潜水服は蝶の夢を見る : 特集
「バスキア」「夜になるまえに」のジュリアン・シュナーベル監督の最新作「潜水服は蝶の夢を見る」は、全身麻痺になってしまった男が、瞬きだけで意思を伝えることで自伝を書き上げたという驚きの実話を映画化した一作。ポエティックなタイトルが表すように、主人公視点のカメラワークは周囲の世界を美しく映し出す一方、「もしも自分の体が動かなくなったら?」ということを想像させられ、いつしか主人公と一体となる観客は、訪れる結末に静かに涙すること請け合い。そんな本作に主演したマチュー・アマルリックに話を聞く。(取材・文:佐藤睦雄)
イントロダクション~「潜水服は蝶の夢を見る」とマチュー・アマルリックとは?
「バスキア」で“黒人”画家ジャン=ミシェル・バスキア(ジェフリー・ライト)の27年の短い生涯を描き、「夜になるまえに」でキューバ出身の“ホモセクシャル”な亡命詩人レイナルド・アレナス(ハビエル・バルデム)の数奇な人生を描いた、映画作家ジュリアン・シュナーベルが選んだ題材は、“闘病”生活を余儀なくされる男、ジャン=ドミニク・ボビー(愛称ジャン=ドー)のあまりに感動的な末路だった。
「潜水服は蝶の夢を見る」の主人公は、パリのファッション誌「ELLE」の編集長だったジャン=ドー、42歳。彼は、超一流の服を着て、超一流の食事と酒を楽しみ、超一流の旅を満喫して、超一流の女と戯れている、そんなちょいワルオヤジだ。だが、ある日、愛車のジャガーを転がして、パリ郊外の(事実婚状態の)妻と暮らす子供たちの元へ遊びに行った帰り、彼の人生は急転直下する。脳梗塞を起こした彼は、左目の瞳と瞼の筋肉としか動かなくなり、左目の視覚と聴覚以外のすべての感覚がマヒしてしまうのだ。
肉体という檻に閉じこめられた“ロックト・イン・シンドローム”という症状に陥り、潜水服を着たような状態になったジャン=ドーは、絶望の淵に落とされるが、蝶のように飛躍できるイマジネーションと記憶を頼りに自伝を書き始める。
美しい言語療法士が苦心の末編みだしたコミュニケーションの手段を使って、綴るわけだ。彼女が「E、S、A、R、I、N……」とフランス語単語の使用頻度順に並べたボードのアルファベットを読み上げる。ジャン=ドーは(聴覚はあるので)欲しい文字の時、2度ウィンクして1文字ずつ選んでいく。そうして20万回のまばたきの果てに完成するのが、ジャン=ドーによる自伝「潜水服は蝶の夢を見る」である。
スティーブン・スピルバーグ監督の「ミュンヘン」で謎めいた小男の武器商人ルイを演じたフランス人俳優マチュー・アマルリックは、スピルバーグの右腕である同作プロデューサーのキャスリーン・ケネディに請われて、この難役に挑んだ。ついでながら、美しい言語療法士役のマリ=ジョゼ・クローズも「ミュンヘン」に出演していたし、撮影監督のヤヌス・カミンスキーをはじめとするスタッフはスピルバーグ組で固められている。
映画が感動的なのは、「奇跡の人」のヘレン・ケラーとサリバン先生ではないが、ジャン=ドーと美しい看護師、美しい妻や恋人との苦痛にも似たコミュニケーション法をじっくりと語っているからだろう。まばたき20万回など、狂気の沙汰としか思えない。そしてまた、彼の左目と化したカミンスキーのカメラワークが圧倒的に素晴らしい。
シュナーベル監督はこの映画でゴールデン・グローブ監督賞と外国語映画賞を受賞。また、米アカデミー賞でも監督・撮影・脚色・編集賞の4部門にノミネートされるという快挙を成し遂げた。
シュナーベル監督の信奉者で、前作「夜になるまえに」でボンボンという抱腹絶倒のおかまキャラを演じたジョニー・デップは、07年にもっとも感動した映画としてこの作品を挙げているほどだ。
その秘密を探るべく、現在製作中の007シリーズ最新作「007/クォンタム・オブ・ソラス(Quantum of Solace)」で、ジェームズ・ボンドの敵、ドミニク・グリーン役に抜擢され、今後国際的な活躍が期待される、パリにいたマチュー・アマルリックを電話で直撃した。難役ジャン=ドーを演じた苦労話から、感動のツボとなる脚本やカメラワークについて明かしてくれた。
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