ライディング・ザ・ブレット
劇場公開日:2005年7月23日
解説
モダン・ホラーの帝王スティーヴン・キングが1999年に交通事故で重傷を負い、臨死体験を経て生まれた短編小説を基にしたホラー映画。監督は、「スリープウォーカーズ」やTV映画『シャイニング』などで、何度もキングの映像化作品を手がけてきたミック・ギャリス。キング・ファンにはニンマリできるようなお遊び場面もあり。
2004年製作/99分/アメリカ
原題または英題:Riding the Bullet
配給:日活
劇場公開日:2005年7月23日
ストーリー
1969年10月30日、ハロウィン。アラン・パーカー(ジョナサン・ジャクソン)は、メイン州立大学に通う21歳の画学生。他の学生と同じくマリファナを喫い、ロックを楽しみ、ガールフレンドとつきあい、それなりの学生生活を送っていた。だが、どこか他の生徒とは異なり陰のある雰囲気を漂わせている。わずか6歳で父親を亡くしたことと、ある恐ろしい過去が契機となって、常にクールに客観視する別の自分が存在するようになり、恋人のジェシカ(エリカ・クリステンセン)の言葉さえ全て否定的にとってしまう。誕生日にも関わらず、一人でバスタブに浸かりながらマリファナを喫い、カミソリの刃を弄んでいると、かつて自ら描いた死神が現れた。死神は手首にあてて自殺するように誘惑する。そこに、ジェシカと友人たちがいきなり「誕生日おめでとう!」の声とともに部屋に入ってきた。驚いたアランは、思わず手首に刃を走らせてしまった。結局、彼は病院に収容され、手首の縫合手術を受けた。ジェシカとは決別することになったが、彼女から特別な誕生日プレゼントをもらった。ジョン・レノンのペアのコンサート・チケットだ。全てから逃れようと、アランはルームメイトと旅の準備を始めるが、そこに電話が掛かってきた。母ジーン(バーバラ・ハーシー)が脳卒中で倒れたという電話だった。その知らせを聞いた時のイメージが、6歳の頃に死んだ父親の死と重なった。アランはコンサートを諦め、母親に会いに行く決意をする。母が収容されたのは、遥か190キロ先のルイストン病院。そこまでヒッチハイクしていこうとするが、乗せてくれるのは怪しい男たちばかり。意を決して向かったこの旅は、アランを恐怖迷宮の世界へと誘っていく。カラスが喋りはじめたり、自動車事故の犠牲者が突然掴みかかってきたり、亡き父親の姿を目撃したりと、不気味な幻想に苛まれる。それは生と死の狭間の道行であり、絶え間ない幻想と恐怖が、彼の過去・現在・未来を徐々に明らかにしていく。ヒッチハイクしようと腕を上げると、その小型トラックには銃を持った田舎の荒くれ者たちが乗り込んでいた。執拗に追いかけられ、必死で逃げ回っている時、遊園地のジェットコースター“ブレット”の恐怖と苦い思い出が蘇ってきた。12歳のときに母親と一緒にせっかく長い行列に並びながら、いざ乗る番になって、急にやめてしまった苦い思い出。実は“ブレット”に乗る直前、アランの目には乗っている自分が死神に突き落とされる恐怖の光景が映ったからだ。それこそが、彼が抱き続けていた恐怖だったのだ。たまたま紛れ込んでしまった墓地で、アランは自分と同じ誕生日のジョージ・ストーブという男の墓が目に入った。2年前の今日、亡くなったとされるその墓には、「楽しむことと、死は全く別」と墓碑銘が刻まれていた。次にアランが乗ったのは、例の墓の男ジョージ・ストーブ(デヴィッド・アークエット)の車だった。彼は何年も前に起きた事故で、頭がちぎれて死んだ。そして今は、死神の伝令者として生者の魂を集めている。ジョージは、アランとその人生について異常なまでに多くのことを知っていた。彼はアランに、父親が自動車事故で死んだのではなく、自殺だったことを教える。そして、アランに地獄の選択を迫る。アランか、母親か、どちらかが、恐怖の象徴である“ブレット”に乗ることになる。それは即ち死を意味し、その選択を拒めば、二人共命が奪われてしまう。次の町に着くまでに、アランは決断しなければならない。自分と母親。どちらを選択するのかを……。
スタッフ・キャスト
- 監督
- ミック・ギャリス
- 脚本
- ミック・ギャリス
- 原作
- スティーブン・キング
- 製作総指揮
- スティーブン・キング
- フランク・ヒュブナー
- イエルク・ベスターカンプ
- ジャン・ファントル
- 製作
- ミック・ギャリス
- デビッド・ランカスター
- グレッグ・マルコム
- ジョエル・T・スミス
- ビッキー・ソーサラン
- 撮影
- ロバート・ニュー
- 美術
- アンドリュー・デスキン
- 音楽
- ニコラス・パイク
- 編集
- マーシャル・ハーベイ