劇場公開日 2009年3月7日

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ダウト あるカトリック学校で : 映画評論・批評

2009年2月24日更新

2009年3月7日よりTOHOシネマズシャンテ、Bunkamuraル・シネマほかにてロードショー

ゼロ年代を覆う暗雲を払いのけようとする寓話

時代設定はアメリカにとっての転換点、1964年。それは、前年に若き大統領を暗殺によって失い、絶望感に満ち、公民権運動の拡大によりチェンジを求めつつも、旧来の意識が根強く残っていた時代でもある。しかし、神学校を舞台に研ぎ澄まされた言葉の応酬によって炙り出されてくるものは、「現代」を覆う病理を思わせる。

主要人物は3人の聖職者。新しい時代の息吹を感じさせる神父と、古い価値観から逃れられない厳格な校長、そしてピュアな新人教師。黒人の男子生徒に優しい神父に対し、新人教師は確たる証拠もないまま、性的関係を疑う。校長は疑惑を募らせ、彼の存在を排除すべく異様な執念をたぎらせていく。大量破壊兵器所持の疑惑を振りかざし暴挙に出て、泥沼へとはまったアメリカの過ちを彷彿とさせることは言うまでもない。あるいは、メリル・ストリープ扮する校長を、疑わしきは暴き出そうとするメディアだとすれば、フィリップ・シーモア・ホフマン演じる神父は、叩けばほこりくらい出る市民だ。揺るぎない信念と信念のぶつかり合いに、相手の立場に立つという想像力が生まれる余地はなく、エイミー・アダムスの教師像は、揺れ動き染まりやすい大衆心理そのもの。

高度な演技に息を呑む密室のセリフ劇は、意外な結末へと導かれ、真実の在り処に深い溜め息をつくことになる。これは、いつの時代も変わらぬ人心の闇を描きつつも、ゼロ年代を覆う暗雲を払いのけようとする寓話である。

清水節

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