「不条理に打ちのめされた」ノーカントリー masakingさんの映画レビュー(感想・評価)
不条理に打ちのめされた
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理由は特にないが、昨晩、数年ぶりで観直した。
ハビエル・バルテムが演じるアントン・シガーの不気味さは、作品全体のトーンでもある。逃げても逃げてもなぜか追ってくる。避けられようのない災厄の象徴だ。そして、人間は、なぜかその類のものを呼び寄せる方向へと行動してしまう。その象徴がジョッシュ・ブローリン演じるモスだ。
自分が、モスの健闘ぶりになぜこんなにも肩入れしてしまうのか、そしてあっけなく、しかもシガー以外の追っ手に射殺された時、激しい喪失感を感じるとともに、せめてシガーとの対決で死なせてほしかったと願ってしまうのか、久しぶりに観直してようやく自分の感情の理由がわかった気がした。
逃れることのできない宿命を前にして、最後まで闘ったモスと、闘いの螺旋から降りたトミー・リー・ジョーンズ演じる保安官との対称性に愕然としたのだ。だから、自分にもいつか訪れる理解不能な多くの事柄(テロだの、無差別殺人だの、原発だの、AIの進化だの…)に、最後まで抗ったモスを、知らず知らず自分に重ねていたのではなかったか。
モスにも、シガーにも、突然全く異なる角度から訪れる災難に、生きることの不条理を感じてしんどくなった。『ビッグ・リボウスキー』のようなおバカ作品にも、同じようなメッセージは隠れていたが、こう正面切ってシリアスにそれが描かれると、1日をブルーな気分で過ごす羽目にしてくれたコーエン兄弟に、少し八つ当たりしたくなる。
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