「グイドにインスピレーションを与える女性たち」NINE Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
グイドにインスピレーションを与える女性たち
サイコーにゴージャスでファッショナブル!ミュージカル映画はこうでなくっちゃ!
本作は、映画史に残る大傑作、フェデリコ・フェリーニの『8 1/2』を原案としたブロードウェイ・ニュージカルの映画化。したがって『8 1/2』のリメイク作品ではない。なので当然『8 1/2』と比べられないし、比べてはいけない。しかし、個人的に大好きな『8 1/2』とついつい比べてしまうのが人情ってもの(笑)。
スランプの映画監督グイドの女性関係と妄想世界を描く本作は、ともすると華やかな女優たちに目が行きがちだが、主人公グイドをいかに魅力的に描けるかがカギとなる。グイドは次回作の脚本が全く浮かばないという大スランプに陥っているが、制作者サイドから撮影開始を強要され、思わず現場から逃げ出すような無責任男。さらにかなりの女好きというダメダメな男だ。デイ・ルイスは、持ち前の演技力で、猫背でボソボソ喋るダメ男を好演してはいるが、スタイルの良さも相まってか、フェリーニ版のマルチェロ・マストロヤンニのグイドよりスマートな主人公像になっている。彼の醸し出すフェロモンから『存在の耐えられない軽さ』のトマシュが想起され、単純な“プレイボーイ”という印象になってしまっている。だから妻に愛想つかされてもしょうがないかな、と思わせる。しかしマストロヤンニのグイドは、単なる女好きなのではなく、深層心理に女性に対しての畏怖の念が見て取れる。そのためどんな女性軽視の妄想が展開されても、最終的に許せてしまうキュートで魅力的なグイド像だった。
さて、本作が『8 1/2』から1/2足されて『9』になった、その1/2分は何だろう(笑)?これはいったい妄想なのか現実なのか、それとも全て夢なのかと、グイドの頭の中を写し取ったかのようなカオスな世界観が楽しいフェリーニ版だが、本作は妄想シーンをミュジージカル、進行形のストーリーをドラマ部分に分け、スッキリと解り易い。さらにドラマ部分にはストーリー性を持たせ、妻に逃げられたグイドはついに映画製作を中止し、傷心が癒えた数年後に新しい映画を撮り始めるというラストシーンになっている。もちろんこれは大変解り易くて良いのだが、やはりフェリーニ版と比べるとずいぶんと物足りない。
しかし本作の真の価値はミュージカルシーンにある。ゴージャスな夢の世界に心躍る。それぞれのキャラクターに合った楽曲とダンスの高揚感がハンパない。特に野獣(笑)サラギーナ(ファーギー、個人的にはもう少し太っていてもいいけど・・・)の『Be Italian』と、主題歌とも言えるケイト・ハドソンの『Cinema Italiano』は繰り返し観てもワクワク・ゾクゾク。はじけるシャンパン・ゴールドの映像もマッチしてサイコーにファッショナブルだ。もちろん超豪華な女優陣を観るだけで幸せだ。
だが、本作の白眉はラストシーンにある。あたかもカーテンコールのように登場人物がスポットライトを浴びて登場するのだが、彼女たちが登場する扉、それは正しくグイドのアイデアの扉だ。少年グイドの呼びかけで始まるラストシークエンスは、グイドの人生の振り返りであり、新たな空想世界(映画)の始まりなのである。彼に関わったゴージャスな女性たちは、彼にとってインスピレーションの源(あるいは全て彼の作り出した幻影かもしれないが・・・)。しかし、グイドの元妻のルイザだけは、この扉から登場しないのである。そう、彼女こそ彼にとって唯一無二の“現実世界”の女性なのだ。このオチの付け方が何ともニクイではないか。
こういう作品を観るとやはり映画は究極のエンターテインメントなのだと思う。フェリーニ版のような映画制作に対する痛烈な皮肉というメッセージ性や強い作家性は無いが、「ただ楽しいだけでいいじゃないか」と思わせるのも映画の魅力の1つなのだから。