TAJOMARU : インタビュー
小栗旬のインタビュー動画(隔週)、監督、プロデューサー、共演者の各インタビューをお送りするeiga.comの「TAJOMARU」8週連続特集。第2週は、山本又一朗プロデューサーの依頼により本作のメガホンをとった中野裕之監督のインタビューをお届けします。「SF サムライ・フィクション」「RED SHADOW 赤影」といった新感覚の時代劇で知られる中野監督に、撮影時の苦労や小栗旬の魅力について語ってもらった。(取材・文:編集部)
中野裕之監督 インタビュー
「愛している人とは、腹を割って話そうっていうことです」
──本作を撮ることになった経緯は?
「プロデューサーの山本又一朗さんから、『小栗の舞台を映画にしたいんだよ。あいつは凄い芝居をするんだよ。で、原作は芥川(龍之介)でさ、ショーケン(萩原健一)に出てもらって、市川(森一)さんにホンを書いてもらって……というような感じで進めていたんだけど、市川さんのホンを変えなきゃいけなくなって、今書いているんだよ』と熱く語られて、ほとんど(仕事を)受ける感じになってはいましたが、最終的に決まったのはクランクインの3週間前でしたよ(笑)」
──少し聞いただけで本当に大変そうですが、準備等はどうしたのですか?
「その後、佐谷さん(共同プロデューサー)と2人で『進めておく?』『進めておこうか』なんて言いながら、一応進めたんです。そうこうするうちに準備稿が仕上がり、わからないことがありながらも、問題を一つ一つクリアしてなんとかクランクインに漕ぎ着けました。撮影期間は実景ふくめて30日だったんですけど、最初のコンセプトとして、舞台を映画にするということがあったので、キャメラを3つ回してTV方式でドキュメンタリーを撮るようにすれば、短期間でも不可能ではないと思っていたし、山本プロデューサーも、マスターショットを多く撮って、アフレコすればいいっていうフレキシブルな考えを持っていたので、助かりました」
──芥川の「藪の中」が原作でしたが、黒澤明監督の「羅生門」は意識しましたか?
「してないです。意識すればするほど、ドツボに入るじゃないですか。最初の山本さんとのミーティングでは、『羅生門』と今回の『TAJOMARU』では、どこがどう違うのか?ということを話したんですけど、原作では『羅生門』で森雅之さんが演じた公家は多襄丸にはならなかったわけですが、今回は多襄丸が入れ替わって2人いるということ、小栗旬が最初は多襄丸ではないということは、単純に面白いと思いましたよね。僕の認識では、羅生門という門を中継基地にして、原作の『藪の中』を映画化したのが『羅生門』で、『TAJOMARU』では、公家が藪の中というか森に入っていって、盗賊に襲われるという設定のみが残っています。今回のストーリー、僕はとても面白いと思っているんです。ただ、それだけじゃなく、他も濃かったですね(笑)」
──本作は小栗旬さん主演ですが、共演陣も豪華で、萩原健一さんが復帰第1作として出演してました。
「僕が山本さんのところで準備中のときに、ショーケン(萩原健一)さんがちょうど遊びに来たんです。で、話を聞いてみると、ショーケンさんはすでに役作りをされていたんです。それはとことんやってました。シナリオの台詞をすべて平安末期の言葉に直した言葉集を作ってきたり、義政っていう人間は白内障だったらしいから、義眼を入れて目を真っ白くして芝居をしたいって言っていてね。本当に熱心に役について考えてました。
あんなにチャーミングな笑顔を持っている人はいませんよ。最初会ったとき、僕はドキドキしてたんですけど、会ってみると本当に菩薩のような方なんです。世間で言われているような今までの誤解のようなものがあったとすれば、それはショーケンさんが純粋に100%目の前のことに突っ込んでしまう人だからだと思うんですよね。本当に納得いくまでやりたい人なんだと思います。小栗旬もそういうところがあって、彼も目の前のサブジェクトに対して100%自分を放り込んでいきますからね」
──その小栗さんとの仕事はいかがでしたか?
「小栗くんは、役に入り込むけど、スイッチとボリュームがついているからね。彼には自分がやりたい小栗旬の芝居のカテゴリーがあるんです。蜷川幸雄さんの舞台で、彼の『ほざくな!』っていう台詞があって、今回の『TAJOMARU』にも同じ台詞があるわけです。改めて両方を見てみると、『ああ、同じだ』って思うわけですよ(笑)」
──撮る前と撮り終わったあとでは、小栗さんの印象は変わりましたか?
「まったく変わってないですよね。僕は今まで何百人という俳優さんと仕事をしてますけど、小栗旬は緊張しますよ。小栗旬と仕事をしているときに緊張しなかったことは一度もないです。凄く真剣なんだろうね。朝の撮影だと、前日の酒が抜けていないのと寝不足でもう、それは不機嫌っていうか、無表情。淡々と芝居をするだけで、何も喋らない。でも夜の宴会になると破顔の笑顔(笑)。そして人の言うことを聞かない(笑)。芝居の話になると、彼は『多襄丸の気持ちでいうと』って説明してくるんだけど、こっちが『それは分かったけど、小栗の気持ちはどうなんだよ?』って聞くと、『(多襄丸と)同感です』って言うんだよ(笑)。そうやって説得されちゃうんだよねえ。そういうことも含めて、昔の映画スタータイプですよね。
お白州での叫びのシーンでも、小栗が『ここはテスト無しで一発で決めさせてください』って言うんですよ。だから『キャメラのフレーミングのことがあるから、どうするか教えてよ』って言ったら、『いや、それも内緒で』っていうからさ(笑)、じゃあ適当に構えておくって言ったわけ。それで、ちょっと15分くらい休憩ということで、トイレでも行って出すもの出して帰ってきたら、本番になったわけだ。その時、僕は一枚の壁を隔てた18メートルくらい離れたところでモニターを見ていたんだけど、彼が叫ぶとブォォォーンって感じで、壁が揺れてましたよ。それは凄かった。鳥肌が立ちましたよ。人間の出す声では最大限のボリュームを出してましたね。それで『ああ、これが小栗の舞台で観客が感じていることなんだな』って分かったんです。こういったことは、今回の撮影中に何度かありましたね。やっぱり地力が凄いです。大したもんだなって思いますよ」
──監督自身が考える本作のテーマは何でしょうか?
「『愛はノーリミット』ということですよね。そして、疑うくらいだったら、人のことを好きになるなと言いたいです。この話に巻き込まれたときに、あなたが主人公の直光だったらどうするか、ということを考えるととても面白いと思います。
個人的なことを言うと、阿古(柴本幸)が良かれと思ったことをやってしまって、どんどんドツボにはまってしまうという話で、僕は最近、実際にそういう経験をしたんです。本当に良かれと思ってやったことで、愛している人に絶交を言い渡されて、とことんへこみましたよ。最終的に仲直り出来たんだけど、僕がやったことは経緯はどうあれ相手を傷つけてしまったということなんです。だから相手は『もう一生会わない』っていう言葉を発したと思うんですけど、この映画でも劇中で同じことが起こっていたので、改めて考え直しました。僕もその時は苦しみましたし、劇中の直光もその胸の苦しみは相当なものだったと思います。だから結局、愛している人とは、腹を割って話そうっていうことですよね。それさえあれば、何の問題も起こっていないストーリーなんです。それを言ったら映画にならないんだけどね(笑)」