アイ・アム・レジェンド : 映画評論・批評
2007年12月11日更新
2007年12月14日よりサロンパス・ルーブル丸の内ほかにてロードショー
映像技術の進歩は感じるが、知の部分の空洞の大きさに愕然とする
CGによる映像技術の進歩が、逆に映画作りを難しくしていると感じさせられた一本だ。ま、この映画に限ったことじゃないけどね。荒れ果てた無人のマンハッタンを鹿やライオンが走り回る光景はまさにその進歩の賜。殺人ウィルスに感染して凶暴になり、暗闇でしか生きられないダーク・シーカーズの超人的な動き、強さも、CGのお陰だ。TVスポットでは「たった1人生き残った」ウィル・スミスを強調していたが、それは「元の体のままの人間」という意味。変異した人間たちは圧倒的多数派なのに、どうやって生きているのか、凶暴な動き以外は何も描かれていない。マシスンの原作では彼らこそが新人類で、それが最高のアイロニーになっているのだが。
CGの進歩で何でも描けるようになって、映画の作り手たちは見えるものだけで勝負するようになった。見えないものを想像させ、考えさせるからこそ面白くなるのに。この映画もしかり。ウィルの日常生活、孤独や喪失感などははっきり見えてとても分かりやすい。見ている間はそれなりに楽しい。だが、見終わってから、あそこはどうなっているのと考え始めると、知の部分の空洞の大きさに愕然とする。コンピューターを一つ破壊するだけでライフラインを全滅させられる時代、ガスや電気や水が元通りってどういうこと?と、酒の肴になる突っ込みどころは満載だ。
(森山京子)