「NY無間地獄」脳内ニューヨーク 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
NY無間地獄
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虚構と虚構の間に一瞬だけ浮かび上がったリアリティさえも次の瞬間には虚構の一部となって色褪せていくやるせなさ。少しでもものを創ろうとしたことのある者であれば身に覚えがあるはずだ。
何をしても行為そのものばかりが、そこに込めた思いばかりが拒食症患者の骨格のように浮かび上がるあの無力感。自分がやっていることはあくまで人形遊びの範疇を出ず、そこに他者との生き生きとした交感などというものは存在しないのではないか。そう考えると途端にすべてが虚しく思えてきて、何もかも手につかなくなる。
メタ描写なんてのは一番の悪手だ。メタを重ねれば重ねるほどリアリティは遠のいていく。でも仕方がない。できることはそれしかないのだから。ケイデンはメタを重ねるごとに芸術者としての価値を減じていく。いや、これは彼なりの、ある種の自己破壊だったのかもしれない。リアリティを史上の価値とする芸術なるものからの脱却、そのための自己破壊。
しかしそれもうまくはいかない。どれだけ自我崩壊の断崖をふらついても、ケイデンはそれすらも結局のところ新たなる脚本のアイデアとしてメタ化してしまう。まさに無間地獄。永遠に逃れられない円環。もちろんそこには他者の温かみなどない。
この不毛なる堂々巡りから脱却できる手段は一つ。ケイデン役の老人がそうしたようにすればいい。つまりビルから一思いに飛び降りる。つまり死ぬ。
まあ、誰もが簡単にそう決意できるのであれば、わざわざこんな映画撮らないんだけどね…という死ねなかった臆病者の視点から綴られる痛切な創作苦悩論。
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