イレイザーヘッド

劇場公開日:

解説

鬼才デビッド・リンチ監督のデビュー作。悪夢のような出来事に見舞われ正気を失っていく男を、全編モノクロ映像でつづる。消しゴムのような髪形から「イレイザーヘッド」と呼ばれるヘンリーは、恋人から肢体が不自由な赤ん坊を産んだことを告白され、恋人との結婚を決意する。ところが彼女はおぞましい形相の赤ん坊に耐え切れずにやがて家を出てしまい、残されたヘンリーは1人で赤ん坊を育てることになるが……。1981年に日本初公開。93年に完全版が、2009年にデジタル・リマスター版がそれぞれ公開された。

1976年製作/89分/アメリカ
原題または英題:Eraserhead
配給:デイヴィッド・リンチ プロジェクト
劇場公開日:2009年2月28日

その他の公開日:1981年9月(日本初公開)、1993年11月6日

原則として東京で一週間以上の上映が行われた場合に掲載しています。
※映画祭での上映や一部の特集、上映・特別上映、配給会社が主体ではない上映企画等で公開されたものなど掲載されない場合もあります。

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映画レビュー

4.0令和6年9月28日 新文芸坐「倒錯するカルト映画の世界」にて鑑賞①

2024年10月16日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

笑える

興奮

難しい

ある時こちらのとあるレビュアーさんのレビューを読んで、自分が憧れはあるものの未だに名画座というものに行ったことが無い事を思い出したのです。
そして何の気なしにその旨をコメントしたら、なんと!そのレビュアーさんが私の居住区から行きやすい名画座を教えてくださったのです!
おほーこれはありがたい!という事でさっそく教えてくださった名画座を調べてみると、池袋の新文芸坐にてオールナイト上映であるこの企画がある事を知りました。

この企画の上映作品は4作品。
「イレイザーヘッド」(77年)
「マルチプル・マニアックス」(70年)
「リキッド・スカイ」(82年)
「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」(68年)

という文句なしの布陣です!……正直「マルチプル~」は監督の名前しか知りませんし、「リキッド・スカイ」も初めて名前を聞く映画なのですが、私のお目当ては何と言ってもオープニングを務める「イレイザーヘッド」です!

最初にこの映画を見たのは配信でであり、その時から作品の意味は分からないけど映画館映えしそうな作品だと思っていたのです。なのでその作品を劇場で観られる喜びと、その貴重な機会を得る切欠をくださったレビュアーさんへの感謝と共に今回は書いていきたいと思います。

そもそも私にとって名画座とは、ボロボロの座席、黄ばんだスクリーン、タバコの臭いが染みついた場内で古いモノクロ映画を流している場所であり、まばらの客のほとんどは上映中の映画をただ虚ろな目で眺めているだけで、中にはイビキをかいて寝ている者もあります。みんな始発電車までの時間をつぶすためだけにここに居るのです。という様などこで抱いたかは知りませんが、そんな危険で退廃的な大人の臭い漂う空間のイメージでした。

ところが今回訪れた池袋の新文芸坐の綺麗な事といったらまぁ!そこには危険で退廃的な臭いなど微塵もありません!確かに映画館自体がパチンコ屋と同じビルに入っているため、劇場に入る際に景品交換所に並ぶ人の列が交差点の真ん中あたりまで伸びている場面に出くわした時は変な緊張感が走りましたが、劇場に入ってしまえばそんな退廃的な空気は消え去ります。座席だって下手なシネコンより綺麗で、なにより前列との間隔が広い!
私は今夏から以前に比べてだいぶ映画館へ行くようになりましたが、劇場の座席ってこんなに座り心地悪かったっけ?と思っていたため、こんなにゆったりと座れる座席は子供の頃ぶりでした。そして何より人が多い!しかも大学生くらいの若い人もかなりの数おり、小さなロビーは人で溢れて活気に満ちているのです。
この意外な熱気に煽られながらこれから朝まで映画を観るのかと思うと少し気後れする思いだったのですが、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」のパンフレットに目を落としている同じ列の一つ席を空けた隣に座る白髪の背広姿の男性。彼が場内が暗転するその瞬間「あの野郎、ふざけやがって…」と声に出して呟いた時、あぁ名画座で映画を観るのだなぁという実感が湧いてきたのです―。

真っ暗な場内で光り輝くのは目の前の巨大なスクリーンだけ。
そこに映しだされる「ERASERHEAD」のタイトルと巨大な泥団子(というよりフンコロガシが丸めた糞)のような物体。そしてヌッと顔の半分を覗かせる主人公のヘンリー。しかし正面向きの顔は何故か観客に対して90度の角度です。
もう既に意味が分からないのですが、そこからデヴィッド・リンチのグロテスクなセンスとユーモアにより描かれる悪夢のような90分。

この映画は男が自身の性へ抱いている本音を赤裸々につづった作品です。(たぶん……)
「愛」というものが良く分からない曖昧なものである事に比べ、「性欲」というものが余りに分かりやすく確かであるがゆえに発生する愛なき性交渉。
しかしその一時の衝動を満たした先に生じるのは、恋人の実家でその家族と共にする居心地の悪い夕食であり、排泄と似たような行為により命が生まれるという事の神秘と嫌悪感であり、そうしてできた家族という他人との生活の鬱陶しさなのです。

少々古い感覚のなのでしょうが色恋の果てに「責任をとる」という言葉が使われる事があります。何故「責任」などという重く義務的な言葉が使われるのでしょうか?そんな言葉が使われるのは、あながち「愛」に対しての照れや謙遜だけではないのでしょう。
そしてそんな「責任」が果たせなかった主人公:ヘンリーは、自分の性欲の結果に出来上がった家庭を自らの手で壊し、“おたふく顔”のマリリン・モンローと抱き合いながらまばゆい閃光の中に消えていきます。
降り注ぐオタマジャクシを笑顔で避けながら踏みつぶしていく“おたふく顔”のマリリン・モンローは男の性的欲求を無責任にぶつけても、まったくリスクのない理想的な相手であるかのようです。

と、ここまで書いたものの、これはあくまでも私個人がこの作品について漠然と感じた事ですので全くの見当違いかもしれません。ただ仮にこの解釈で作品を観た時に、この作品に共感したり楽しんだりする事が正しい事なのかと言うと、それはまた別の話だと思うのです。もし本当にこの様な「男は下半身に支配された生き物なのである!」という事を描いた映画であるならば世の多くの方が理解や共感をする必要は全くない作品だと思うのです。倫理的に。
しかしこの社会を保つのに必要な倫理観にホンのちょっと挑むようなフィクション。あくまでもフィクションと割り切って息抜き程度の気持ちで鑑賞する分には何とも言えない後ろめたさと共にある種の快感を与えてくれる作品なのです。
そもそも「カルト映画」というものの正しい定義を私は知りませんが、こういった後ろめたさと背中合わせの楽しさというものを提供してみせるのが「カルト映画」なのではと思わせる、そんな映画なのです。

繰り返しになりますがこれは私個人の漠然とした解釈の上での話です。なので作品の正しい意味は正直分かっていません。ただそれでも今回この映画を劇場で鑑賞した事で作品世界を十二分に体感できたという実感があります。
ラストの閃光は劇場のスクリーンで観ると本当に目がくらむほどの眩しさですし、この映画は全編を通して“ゴー”“ガー”“キー”と観る者の神経を圧迫する様な何らかの音が常に鳴っています。こうした演出の一つ一つを全身で体感するというのは劇場での鑑賞ならではの体験でしたし、なによりモノクロの映画とはこれほど劇場で映えるものなのかという驚きがありました。スクリーンの事を「銀幕」と呼ぶ理由がよく分かった気がするのです。

面白い作品なら家で観ても面白いだろうとずっと思っていたのですが、映画館で観るからこそ感じる面白さがあるという事を実感させられた、そんな今回の体験だったのです。

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モアイ

3.0キモい。リンチって感じ。 これでデビュー作なのは、作家性できすぎて...

2023年11月22日
iPhoneアプリから投稿

キモい。リンチって感じ。
これでデビュー作なのは、作家性できすぎててすごい。

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madu

2.5赤ん坊こわっ

2023年4月5日
iPhoneアプリから投稿

あの赤ん坊はどーやって作っているのか?生々しさというか本当に生まれてきたんじゃないかと錯覚させるクオリティ。映画全体も意味不明で終始暗く暗澹とした空気が満ち満ちている。だがどこか嫌いにはなれない…。

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aaaaaaaa

5.0天国では、すべてがうまくいっているのです。

2022年11月4日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

笑える

怖い

難しい

私たちは、映画は「人を幸せにする」(ユーフォリア)ものであるべきだと考えています。いや、そうあるべきだと考えています。もちろん、そこに至るまでには茨の道があった。
私は、少しでも性的描写があれば「映画は芸術版ポルノだ」と言い、中高生の頃は主に「エロティック」な映画(『時計じかけのオレンジ』がその筆頭)を見ていました。
今思えば、"愚かな観客 "であった。しかし、ある日、私に変化が訪れました。私は、映画との出会いが人生を変えると思っているのですが、その出会った映画が『マルホランド・ドライブ』で、「こんな映画は見たことがない」と、私の映画観をひっくり返されました。
それまでは、なんとデヴィッド・リンチという名前すら知らなかったのです(恥ずかしながら‼︎)。
記憶では、12歳から13歳の間に、このシュールでショービズ狂いのエンターテイメントを少なくとも10回は見て、飽きないどころか、引き込まれたのです。それって、すごいことだと思いませんか?
つまり、「私の人生の中で『記念碑的』な映画だった」(映画館での最強体験は『王の帰還』を見たとき)......。
だから、偉大な映画作家のこの作品を見なければならなかった。それに比べれば、『ロスト・ハイウェイ』なんて取るに足らない映画だった。
正直なところ、よくわからないが、世間では評判が良かったようだ。しかし、これはよくある現象である。
友人が「この映画、面白いよ」と言うので、その意見に乗っかって観てみたら、実はそれほど面白くなかったということです。
今では、"映画は自分で選ぶ "というのが、私の「ルール」であり「モットー」になっています。
リンチの最高傑作と言われる『ブルー・ベルベット』でさえ、本当にひどかった。"デヴィッド・リンチの何がそんなに面白いんですか?" とよく聞かれる。この問いに答えるのは難しい。
実際、『マルホランド・ドライブ』1本で映画界を引退していたとしても、デヴィッド・リンチはシュールレアリスム映画の帝王として崇められていただろうが、私の「リンチ体験」はそこで終わっている。しかし、私の「リンチ体験」を古典に戻すきっかけとなったのは『イレイザーヘッド』であり、そこで終わるべきものだったのです。
精神病患者でも持て余す(リンチが精神病を描くとしたら、確かに下手くそだ)この不気味で悪夢のような映画は1978年に公開され、すぐに人気を得ることはなかったが、ドライブインシアターなどで上映され、カルト的な人気を博した。
"何だ、この不気味な映画は?"
この映画が1977年に作られたことを知り、愕然とした。ストーリーに起伏はほとんどなく、映像美もない。
ただ埃っぽい砂だらけの工場地帯が広がっているだけだった。ジャック・ナンス演じる主人公の「特異な髪型」に取り憑かれたエイリアンが、奇形児を産み、継母から性的虐待を受ける。
奇形児を産んで捨てた「狂った婚約者」メアリーと、その性的隣人、そしてメス犬からぽっちゃりおっぱいを吸う子犬たちの物語である。食卓のチキンは時計仕掛けのように動いている。
「奇形」の赤ん坊が泣き、私たちはそれを解剖する。「ゲロ」が喉元まで来て、見ていて痛々しい。正直、気分が悪くなった。私のせいなのか、映画のせいなのか。ジャック・ナンスのせいなのか?
ちなみに、『イレイザーヘッド』が超難解だと決めつけないでください。私にとって、クリストファー・ノーランの映画は難解ですが、デヴィッド・リンチの映画は「観る」立場であれば、それほど難解ではありません。映像は、誰にでも起こりうる世界(例えば、狂気や精神病)を体現しているので、退屈かもしれないが、リンチはそれを "難解" にしようとは思わないだろう。
『イレイザーヘッド』は、要するに、"シュールレアリスム "を装っただけの実験的SF(息の長い "エンターテインメント "ではない)である。
"宇宙空間 "を漂う「ヘンリー」と「奇形児」のツーショットから始まり、やがて "高所 "と "深海 "に不気味な女が現れる。
不気味な女が "In Heaven" を歌うまで、"工場地帯" と "宇宙空間" は繋がっている。「エイリアン・チャイルド」は、「遠い星」の男とヘンリー・スペンサーと「銀河間結合」をしているのである。

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茂輝