「特撮技術はこの映画の為に!見える現実世界と見えない心の内側」マン・オブ・スティール Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
特撮技術はこの映画の為に!見える現実世界と見えない心の内側
今から35年前の78年に制作された「スーパーマン」も当時の映画撮影技術の総力を結集した、最先端技術に因る大迫力シーンをスクリーンに蘇らせる事に成功した作品だ。
そして、今作を今観て思うのは、映画の特撮技術とは、やはりこの「マン・オブ・スティール」の様な作品制作の為にこそある技術だと実感する。
だから、出来るならこの迫力の画面は絶対に、ドデカイスクリーンで、3Dで観なくては勿体無い!と思う。少々高くても、決して損はしない筈だ。そして、くれぐれもDVDが出る迄なんて、待ってはもったいない映画なのだ。
映画は、やはり魅せ物だ。ストーリー抜きに、先ずは映像その物の迫力や、美しさや、力強さなどのあるスピード感、その物を体感する事も映画を観る魅力の一つだ。
文学が言葉その物を駆使する事によって、その言葉の持つ世界感を深く描き出すのと違って、映像は、そのシーンの画面を観るだけで、作者の制作意図の総てを一瞬にして理解させ、伝える力を持つ。これぞ、映画の醍醐味と言う物です。魅せる楽しさ、スクリーンに幻想の世界を映し出す面白さの原点がこの作品には絶対有ると思うのです。
映画のストーリーは、今から80年以上も前に生れたアメコミの代表作だから、今迄にも色々とスクリーンに登場しているので、大まかなストーリーを知らない人もいないだろう。
だから、本作にとっては、ストーリーそのものは余り重要では無く、何処まで迫力のある映像を魅せてくれるのか、その楽しみに尽きると思う。
その点今作は、申し分無く楽しめる作品だった。
そうは言っても、クリストファー・リーヴの「スーパーマン」大好きだった私には、2作品の違いが気になり、78年の作品の細かい所は忘れているので、この映画を観る前に再度DVDでチェックして観た。
クラーク・ケントが学生時代に学校で、仲間外れにされていたシーンなどは完全に失念していた。そして、デイリープラネット社で新人記者として働くクラーク・ケントのボケとスーパーマンに変身した時のシャープで粋な振る舞いの、そのギャップの楽しさがある作品で、見直すと、映画館で観た当時の思い出も同時に蘇って来て、個人的にはもの凄く楽しかった。
今回の「マン・オブ・スティール」ではより、このクラーク・ケントが自己のアイデンティティーに悩める様が深く描かれている。そして、自己の秘密を理解したその後の彼が、水を得た魚の様に、力試しをするシーンの彼の表情が何か、凄く嬉しそうで、胸が一杯になった。更に、育ての父ジョナサンをケヴィン・コスナーが演じ、この父子の心の絆もより更に印象深いシーンで感動的だった。
ところで、世界恐慌後の希望として、30年代に「スーパーマン」は誕生し、70年代後期にヴェトナム戦争で行き詰まったアメリカが、新しいヒーローを渇望して「スーパーマン」は生れた。
ならば、今アメリカは自己のアイデンティティーに苦しんでいるのかも知れない。
劇中、クリプトンで反逆を企んだメンバーが、エル(クラーク・ケント)を地球迄追って来た時に、進化した物が生き残るのだと言う。確かに自然界は厳しく、進化の波の中で巧く泳ぎ抜き、生き残るのは至難の業だ。そして自然界に於いては、生き残った者が生きる権利を有すると言う事も納得出来るのだ。しかし、事人間界に限って言うならば、何を持ってして進化と呼ぶのかは、神のみぞ知る事ではなかろうか?
進化している筈と考えている人間の文明も実は、結果として退化を促進させているだけなのかも知れない。
人間の進化や、退化なども、遠い未来の人間が過去の現実をどう捉えるのかで、決定するのではないだろうか?