「百聞は一見にしかず」おくりびと movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
百聞は一見にしかず
昔、遺体を洗う仕事のバイト代はとても高いという都市伝説のような噂話を聞くことがあった。
最近ではドラマなどで法医学の職業もよく知られていて、遺体と向き合う仕事そのものは知られていて不気味なイメージはあまりないが、それでもやはり特異な印象は受ける。
実際、警察官や介護士、ひとり身老人の見回りをする区役所の人間が立ち会うご遺体は相当な損傷や臭いだと言うし、作中の最初に出会うご遺体のような環境下での仕事はあまりやりたがれるものではない。
そのごく一般的な視点から仕事に就いた主人公の大吾が、初日こそあまりのショックに吐き気を催し気もすぐれないが、徐々にご遺体の人生と向き合い、美しい身なりで、遺族との最期の時間を整えてあげたいと仕事に対する想いが変化していく過程が見どころ。山形の美しい四季の風景とチェロの音楽と共に時間が過ぎ、納棺師として立派に成長していく。
軽口を叩くところもあった大吾が、オフの時はいい加減とすら感じられる社長の仕事ぶりを目に仕事に対する意識が変わり、精悍な顔つきで丁寧な所作で仕事に臨む姿は惹きつけられる。
死を直視するからこそ、生きている生かされている事実がよりまざまざと感じられ、妻の美香が息をし生きている存在に安堵と安心を感じる描写や、生きている限り命を頂き食し続ける自らの命を悟り、美味しくしっかり食べ命を全うすべくしっかり働く描写は、どんな人間も生き方について考えさせられる。
「一生続けられる仕事なの?」と聞いた妻の一言が刺さる。他の命を食し生きている存在が、何に時間を使い生きるのか。夢と思っていたチェロの仕事に就いても、うまくいかなかった大吾にとって、偶然就いた納棺師の仕事が、使命を感じられる仕事となった。ある意味運が良い。
顔も覚えていない父親の最期に対面したことで、より使命は確信に変わる。70数年生きて、遺したものが段ボール一箱の父親でも、大昔に父親と交わした石文は最後まで互いの記憶に残り、一生懸命手伝っていた姿は漁連の人々の記憶に残る。
息子を捨てて出てきた人でも、大吾の感情に大きく影響する。
どんな人間でも、生きている限り誰かからは必ず想われ、また誰かに影響もしていると思わされる作品。
そして、使命と感じられる仕事を迷いなく全うしたい、そう感じさせる作品。
人は向き合うと心にショックが大きい事、受け入れ難い事からは目を背けたくなるもの。目を背けているから、イメージで決めつけや誤解が生じる。葬儀屋、火葬屋、納棺師、死の事実を目の当たりにする職業ながら、作中で良妻としか言いようがない美香からも、最初は正しい理解を得られず、「汚らわしい」という言葉が突きつけられたりする。
でも、どんな仕事でも誇りと意思を持って一生懸命働いている姿は美しく、例え納棺師で葬儀屋から回されるような扱いの仕事だとしても、その姿を見たら2度と罵る言葉は出て来ないのが人間。
「夫は、納棺師なんです」最後にはこう話してくれた美香の言葉。認めて貰えて嬉しかっただろう。百果は一幸にしかず。
そう想わせるプロの仕事ぶりに見せる、しっかりした所作を身に付けた本木雅弘と山崎努の俳優としての仕事ぶりもまた、プロなのだと感心する。実際の納棺師は死装束を着せる工程も更にいくつもあるはずで、作内では反物を着せる前段階で皺なく整えるパフォーマンスに近いところや、遺体の顔や手を整えるいくつかの同じ所作ばかり出てきて、繰り返し練習したのだろうと感じさせるが、それもまた職業への敬意と誠意のあらわれに思える。普段の本木雅弘はかなり強情なところもあるのを知っているだけに。
山崎努演じる社長も、仕事でない時はなんともシュールだから更に、ギャップで仕事中の手際が際立つ。
死は門で、死の後に始まる世界の入り口。
その門出の儀式に立ち合つお仕事。
とても尊く、おくりびとという名にぴったり。
作中のような儀式的芸術的な仕事をされる会社は少ないと思うが、おくりびとの意識をその業界で働く方々が持てば、依頼する方々の目に入り、職業へのあらぬイメージもきっと変わるし、実際この作品の影響でかなりプラスに転じただろう。
見ようと思って自分の意思で直面できる人の死ではないからこそ、実際に人を失う大きな悲しみを伴うことなく、作品を通して死に向き合う時間を見られることは、百聞は一見にしかず。とても勉強になる。