崖の上のポニョ : 映画評論・批評
2008年7月15日更新
2008年7月19日より日比谷スカラ座ほかにてロードショー
日本人の萎えた心を蘇生させる、純度の高いファンタジーの傑作
一途な想いを募らせて荒れ狂う波の上を全速力で走って走って跳躍し、どこまでも少年を追いかける少女――。横溢するパッションと歓喜のデフォルメに、アニメならではの幸福感が凝縮される。そう、幼少期にまで遡らなければ、もはや世の中を肯定することなどできないとばかりに、宮崎駿は臆面もなく5歳児や恋する人魚の主観になってみせる。ストーリー性よりも、こうあるべき慈愛に満ちた世界と高揚する映画的な瞬間が優先されるのだ。
ただし、ポジティブ思考の塊にも思える本作の背骨には、現状への痛烈なアンチテーゼが貫かれている。「ハウルの動く城」までに自分たちが積み上げてきた高度な表現技術の否定。手描きの絵を動かすという素朴なアニミズムによってこそ、生きとし生ける者に宿る生命感は謳い上げられる。さらに、「ゲド戦記」に象徴される息子世代の虚ろなエピゴーネンへの嘆き。強い意志もなく、観念や打算だけでは映画は生まれないという戒めだ。狂おしいまでの熱情によってこそ、生きる力が発揮されるという構造もそのために思える。そして根っこにあるのは、子供たちの可能性を奪う閉塞した現代への憤り。批判精神を押し込め、希望へと反転させた豊かな映像には凄味さえ備わり、宮崎の祈りにも似た切実な次世代への想いが全編にみなぎっている。これは、あふれんばかりのイマジネーションの大津波を浴びせかけ、日本人の萎えた心を蘇生させる、純度の高いファンタジーの傑作である。
(清水節)