コレラの時代の愛のレビュー・感想・評価
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予想に反してじめッと感は薄い
予告でイメージしていたものと違い、
何十年も思い続けてじめーっとした視線を常に送ってる
映画かなと思ったんですが
(まあじめっと見てはいるんだけど)
意外にも映画全体のノリはコミカル。
この映画を理解するには自分は若すぎるのか
当時の時代背景に造詣がなさすぎるのか。
一人の女性を思い続ける(肉体はべつにしても)男と、
自分で自由に生き方を選べなかった女性が
長い年月を経て
やっとこ自分の思いのままに
将来を選べ魂の永遠を得る…。
ってことなんだろうか?
深読みしすぎ?
ちょっとしたことで絡むから「コレラ」なのか
それともその時代を暗に示す「コレラ」なのか
まあなんだ。
観ながら
人間だもの、そういうこともあるよね?
理屈で説明できない行動もあるよね?
って好意的に補完しないと
どうにもこうにも人物たちについていけない。
あんまりにも補完を求められることが私には多かった。
最後もヒロインは本当に愛してるのかなあ?
紆余曲折あったから
そりゃあ浮かれまくりなんてことは
できないだろうけど
なんとなく…ヒロインは…どうなんだろう。
子どもたちを振り切って旅行に出たくらいだから
意思表明はしてるってことでファイナルアンサー?
2文字でいうなら【執念】の映画。 感覚が全く違うのと行動が行動なの...
2文字でいうなら【執念】の映画。
感覚が全く違うのと行動が行動なので、待ち続けたという気持ちになれない。
成就するところは感動的なシーンのはずなのだが感動しない。
凄いとは思う。
ストーカー男にドン引きする前半の99%
ハビエルの黒歴史か w
「ライオン・25年目のただいま」という感動名作があったが、本作はまったくもって「50年目の“がぶり寄り”日記」である。
マザコンにしてシスコンのおっさんの生き様については、うーん、どう反応してよいものか・・622ページ、たっぷり悩ませてもらった迷作であった。
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50年越しの愛にあなたは感動できますか?
以前に観た「セレンディピティ」という、ライトタッチなアメリカのラブコメ、
⇒あれは恋人たちの“すれ違い物語”だった。
あの映画で、劇中の小道具として登場し続ける一冊の本、それが「コレラ時代の愛」、その初版本。
南米のノーベル賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスの著書だった。
あれをきっかけにようやく本作DVDを探し当てての鑑賞。
マグダレナ川
オリノコ川
ラプラタ川
ネグロ川と
巨大な河が滔々と悠久の時を従えて流れる「河川小説」が原作。
時の河は流れて止まらない。
しかし人間たちの思いは遥か大河を遡りゆき、流れに乗ってゆっくりと下り、再びそこを遡る。
舞台としては不足はない。
ところが延々と見せられるのは盛りのついたキモ男の女体への沈溺なんですが。
「マカ」はかの地南米の名産だが、梅毒もあの地の風土病だったはずたがなぁと、雑念妄想に悩まされる。
オスカー俳優にも、そりゃあ黒歴史はあるだろう。
原作者がいくらノーベル賞作家でも、脚本の出来や監督のパーソナリティーを見抜いて出演の可否を決定するのがいかに俳優にとって難しい事なのか ―
それを証明する好例かもしれない。
原作は
大著だが、Amazonのレビューでは好評価を受けている。
映画ではなんの狙いか、矢鱈とトップレスを登場させるばかりで、あれは視聴率を稼ぎたかっただろうか?
仕舞いにはハビエルの汚い全裸も見せられたが・・萎えた。
B級。
「あ!この男、ちょっと変だ・・」
市場で再会したときのフェルミナの「直感」。
ああいう「直感」は終生大切にしなければならないのです。
ところが、最後の1%のエンディングで、多少文学めいたシーンを持ち込んではみてもキモ男の挽回は無理なのに、
フェルミナに失礼でしょ!
僕の制止も聞かず毒牙にかかるフェルミナ。
唖然とする他なかった。
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赤ひげ薬局提供
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あるぶっ飛んだ愛の物語
コロンビアのノーベル文学賞作家ガルシア・マルケスによる壮大なラブストーリー。以前から原作を読んでみたいと思いつつ取りかかれず、映画なら2時間であらすじがさらえるということで鑑賞しました。
ちょっと長かったけど、このぶっ飛んだ愛の物語に引き込まれました。主人公は50年以上も1人の女性を想い続け、それだけでなく近くで彼女の消息を見守り続けるかなり思い込みの激しいストーカー気質の男です。しかも彼女に貞節を誓いつつも何百人もの女性と性関係を結び、それを記録につけているというアタマのおかしい男性です。
ところがこれが小説となると、あり得るかもと思えてしまう。
純粋な愛を貫きつつ、性描写は滑稽であっけらかんとしていてラテン的なところが笑ってしまう。
この映画で生まれて初めて70代男女のラブシーンというもの、70代女性のヌード(特殊メイクですが)を見ました。衝撃的!
ところどころ、興味深い文学的な表現があり、やはりじっくりと原作を読んでみたい、できることなら原文を味わってみたいと思わされました。劇中のセリフは英語ですが、スペイン語だったらもっと情緒が感じられたことでしょう。
主役のハビエル・バルデムはかなり個性的なお顔立ちで苦手だったのですが、やはり上手いですね。特に老年時代の身のこなしはとても自然でした。彼のお芝居でこの映画にまたひとつ説得色が生まれたと思います。
きっと私が哀れな抜け殻だからだろう
映画「コレラの時代の愛」(マイク・ニューウェル監督)から。
愛をテーマにした作品だったから、愛に関する表現が溢れた。
「春の訪れと共に、あなたへの想いが私を満たします」
「花開いたばかりのバラのようだ」
「恋の雷に打たれ、身も心も燃え尽きてしまった」
「愛は、裸ですること、全て。
腰から上の精神愛、腰から下の肉体愛、分断された愛」
恥ずかしくて口に出来ないような台詞も・・
「これがどういうものかわからなかったの、とても変な形。
女性のものより不格好ね」(汗)
気になる一言は、622人もの女性と性交渉を重ねた主人公が、
「なぜあなたは女性にモテるんです?」という質問に答える。
「きっと私が哀れな抜け殻だからだろう」
どうして、こんな男性がもてるんだろう?という疑問を抱え、
この映画を観ていたから、妙に納得してしまった。
50年以上前に、恋に落ちた女性を待ち続けた主人公にとって、
600人以上の異性とSEXをしても、心は君のことしか考えていない。
ラストシーン「君のために、純潔を守り通した」と言い切る
その台詞で「哀れな抜け殻」という意味がわかった。
この時代の女性にとって「都合のいい男」だったのかも。(笑)
この境地になればモテるのかもしれないが、なんだか寂しいなぁ。
カツラ男の純愛。
名画座にて。
偉大なるカツラ俳優ハビエルの、今回はどんな被りが…??と
不謹慎な楽しみを携えて観てみた今作、前半~中盤までは
エェ~!?と思うくらいの好青年が、彼の青年期を演じていた。
その好青年期(爆)彼と恋に落ち、結婚するはずだった令嬢が、
市場で突然!顔面変わりした(爆)バルデムに声をかけられて…
ゾッ!とする表情を見せる場面…(ホラーかと思った)
いや~私もかなりゾッ!ときてしまった。スイマセン。。
ミスキャストとは言わないけど。でもねぇ…だったら青年期を
もっと顔面形状しつこい顔立ちの男子にすりゃ~良かったのに。
アレはないですよねぇ?アレは…^^;
ま、いいんですが。
で、この題名からしてコレラの時代の恋愛モノなんだけど、
別に彼らがコレラにかかるというわけではありません。
もちろん蔓延していた時代なんで、彼らがかかっても全く
不思議ではなく、むしろあの町にいてかからない方がすごく
ラッキーだったとしか言いようのない感じ。。
だってハビエルなんて、性病にかかってもいいくらいだぞ~。
51年9ヶ月と4日、初恋の女性に対し精神では貞節を守りながら、
身体では622人の女性達と関係を持った彼。(日記までつけてる)
もちろんカツラも時代毎で被り変え、フサ~ハゲまで自由自在。
彼の場合、あのハッキリとした顔立ちが髪の毛量パワーなど
消し去ってしまう勢いがあり、加えて性格が甘く優しいという^^;
どう折り合いをつけていいのか分からない?複雑な役どころを
見事に好演。ものすごいパワーを感じさせてくれる。
ヒロイン役G・メッツォジョルノも美しい上にかなり大胆^^;
ラストの脱ぎっぷり(特殊メイク?合成?)には顔面蒼白…。
全体的に肉欲的な映像が多いものの、「これは愛だ」と
全面的に謳っているため、あっけらかんと観れるのも一向。
結局は主人公ハビエルの一人勝ちというか(言い方悪いか)
彼女との時間を密にするために彼が最後に選ぶ手段には、
それまでの経過からして(悪いけど)ニヤリとしてしまった。
(彼がなぜ青年期を演じなかったのか、想像つくけど知りたい)
作品自体は、冗長気味。ハビエル・バルデムという俳優の凄みを感じさてくれました。
作品自体は、冗長ではありましたが、ハビエル・バルデムという俳優の凄みを感じさてくれました。なにしろ53年間もひとりの女性を思いつづけ「純潔」を守り抜くという主人公フロレンティーノを演じる訳ですから、その醸し出す雰囲気にそれだけのことをやり遂げられるという説得力が必要です。
またこの役所には、次のような飛んでる一面もあって、まさにウルトラC級の難しい役作りが求められるキャストであったのです。
フロレンティーノは、フェルミナへの精神的な純潔を守りつつも、愛が叶えられない反動から、ほとんどビョーキのごとく片っ端に女に手を出していくのです。その数なんと622人!
フロレンティーノ主人公の血筋は、プレイボーイ一家。父親もさんざん女を作ってフロレンティーノの母親を泣かせていたのです。血は争えません
なかには不倫相手の女性を伴侶に殺されてしまったりという波乱を生むこともありました。また70歳超えても親戚の女子大生とエッチするくらい、モテモテで精力家であったのです。
このように述べると、フロレンティーノのイメージは、希代の女たらしで軽薄な男のように思えてしまうかもしれません。しかし彼は詩人であったのです。仕事の契約文書ですら、恋文風に表現してしまうくらいに。そして、生き方そのものを詩にしてしまったのでしょう。彼にとって女性との出会いは、愛の狩人と言った方がいのかもしれません。
こんなフロレンティーノを、バルデムはいやらしさを微塵もさせないポーカーフェイスで演じきってしまいました。いやはやお見事の一言です。バルデムが演じるフロレンティーノはどこまでも外見は純真、潔白な紳士。そして近づくと愛について激しく語りかけてくる情熱家。そのギャップが女たちをトリコにさせてしまったのでしょうか。
画面で見ても、53年間フェルミナを一途に思い続ける熱いパッションを感じさせる一面をバルデムははっきりと感じさせてくれたのです。
ベッドシーンも多く、官能的な台詞も多々あるなかで、バルデムがいなかったらただのポルノ作品になってしまったかもしれません。中でも、ラストの70歳を超えたカップルのベットシーンは、少しもいやらしさがなく、感動すら感じました。
ただ残念なこととして、中盤が長すぎました。フロレンティーノの女遍歴を描くところではもう少し縮めてもよかったのではなかったでしょうか。それとフェルミナが結婚してしまうところでは、逆に唐突すぎて、もう少し複線を置いて、彼女の心変わりの軌跡を描いてもよかったのではないかと思います。
また、重要な背景となるコレラの蔓延と内戦の悲惨さという面はあまり描かれておらず、恋愛ものに特化してしまった点も、もう少し描き方があったのではないでしょうか。
原作の忠実な再現を求めて舞台となるカタルヘナでロケを行ったそうです。映像的には大変美しく、南米の異国情緒をたっぷり感じさせてくれました。
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