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本作はタイトルが示すとおり、のお話である。
責任者でてこい。
てめえの売名行為でしかないような映画である。
そもそもこの題材で映画にする理由が映画の中に見当たらない。
コドモにコドモができて、コドモたちだけで産む。
なんだそりゃ?
麻生久美子演じる教師のあり方を批判するでもなく、おばあちゃんしか気付かなかった少女の妊娠という事実で現代の社会事情の批判をするわけでもなく、ただうさぎの世話やうさぎの出産に携わるかのようなお気楽描写に気持ち悪さを感じる。
映画で問題提議をしろ、とは言わない。しかし誰が考えてもそれを題材にするのか、と一瞬戸惑うような、いわゆるタブー視される題材を撮るのなら、作り手なりの意見を明確に表現すべきだ。
それから逃げてちゃ
「エヘヘ、こんなん撮りましたけど、グヘヘ」
と言ってるだけにしか見えないぜ。
そんな曖昧なことをしているから、娯楽映画にもならず、問題作にもならず、子供達の演技がさぶいものにしかならず、大人たちの演技もさぶいものにしかならない。
日本の子役の演技力は決してアメリカの子役に劣ったりなんかしない。使う側がバカなだけだ。
つまらない大人の発想や後付けの妄想や、持ってもいない架空のノスタルジーや後悔の念でコドモを描くな、ばかもんが。
奥田民生がエンディング・テーマになっている。彼は高校の先輩だが、彼の一貫したビートルズ的な曲作りには尊敬するが、彼のスタンスはこういう映画に使われるスタンスでもあるんだよなあ、とも思うと正直泣ける。(もちろん悪い意味で)