「最後に重なる二つの「ノーサイド」」インビクタス 負けざる者たち いおりさんの映画レビュー(感想・評価)
最後に重なる二つの「ノーサイド」
印象に残る予告編のワンシーン
専門家の予想では勝ち目がない と伝えた側近に
「専門家の予想通りなら私はまだ獄中にいる」とマンデラ氏
見た瞬間に必ず見ようと心に決めた
結果や過程に大きな意外性はない
事実どおりのお話がなぜこうも胸に刺さるのだろう
高い期待をさらに超えるいい話だった
本作のつくりには特徴的がある
その工夫が 単なるスポーツ青春映画にも
政治的な説教映画にもさせていない
■回想シーンを描かない
話をマディバ(劇中のマンデラ氏の呼称を拝借)の
大統領就任以降に終始し 27年間の収監生活は見せない
苦しく悲惨な負を堀り下げず あえてこれからのみを描く
負の暗い歴史は 明るい未来を強調し
払拭の喜びを引き立てることができるがそれをしない
だが、なんとなくその理由が感じられる
事実以上に話がドラマチックに写るのを嫌ったのではないだろうか
大統領になるまでの道のりが険しくないはずがない
判りきった過去の描写をあえて廃し
その後の人生を描く中に過去をじんわりとにじませる
だから過度な演出による政治的なメッセージを纏わせず
曲解されないありのままを観客は目にする
■話の「芯」を最後の試合以外描かない
マディバが大統領になり
世界や国内にどのような政治を行ったのか
国連演説シーンもあるが具体的なことは描かれない
が、アパルトヘイトの歴史がありきたりの努力で変わるはずがない
ラグビーナショナルチーム:スプリングボクス
彼らがどんな練習をして力をつけたのか
その進化の過程もやはり描かれない
お荷物と呼ばれたチームがハードな練習無しに勝利するはずがない
そんな「芯」は言わずとも判る
だからスポットを当てることはしない
むしろサイドエピソードを丹念に繰り返す
深みが足りないと感じるかもしれないが
エピソードの積み重ねが「芯」の輪郭を構成し、判りにくくはならない
この抑えた表現が個人的には好きだ
肌の色が違う大統領警護たち
「ヨーロッパ系のラグビー」と「アフリカ系のサッカー」
「ヨーロッパ系家族」と「アフリカ系メイド」
「欧風の邸宅」と「スラム街」
「仕事中にラジオを聴く男たち」と「少年」
目指す「和解」への変化は これら相対する要素に現れ
描かれていない 「芯」が真っ直ぐブレずに伝わってくる
If you want to make peace with your enemy,
you have to work with your enemy.
Then he becomes your partner.
もし敵と平和を築きたいなら
敵と共に働かなければならない
そうすれば敵は仲間になる
主将ピナールを演じたマット・デイモン
前作「インフォーマント!」の弛んだ身体をジェイソン・ボーンに仕上げていた
勝てないことに苦悩をし、マディバの期待にとまどい、それを力に変えて皆を導く
強さと苦悩を併せ持った役を好演していた
マディバ役のモーガン・フリーマンは圧巻
まるでマンデラ本人と違うと思っていたのだが
落ち着きと思慮深さを感じさせる振る舞いに、彼はマンデラだと脳が理解した
ホンモノの役者は言葉よりも雄弁に演技で説明するなとつくづく再認識
彼らが一丸となり目指したのは最高の「ノーサイド」
ラグビーにおいての試合終了を意味する言葉であり
これはサイドがないこと=敵味方がなくなったことを表す
「和解の過程」の象徴は 「スプリングボクスの快進撃」
最終関門はニュージーランド代表オールブラックスとの戦いだ
スポーツも人生も同じ、完璧な状態で戦えることはない
それでも負けられない戦いをじっくりこってり描ききる
クライマックスで迎えたスプリングボクスの「ノーサイド」
4200万人の国民の熱狂がスクリーンからこちらにビリビリと伝播する
それは紛れもないマンデラの望んだ和解=アパルトヘイトの「ノーサイド」の瞬間
泥にまみれ困難を極めた戦いの結果
この二つの 「ノーサイド」 が重なるウマさに酔いしれる
その興奮覚めやらぬ中、流れはじめるエンドロールには
実際のマンデラ氏やピナールをはじめスプリングボクスの姿が映し出される
「奇跡」ではなく 意を持って成された「意思」
貫いた彼らに思いを馳せ じっと心地よい余韻に浸る
もうすぐ始まるサッカーワールドカップ南アフリカ大会
ラグビーと違いアフリカ系選手中心の南アフリカサッカーチーム
彼らがどのような戦いをするのかも楽しみになった
きっとその姿にスプリングボクスを重ね
また同時に観戦しているであろうマディバを思い出すだろう