインズに似ている彼を敢えてキャスティングしている風にも受け取れる。『汚名』ではイングリッド・バーグマンを愛し過ぎた故にクロード・レインズは最後に破滅を招く。
だからこそレナとマテオの密かな話し合いが、イングリッド・バーグマンとケイリー・グラントの姿とだぶる。
因みにヒッチコック自身も、バーグマンに入れ込んでいた事実をフランソワ・トリュフォーのインタビュー『ヒッチコック映画術』の中では隠そうとはしていない。
いないどころか、ロベルト・ロッセリーニの基へ走った大スキャンダルに対しては、「馬鹿げた事だ…」と語っている。
映画本編の中で、ロベルト・ロッセリーニの作品『イタリア旅行』が映る。遺跡発掘現場での男女の死体を発見するバーグマンの姿。この場面を抱き合いながら観ているレナとマテオ。
偶然にしては出来すぎている。尤もこちらがそう思い込んで観ているから、後付けでどんなにも理由付けられるのかも知れないのだけれども。
映画は更なるお楽しみとして、映画中映画の中でペネロペ・クルスにオードリ・ヘップバーンに似せた格好を2〜3度させたり、ブロンドのウィッグを着けさせては、マリリン・モンローの格好をさせたりもする。
思えば映画の冒頭で、主人公はアーサー・ミラーの息子のエピソードを映画化する脚本を考えていた。アーサー・ミラーは、言わずと知れたマリリン・モンローと一時期結婚をしていた間柄。
その息子のエピソード自体は、監督のペドロ・アルモドバル自身がゲイで有る事を隠さずに居る事から。エルネストジュニアを通じて、自らのアィデンティティを示す為の対象として、脚本上に出て来たエピソードの様に思える。
このエルネストジュニアの存在自体が、この映画の中に於いては唯一無理矢理感を感じる存在でした。
そう言えば、デビュー当時のオードリ・ヘップバーンを使ってお姫様の映画を撮ろうとしたのもヒッチコックだったらしい。『ヒッチコック映画術』の中で、『ローマの休日』は俺のアイデアだ!…的な発言をヒッチコックは行っているが…。尤もヒッチコックの発言は、どこまでが本気で。どこからが冗談なのか本人のみが知る…なのですけどね。
(2010年2月20日新宿ピカデリー/スクリーン10)
タイトル•副題…全てがアンマッチな不思議な物語
抱擁のかけら…究極の愛の物語…もうこの時点で何かが違いすぎる笑
物語は盲目のエロオヤジが引っ掛けた若い女性とセックスをすることから始まり、エルネストという人間の死のニュースにエロオヤジが明らかに動揺しつつ、そこにそのエロオヤジの身辺の世話をしているらしき親しい女性とその息子が登場し、過去へ…。
これらの関係は直ぐにはわからず、徐々に明らかになり…エロオヤジ=マテオと大企業の社長=エルネスト、その愛人のレナとマテオの仕事仲間ジュディッドが参加した世にも悲しい物語へ。
愛人をマテオに取られそうになっているエルネストの偏狭っぷりはその悲しさや必死さ、変態度合いがまったく伝わらないほどにすごい!!愛人の映画撮影の場に息子を四六時中カメラを回させ監視、それを口読をつかって彼女がマテオと何を話しているかも再現させる徹底っぷり…。レナがエルネストの元を離れることを宣言すると、レナを突き落としたり暴力をふるったりと、偏愛ってこういうことをいうのでしょうね。
レナもまたすごい!!エルネストと日々和やかに暮らしていると思いきや、マテオと出会って惹かれあってからというもの…っていっても、しばらくどっちもうまくやってたし…
マテオはもうレナにぞっこんで、エルネストに日々怯えるレナをなんとか救い出そうと…っていうか、レナを好きだったんですよね。んで、四六時中一緒にいたかったのかと…。
そんなマテオとレナに復讐の手はさらに強まり、二人が作り上げた映画はエルネストの手で最悪の映画に編集され公開されてしまう。
その事実を確かめるため、逃げていた場所からマドリードに向かう途中、マテオとレナは事故にあい、レナは命を、マテオは光を失う。
映画監督として、好きな女の映画は台無しにされるは、好きな女自体は亡くなるは映像に携わるものの命といっていい光を失うは、レナとの愛でマテオが得たものは計り知れない絶望…と思いきや、そんな暗いテンションにならないのもまたアンマッチな感じ…
そして、ジュディッドはマリオを愛していて、その嫉妬でエルネストに協力をしてしまった過去を語り、そのせいでレナが亡くなり、マテオが盲目になったという十字架を負う。
なんか、愛ってことで言えばジュディッドがマテオをずっと思い続けて、心配し続けていまも一緒に仕事をしている…そして、マテオとの子供を一人で育ててるってことが1番関心はしたものの、それぞれの愛を爆発させて事件になっているものの、本当に愛の…って語るのがおかしいくらい、まったくもってそれが伝わらないのは、淡々と進みながら、時間をいったりきたりする演出のせいでしょうか?
といっても、駄作ということではなく、2時間が長くかんじられないくらいよかったし、なにせペネロペがめっちゃ素敵。ゴールドのアクセジャラジャラの衣装も、海岸でマテオに抱きつく白地に花柄のワンピースも、劇中映画にでてくる茶色のサックドレスもめっちゃ可愛かったし、とにかく、惜しげなく脱ぐ。もうナイスバディすぎて、いやらしくもない…。カツラを変えればまたいろんなペネロペが楽しめ、これだけでまずは楽しめました。
そして、インテリアがいちいちオシャレ!マテオの家の本棚も、エルネストの家の信号機みたいな映写機?も、マテオの家に飾ってあるスペイン地図ですらオシャレ!
最後に、全てを失った映画監督が、愛する人を撮った最悪の映画を再編集して蘇らせようというところに至る話しがとてもよかったなぁ…と。書いていてきづいたけど、究極の愛ってこれのことか?
という、本当にいろんなことがアンマッチでしたが、結構楽しめました。ただし、パッケージと題名と副題には騙されないでください笑
情熱的な恋(濃い)
特に外国の俳優さんは記憶できないんですが、「恋するバルセロナ」に続いて、
ペネロペ・クルス 美しい
いきなりナンパしている盲目のエロ爺!?と思っていると、
この爺がどんなやつかが徐々に明かされていくのがこの映画の主題でした。
14年前の映画製作現場と現在とを巧みに行き来して物語が進んでいきます。
ものすごく複雑ということはありませんが
昨日、劇場で観た「マザーウォーター」の何もないストーリーとは対極(笑)
「恋するバルセロナ」とこれ、
スペイン映画2つとも、なんとも、おじさんには理解できない「情熱的な恋(濃い)」
が必須アイテムなのでしょうか???
アンバランスさのバランスが天才的
アルモドバルがミューズ・ペネロペを主演に描く、純度高めのラブストーリー。ペネロペはこれまでに、「ライブ・フレッシュ」「オール・アバウト・マイ・マザー」「ボルベール/帰郷」と、これで4度目のアルモドバル作品への出演となる。まるで2人は、ティム・バートン×ジョニデ、ウッディ・アレン×スカヨハ、イーストウッド×フリーマンのように相思相愛の様子。
ひとがひとを愛するという、平凡で掴みどころがなくてありきたりのことを、アルモドバルが描くと何故こんなにも非凡になるのだろう。彼のその着眼点と表現力が素晴らしい。ただ時間をなぞり、ひとの歴史をなぞり、それを語っているだけなのだけなのに面白い。調律されていない楽器で1曲見事に奏でてしまうような、アンバランスさのバランスの取り方が天才的なのだ。
そして、スペインの役者がかなりいい。さすが情熱の国。ペネロペは相変わらず美しいけど(彼女は歳を増すごとに美しくなる)、美女ブサイクビッチたらしなどが混ざり合って美しいカラフルな色彩を放つのだ。そのマーブルが何よりいちばん美しい。
絵的にはとても美しい
まず、「なぜこのタイトル?」(笑)
そして、ジャンルは何?(笑)
まさにプロモーションの妙(笑)
チラシのような静止画やシーンの切り抜きの予告編とは空気感が全く違う作品だと思ったよ。
チラシで大きく扱われているソファーで寄り添うシーンはあくまでも「幸せな時間のひとコマ」で、特に重要では無かったし、実際のストーリーや各人間関係の設定は相当に悲惨なのにもかかわらず、むしろ「コメディ?」と思わんばかりの悲壮感の無さ(笑)
これはマテオの生活を心配するジュディットにマテオ自身が放った「起きることはもう全て起きてしまったよ」といったニュアンスのセリフの通りの「達観」?「あきらめ」?によるものだろう。
光を失った後の苦悩や様々な障害を乗り越える辛苦のシーンが一切登場しないからだろうね。
マテオの悲運を意図的にことさら強調しないことで物語を軽いタッチに仕上げたんじゃないかな?
ペネロペの美しさはさすが。豊満なバストも含めて文句のつけようの無いビジュアルだったね。
なので、チラシの通り、絵的にはとても美しい映像だったよ。
色使いの妙。コマを切り抜いてポスターにするのに最適な映像だと思ったな。
でも、物語としてはあくまでもB級(笑)
感動よりも笑い(笑)
いやむしろ、ジュディットの純愛物語かな?(笑)
キャストも最低限に少なくて、小ぢんまりとした作品だったな。
ペドロとペネロペ。
P・アルモドバルとP・クルスの4度目のコラボ作品。
意気が合っているというか、お互いを信頼し合って
相手のために遣りました!!感が随所に感じられる作り。
私的にこのコンビ作品は好きなので今回もすぐに観た。
うーん、濃い!いつも通りの愛と憎悪の入り乱れ感、
赤を基調とした色遣い、物語の二重性、どうしてこの人は
(自身がゲイとしても)情念の絡みをここまで描けるのか。
過去と現在の行ったり来たり、さらにもう一つ劇中映画を
仕込んだ作りはかなり複雑で、冒頭は意味が分からない。
しばらく経って、やっと写真のペネロペが登場する。
そして物語は主人公のマテオ(ハリー)が封印した過去へ
遡る…。ある意味でネタバレ厳禁、それを理解して初めて
現在の彼が見えてくる構成なので、観客は目が離せない。
哀しい話であり、美しい映像でもあるのだが、
まぁ~それよりも^^;愛欲と肉欲と憎悪と復讐に彩られた
火サスもビックリ♪な内容にとてもアルモドバルを感じる。
ラスト近くでこのタイトルの(かけら)の意味が、観る者の
捉え方如何で様々な形に見えてくるところなどはさすが。
本来の話は単なる三角関係?にとどまるところなのだが、
他者の視角、他者の感情を取り入れた方向性を定めない
描き方が、自分だったらどうするかを考える知恵をくれる。
まぁ、こんな立場でこんな恋はしたくないし(怖すぎるよ)
はじめから避けたいところ^^;なのだけれど…。
夢を叶えようとする強い女性(ある意味ものすごく身勝手)に
扮したペネロペは、まさに彼女そのもの!(爆)
貪欲感を余すところなく発揮し、もちろんヌードもいとわない。
狙い通りに演じてくれる俳優は監督には申し分のない存在。
彼女には一生そんな女優でいて欲しいと思う^^;
その彼女に色気を感じるかどうかはヒトそれぞれだろうが、
ここに出てくるエロジジイ達は(爆)みーんなやられてしまう。
そこまでやるか!?というストーカーまがいの行為も凄い^^;
聞き手役で彼を信頼する助手の青年(のちに事実判明)が、
ホッとできる唯一の存在感を醸しているのがとても爽やか。
(実生活がこんなに濃かったら、体毛まで濃くなりそうです)
劇中劇も面白い!
ある実業家の死を知り、明らかに動揺する盲目の脚本家。
よくあるミステリーの導入部と思いましたが・・・
彼の妻みたいな女性が仕事のパートナーで
彼の世話をしてくれる青年が、その女性の息子だったり
すこしづつ彼の人間関係が分かってくるのですが、
亡くなった実業家の息子が「姿を変えて!」訪ねてきたことから
彼が触れるのを拒んでいた14年前の出来事がよみがえります。
2008年の現在と1994年の時間軸をいったりきたりしながら
ストーリーは進みます。
14年前(まだ失明しておらず)映像作家だったマテオは
初のコメディ「謎の鞄と女たち」を撮っていたのだけれど
その主役の女性レナ(これがペネロペ!!)と恋に落ちるのですが、
彼女は実業家エルネストの愛人だったのです・・・・
ということがわかるのはずいぶん話が進んでからで、
ほんとに時間をかけて、少しずつ状況がつかめてくるのです。
美人女優と監督が恋愛関係で、しかも彼女はスポンサーの女・・・
なんて、いかにも実際もありそうですね。
ペネロペは、今回は女優役なので、いろんなコスプレをやってくれて、
どれも最高に美しい!
清楚な秘書も、アクセサリージャラジャラのドレスも、
キュートなポニーテールも、モンローみたいなウィッグもどれも素敵!
服を着てると華奢なのに、脱ぐと豊満、というのは
どういう体の仕組みになってるのでしょう??
「魔性の女」は関わった男性を一律、不幸にします。
セックス1回あたりいくらにつくんだぁ~
と思うくらいコストパフォーマンス低いです。
なのに、彼女に夢中になった男たちは我をわすれちゃうんだよねぇ~
一方、妻かと思うくらいマテオ(ハリー)を熟知している
有能な制作マネージャーのジュディット。
ビジュアルでは比べようもないけれど、このふたりの対比が私には面白かったです。
登場する二人の青年
1人はエルネストJr。
無節操で圧力的な権力者の父が存命中はホモで虚弱な息子だったのだけれど、
その財産を受け継ぎ、自ら監督となって父の記憶に復讐しようとしています。
もうひとりの青年はジュディットの息子ディエゴ。
彼も喘息もちの虚弱児だったのだけれど、
愛されて成長した明るい青年です。
そして、最大の強烈キャラはなんといってもエルネスト。
紳士的で太っ腹なパトロンと思いきや、
レナとマテオの仲を疑うようになってからは
息子に四六時中ビデオで監視させ、
聞き取れない音声は読唇術で解明する徹底ぶり。
決定的なひとことは、ビデオ画面に向かって
レナが「セルフアフレコ」するんですよ!
この演出はゾクゾクっとしました。
この作品は、あちこち、制作側の視点で書かれている部分があって、
それが逆に私には興味深かったです。
芸術を理解しないスポンサーの要求・・
プレミア上映のいやがらせ・・
NGカットをつないで台無しにした作品を
素材を編集しなおして良い作品に蘇らせる・・
「映像作家が光を失う」という残酷さ・・
そして、一番面白いと思ったのが
この作品のなかで進行する「劇中劇」
レナが主演の「謎の鞄と女たち」は、かなり面白そうです。
それ以外にも、現在パートのハリーは脚本家なので
いつもネタをさがしているのですが、
彼が書こうとしていた
「アーサー・ミラーとダウン症の息子との再会」
という題材も気になります。
映画製作に興味を持っているディエゴが書こうとしている
「献血センターのバンパイヤもの」
も映画にしてほしいなあ~
ただ完成したものを観ているだけの私なんかには気付かなくても
映画製作に携わったことのある人だったら
きっと「見どころ」満載なのじゃないかと思いました。
ところで、どの映画紹介にも「究極の愛の物語」と書いてあるのですが、
私にはペネロペをめぐる二人の男に関しては
「愛」なんて思いたくなかったな。
ただのスケベ親父の狂った性欲としか思えませんでしたよ。
あ、それが「究極の愛」なんでしょうかね??
あえて集約するなら、
「古い自分を葬る再生の物語」として
すごく作り込んだ作品だと思いました。
静かに情熱的で官能的。でも純粋なラブストーリー。
ペドロ・アルモドバル監督、ペネロペ・クルス主演の濃厚なラブストーリー。
この監督の作品、いつも気になりながら
なぜか敬遠していて、
ちゃんと見たのはたぶんはじめて。
「それでも恋するバルセロナ」で
改めてペネロペちゃんのオーラや色気の底のなさを実感した身としては、
(あんなものではすまない、という意味です)
ぜひ見ておきたかった作品でした。
いやはや。
「人を愛する」ということが
いかに人を狂わせ、
そして人の身を救うのか。
濃厚だけど正直で、
大人だけど純粋なラブストーリー。
すばらしいです。
そしてペネロペ演じるレナの小悪魔っぷりといったら。
いや、もう「小悪魔」なんて言葉じゃ片付きませんね。
世の女性たちが、
小細工して男の人の気持ちを惹きつけるなんてかわいいもん。
彼女みたいに持って生れて男から執拗…と言えるまでに愛される女性もいるのでしょう。。。
魅力的な人はどうあっても魅力的なのだ。
もちろん、その陰にはいろいろあってこそ、
なんですけど。
色彩も鮮やかできれい、
ちょっとした美術品や演出もすごく上手に使われていて、
ぬかりなかったです。
(アルモドバルの特徴なのかな?)
主人公、マテオや
その友人であるジュディットが必要以上にドラマチックでないのがよかった。
淡々としていて、
「映画らしい」映画だと思いました。
人生とはまったくもって不合理なもの。
2009年スペイン映画。128分。今年10本目の作品。「嫌いな」映画監督の名前といえば真っ先にあげるのはデンマークのラース・フォン・トリアー。そして2番目に躊躇なくあげるのが本作の監督、ペドロ・アルモドバル。
内容は;
1、かつて映画監督だったが失明し現在は脚本家で生計を立てている男のもとに一人の若者が訪れる。
2、若者が去った後に男は助手に頼んで14年前の写真が入った引き出しを見てくれと頼む。
3、そこには若者が写った写真と、そしてもう一枚、美しい女性の写真があった。
日常生活に当たり前のようにある人間の悪意とほんの出来心が、アルモドバルの他の作品と同様、本作のドラマを力強く動かしていきます。本作での悪意とは嫉妬や独占欲。そして出来心もまた嫉妬であり、罪悪感から生じるものです。
人が生きていくうえで自然と蓄積されていくそれらの心の悪は、たぶん私たちの大半は知ってて知らないふりをしながら日々を生きている。アルモドバル監督の作品と向き合うというのは、その悪との対峙をするための契約をお金を払ってみることだと思います。
そしてそんな嫌な思いをする作品なのに、トリアー監督同様、このアルモドバルの作品もお金を払って観る価値があります。
若者のころは心も体も成長し世界が無限のように感じられる。しかし、青年期が過ぎると人生の時の流れは次第に鈍くなり、そしていずれ止まってしまう時が来ることをひしひしと無意識で感じるようになる。
アルモドバル監督の描く「邪悪」なものとは、そのような大人たちが抱える人生の倦怠感を憂さ晴らしして、ちょっとでも若返る夢を見たいと願うことから生まれる。そして、その邪悪さが人の理性が油断した瞬間に出来心としてそそのかしドラマを動かしていきます。
本作を見にきたお客さんの7~8割は女性。そして、どうしてここまで悪意のある人間たちを描いているのに女性は引きつけられるのか、という所にもこの監督さんの作品を「それでも」と観る価値があるのかが分かりました。
ちなみにエンディングは他のレビューアーの方がおっしゃっているように美しいです。この美しさで人生はなにも邪悪なものだけではないと思い、救われました。
抱擁のかけら
「BROKEN EMBRACE」(ブロークン エンブレイス)を観た。
邦題 未定。題名をつけるとしたら、意訳して「引き裂かれた抱擁」とか、「壊れた抱擁」だろうか。と 思っていたら、「ニュースウィーク」で、日本では2月に「抱擁のかけら」という題で、公開される、と書いてあった。 スペインを代表する ペドロ アルモドール監督制作によるぺネロペ クルーズ主演の新作。2時間30分。
日本でも ペドロ アルモドールは人気のある監督のようだ。作品として「マタドール 炎のレクイエム」、「トーク トゥーハー」、「オール アバウト マイ マザー」、「神経衰弱ぎりぎりの女たち」、「ボルベール 帰郷」などがある。
外国映画の中で、スペイン映画は 不遇な扱いを受けてきた。
日本人にとって ハリウッドを除いた外国映画といえば、早くは ロシア映画だが、外国映画といえば何と言ってもフランス映画とイタリア映画が主流だろう。
フランス映画では、ルイ マル、アラン レネ、フランソワ トリュフォー、ジャン リュック ゴダール、ルノワールなど、イタリア映画では、ミケランジェロ アントニオーニ、ビットリオ デ シーカ、パゾリーニ、フェデリコ フェリーニなど ヌーベルバーグ、新しい波の若々しい映画の作り手たちの名が すらすらと出てくる。1960年、70年代の輝かしい 映画の新時代に、スペイン映画の名が ひとつも出てこない。長期にわたるフランコ軍事独裁政権で、道が閉ざされていた不幸な歴史のためだ。
ぺドロ アルモドールは、フランコが死んだ1975年あたりから 映画に関わり合いをもち、1980年代になってから やっと本格的に映画作りを始める。スペイン議会が新憲法を承認して スペインに民主主義体制が始まったのが 1978年のことだ。今まで 押さえられていた圧倒的な政治の力を 撥ね退けるように この監督は 元気でシニカルで、エネジェテイックで、スペインっぽい作品を作ってきた。
「マタドール 炎のレクイエム」でも「トーク トゥー ハー」でも、闘牛士が出てくる。闘牛士が 裸からあの 体にぴったり張り付いたような 金の刺繍のついた闘牛士の服を一つ一つ身につけていく。宝石が沢山ついた ハレの舞台の 「トロ ブラボ」の 何と贅沢で美しい、高揚感をそそる姿だろう。自分の数百倍の体重をもった雄牛に剣を突き立てる 闘牛士の美を この監督は 映画のシーンに入れることを忘れない。
アントニオ バンデラを世界的な俳優にしたのも、ぺネロペ クルーズを有名女優にしたのも この監督だ。現在60歳。彼にとって、クルーズは自慢の娘のようなものだろう。
キャスト
レナ(億万長者の愛人):ぺネロペ クルーズ
マテオ(映画監督) :ルイス ホーマー
億万長者ビジネスマン :ホセ ルイス ゴメス
マテオの妻 :ブランカ ポルテイロ
マテオの息子 :タマル ノバス
ストーリー
ビジネスマンで億万長者の経営する会社で 働いているレナ(ぺネロペ クルーズ)は、社長が自分に関心をもっていることに気付いていた。レナの父親が癌を患い たちまち一家の蓄えが底をついたとき、両親の嘆く姿を見て耐えられなくなったレナは、社長に助けを求める。その代償が何であるのかを知った上でのことだ。
社長は 長いこと欲しかったものが 思い通りに自分から転がり込んできたので嬉しくて仕方がない。娘にように若く美しいレナを 可愛がり 着飾らせて 贅沢をさせて、ひとり悦に入っている。
しかし、レナは子供のときから女優になる 夢をもっていた。贅沢三昧をさせてもらっても 自由のないミストレスの生活に、希望が見出せなくなった、ある日、レナは映画のオーデイションを受けて、役者として仕事をもらってくる。シナリオライターで、映画監督マテオ(ルイス ホーマー)の目に留まったのだ。そして、撮影が始まる。
監督と主演女優は 当然の成り行きのように、激しく恋におちる。嫉妬深い社長は 息子にビデオカメラを持たせて レナとマテオの仕事の一部始終を撮影させる。映画制作をしているフィルムの中で 演技を演じるレナと、その様子を 撮影して 撮影の合間に愛し合うレナとマテオを撮影するフィルムが交差する。
撮影が長引くに従って、社長の嫉妬は激しく燃え上がり ついに家を出ようとするレナを階段から突き落として重傷を負わせる。それでも従おうとしないレナに さらなる暴力がふるわれる。たまりかねて、マテオは映画撮影を断念してレナを連れて姿を消す。
二人の逃避行が始まる。しかし、マドリッドから遥か離れた島で、平和なときを過ごしていたレナとマテオは、 ある日衝撃を受ける。完成できなかったマテオの映画が、社長の手によって 勝手に筋書きが変えられフィルム編集されて発表されたのだった。マテオが撮影所に連絡しても 何の返事もない。仕方なく、レナとマテオは マドリッドに車で向かう。
しかし、それを追う車があった。
大きな衝突事故が起き、レナは即死、マテオは視力を失う。それは、14年前の出来事だ。
生き残ったマテオには今や、妻があり息子がいる。問われるまま 息子に14年前のことを話してやる。そして かつて作りかけだった映画をもう一度 息子の力を借りながら 編集しなおして作品を仕上げる決意をする。というストーリー。
ぺネロペ クルーズが美しい。時として、可憐な娘、時として何事も譲らない自分というものを持った 頑固で成熟した女を演じている。リンとした姿で歩いたり 立ったり座ったり話をしたりするクルーズの姿が美しい。抜群のスタイル、やわらかい体の線。スペイン女のしっかり足を大地につけた重みがある。彼女にはハリウッドの女達と一味ちがう知性を伴った輝きがある。「 それでも恋するバルセロナ」で、アカデミー助演女優賞を獲った。
先のない恋人達の逃避行が せつなく美しい。また、家を出て行くレナを、自分のものに独占しておけないなら いっそ殺してしまおうと、激情にかられた男の心理を巧みに クルーズの細い危うげなハイヒールの大写しで表現するところなど、思わず息をのむ。筋よりも 美しい映像を切り取って見せてくれるところにこの監督の良さがある。
この人の作品では この「抱擁のかけら」よりも、「オールアバウト マイ マザー」と、「ボルベール 帰郷」が良かった。
「帰郷」のなかで、パーテイーの最中 にぎやかにやっていたバンドの連中に「ちょっと、歌ってみてよ。」と言う感じで頼まれて、ぺネロペ クルーズが歌うシーンがある。喧騒をきわめていた場がちょっと静かになって、クルーズがバーの椅子にチョコンと腰掛けて、スイッと 長い首と美しい背をのばして、ギターを抱えたかと思うと すごく土の香りのするこぶしの効いた民謡を歌った。哀調のある なんか むせび泣くみたいな歌で 心に沁みた。このシーンだけのために この映画を観る価値がある と思う。
映画を愛する気持ちが伝わる
久しぶりにムスコが元気だったよと喜ぶ老年の落語家よろしく、万国、元気なことはいいことで、この作品も、端的に言ってしまえば、エロオヤジふたりに挟まれたペネロペの狂おしさを描いただけ。
それでも魅入ってしまうのは、現在、まずペネロペ以外考えられない役どころ。そして、映画が好きでないとできない構成だ。
ひとつは、いまドラクエ6をやっているからではないのだろうが、過去と現在が並行して描かれているというより、次元の違う上と下の二重構造に見えて、これが斬新。映画のなかに映画を存在させ、さらにその撮影風景を追い回すハンディ・カムの映像を被らせたからだろう。
また、ずたずたにされた劇中映画を、一本の作品として蘇らせる作業中のマテオの台詞、「映画は完成させることに意義がある」は、愛しいレナが生きた証を残すとともに、映画人としての職人気質を感じる。
そして、その完成した作品を見せない。この先どうなるんだろうという、いいところで切ってしまう。きっと邦画だったら欲張って結末を見せちゃうんだろうな。見せてしまったらマテオの台詞がボケてしまう。
読心術を使う女性の受け答えがロボット的で可笑しかった。
p.s. ペネロペ・・・魅力はあるんだけど、いつまでこんな役をやっているんだろう。なんか型にはまってしまってもったいない。同じ痴情のもつれなら、「それでも恋するバルセロナ」の方がよかったなってなっちゃう。
この美しさは反則。本当に美しすぎ
映画の色は“赤”だな
劇中で製作されていた
マテオの映画の続きが
メチャメチャ気になるんですけど(苦笑)
◇ ◇
劇場配布チラシから既に
赤色だらけなのですが、
映画の衣装含め、登場人物の
熱き情熱を含め、真っ赤って感じでした。
SEXシーンなんて
ペネロペ・クルス、
美しさは封印して、
獣のようですからね。
変な表現ですが、迫力満点でした。
ペネロペ・クルスの相手役、映画監督なんです。
だから劇中でも映画を作ります。その作品の編集されたものが
終盤に映されるのですが「えっ?」というような表情を残して
エンドロールが流れ始めてしまうんです。監督の遊び心なのでしょうが、
今作だけでなく、そちらの作品の結末も気になります。是非、HPで公開を!!
◇ ◇
愛
男の嫉妬
女の嫉妬
人間の再生
話の軸は、こんな感じです。
現在と過去を行き来しながら
作品は進められていきますが、難解ではありません。
ただ、それは見た目の話であって
もし、登場人物たちの腹の中を映し出せたとしたら
グチャグチャのドロドロで、難解極まりなかったでしょう。
見えるところだけでなく
見えないところを如何に
見るか、見つけだしていくか
そこに、なにを感じとるのか
月並みな表現ですが
“これぞ、大人の映画”の呼称がピッタリでしょう。
☆彡 ☆彡
お目当てのペネロペ・クルス。
作中セリフまま、美しすぎ(驚)
オードリー・ヘップバーンを意識した
ファンには堪らないサービスカットも用意されています。
サスペンスも盛り込まれた
重厚な人間ドラマを、ぜひ御堪能下さい(笑顔)
切なく、寂しく、でもすっきり
試写会では山本モナ嬢登場。
トークショー開始1分で寝てしまった。
ペネロペ・クルスのスタイルが良い、見たいな話でつまらなかったから。
映画の中ではちょっとぞっとする状況もあるけれども、
愛を追求するスタイルが盛り沢山。
親子、愛人、同姓、友人、献身、無償の愛など・・。
憎しみの愛?のようなものまで。
これぞ究極の愛のあり方だろうなあ?
私には理解できないけど。
愛憎を巡る殺人は日本でも多いけれど、
こういう事も発端だろうと思った。
全編に渡ってイメージカラーの真っ赤な絵、服、花が登場し、
イヤでも愛を感じさせる。
平和な終わり方だったけど、
見終わってからもそれぞれの愛情について考えさせられる良い映画だった。
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