「混沌に目鼻を入れない勇気」ダウト あるカトリック学校で samurai_kung_fuさんの映画レビュー(感想・評価)
混沌に目鼻を入れない勇気
少し前に、娘を殺された父親が異様な強面でマスコミにもどこかトゲのある態度で対応していた事で、ワイドショーなどがその父親を完全に犯人のように扱っていた事があった。
管直人の年金未納問題でも、役所による(おそらく意図的な)誤報を受けワイドショー、ニュース番組による大バッシングが行われ、結局党首を辞任する事になった。
『気に入らない』というような感情を論理にはき違える人は今も昔もいて、『疑惑』と言いながらまるでスペイン宗教裁判じみた“推定有罪=有罪”の判決を下しリンチにかけるのである。
「ダウト」で描かれているのは正にそういった人間の醜い猜疑心である。
しかし、果たして“そう”判断する事は正しいだろうか?この映画には通り一遍に判断の出来ないワナがしかけられている。
細かな描写や演出は本編で確認してもらうとして、登場人物の名前に注目すると面白い事に気付く。
メリル・ストリープ演じるシスター・アロイシアス。
「アロイシアス」とは英語圏では男性の名前として認知されており、16世紀イタリアでは『学生の守護聖人』の名前であった事でポピュラーだそうだ。
フィリップ・シーモア・ホフマンの「フリン神父」
最も有名な『フリン』はモノクロ時代の映画スターのエロール・フリンになる。彼は幼少期からヤンチャ坊主で青年になってからも警察沙汰になること数知れず、俳優になってからもレイプ事件で訴えられたりアル中になったりとダーティーなイメージがまとわりつく。
そして、エイミーアダムス演じる「シスター・ジェイムス」はキリストの使徒「ヤコブ」を語源とし、あらゆる教派で『聖人』とされる尊敬される名前であるらしい。
日本で言うなら『良雄』というシスターが『悪夫』という神父を毛嫌いし、「太郎」という若いシスターがそれを悲しく見つめる。っという風景になるだろうか?
見た目やイメージも判断の基準になるだろうが、独りよがりな価値観をゴリ押しする事は他人を不幸にする。この映画で明確に言い切れるのはそれくらいで、あとは自分で判断して決めなければならない。
この映画は漠然とせざるをえない事に、無理やり明確な“形”を与えない勇気の尊さを描いているのかもしれない。
傑作。