劇場公開日 2010年2月6日

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抱擁のかけら : 映画評論・批評

2010年2月2日更新

2010年2月6日より新宿ピカデリー、TOHOシネマズ六本木ヒルズほかにてロードショー

至るところに二重性が。嘘とキャメラの危うい関係

ここにもダブル、あそこにもダブル。「抱擁のかけら」には、至るところに二重性が仕掛けられている。登場人物が名前や職業をふたつ持っているだけではない。映画のなかにはもう1本の映画が仕込まれ、ひとつの人間関係はかならず別の関係を内包している。

なのに、滑り出しはシンプルだ。嫉妬と復讐に彩られたフィルム・ノワール。思わずそんな錯覚を口走ってしまいそうになるが、錯覚はすぐに突き崩される。代わって浮上するのは、謎めいた構造の語りだ。中年男と若い男が出会い、若い女と初老の男が話に招き寄せられる。若い男は初老の男の息子だ。若い女は初老の男の愛人で、中年男の恋人だった。

過去形で書いたのは、実はこの複雑な関係が14年前に結ばれていたからだ。現在の中年男はハリー・ケイン(ルイス・オマール)と名乗る脚本家だ(「第三の男」と「市民ケーン」と「郵便配達は二度ベルを鳴らす」を思い出したくなる名前ではないか)。14年前、彼はマテオ・ブランコという名の映画監督だった。ブランコは交通事故に遭い、失明してケインと名を変えた。恋人のレナ(ペネロペ・クルス)も、事故に巻き込まれた。

筋はこれ以上明かさない。監督のアルモドバルは、すさんだ愛の物語を、赤を基調とした色彩の饗宴で描き出す。嫉妬と憎悪が競り合い、愉悦と当惑がこすれ合い、快楽と苦痛が同居して、映画の二重性はいよいよ強調される。いいかえれば、観客が歩まされる廊下はすべて二重底だ。足を踏み出すたび、われわれは着地する場所を怪しむ。足は床に着くのか、それとも床を踏み抜くのか。このサスペンスが「抱擁のかけら」を貫く。1台のキャメラが嘘をつくと、その嘘はもう1台のキャメラによって暴かれる。この構造も危うい。アルモドバルは、映画とのきわどい接近戦から手を引こうとしていない。

芝山幹郎

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