母なる証明 : 特集
“韓国の母”キム・ヘジャが見せた「狂気」という名の真価
ポン・ジュノ監督の3年ぶりとなる長編新作映画「母なる証明」が、第82回米アカデミー賞外国語映画賞部門の韓国代表に選出された。その最大の功労者は、主演の“韓国の母”キム・ヘジャをおいて他ならない。映画で主演を務めるのは、ユン・イノ監督の「マヨネーズ」(99)以来、実に10年ぶり。“韓国の母”が本作への出演を決意したきっかけは何だったのかに迫る。(文:編集部)
■演じたい役がなかった
キム・ヘジャとポン監督の出会いは、約5年前にまでさかのぼる。「グエムル/漢江の怪物」の撮影準備中だったポン監督の脳裏に「母なる証明」の構想が浮かび、主人公としてキム・ヘジャの出演を熱望。キム・ヘジャは、オファーを受けたときのことを「若い映画監督が、私と一緒に映画を撮りたいと言ってきたのは2004年のことでした。そのときに印象に残ったのは、昔のテレビドラマで私が演じたセリフと演技を、彼がとても正確に愛情をもって覚えていてくれたことです」といとおしそうに直談判の様子を振り返る。
キム・ヘジャは、63年にKBSタレント1期生としてデビューし、71年に出演したテレビドラマ「捜査班長」が話題を呼び女優としてのキャリアを駆け上がっていく。80年にスタートして23年間にわたり出演し続けた長寿ドラマ「田園日記」で、農村で暮らす我慢強くも温かい母親を演じ、“韓国の母”の呼び名は全国に浸透。そんな国民的女優だが、映画出演は意外なほど少ない。銀幕デビュー作となった「晩秋」(81)、「マヨネーズ」、リュ・ジャンハ監督の「純情漫画」(08)の3作のみ。その理由について、「正直に申しますと、演じたいと思う新たな役がなかったからです。私のところにくる役は、どれも古臭いものでした。しかし、『母なる証明』はまったく違っていました。ポン監督は、自分がステレオタイプに対してどれだけ挑戦したいと思っているかを語ってくれました」と説明する。
■私はこの映画を台なしにしている
ポン監督は、キム・ヘジャを“先生”と呼ぶ。目上の人間に対する敬意を忘れない韓国ならではのエピソードだが、「キム・ヘジャさんは、私が生まれる前から活躍している大女優ですから。撮影では非常に挑戦的で、『あなたが思うように演じてくださいと言われるのが最もいや。私を本当に崖っぷちに追いやるほどの演出をしてほしい。どんどん痛めつけてもいいから』とおっしゃったので、その通りにしました」と裏話を披露し、撮影がどれほど過酷を極めたかをうかがわせた。
キム・ヘジャは、最初の撮影シーンのことを回想し「私の申し出をポン監督は喜んで引き受けてくれました。18テイクも撮ったのは、私にとって初めてのことです。そして17テイクまで私はこう考えていました。『なんてことでしょう、私はこの映画を台なしにしているわ』と。そして、それは5カ月間も続いたのです」
■苦悩が生んだ“狂気”
女優歴46年の大ベテランの苦悩は、いつしか繊細かつ激情を伴う“狂気”へと変貌を遂げていく。殺人犯の汚名を着せられた最愛の息子の無実を証明するために、“韓国の母”は孤軍奮闘する。不退転の決意で臨むその勇姿に、息子トジュン役のウォンビンは心を打たれた。「僕は人懐っこい性格ではないが、キム・ヘジャ先輩がトジュンと同じように接してくれたおかげで、僕も気楽に『お母さん』と呼ぶことができた。息子のように愛してくれた先輩に感謝したい」と最敬礼で謝辞を述べている。
出口の見えない光を求めてさまよう母の苦悶の表情は、見るものの心を激しく揺さぶる。キム・ヘジャは、「観客の皆さんが私の演じた母親にどのように反応するかと考えると、不安と期待で胸がいっぱいになる」と胸中を漏らしたこともあった。しかし、第62回カンヌ映画祭での5分間以上にわたるスタンディングオベーションがそのすべての心配を氷解し、杞憂に終わらせた。ポン監督と二人三脚で挑んだステレオタイプからの打破は、母という普遍的な題材が国境を越えて受け入れられることを証明してみせた。“狂気”の中に身を潜めていた「真価」が姿を現す瞬間に立ち合うことのできる我々には、“韓国の母”が自ら切り開いてみせた新境地を見届ける義務があるのではないだろうか。