息子のまなざしのレビュー・感想・評価
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どうしようもない思いの表し方
自分の息子を殺した少年フランシスを見習いとして教えるオリビエ(失礼ながら知りませんでしたが、素晴らしい)、
何ができるのか、どうすればいいのか、どうフランシスに接したら自分が息子や妻の思いを納得しうるのか。
客観性を一切排除したカメラワークやライティングは信じられないほど、この気持ちを表し続けている
画面にはオリビエの思いと共に緊張感溢れ目を離せなくなる
この素晴らしい技術手法とオリビエの俳優の演技がすべてで、
そして物言わぬ父の思いを表し続け
フランス映画の正当な現代としてダルデンヌ兄弟がいる
4点したがほぼ5点、
作品の持つミニマムさが万人には受け入れ難さとも捉えての4点
【”貴方は大切な人を殺した人間を赦す事が出来ますか・・”ダルデンヌ兄弟がエンタメ性を一切排した独特のスタイルで観る側に重いテーマを投げかけた作品。】
■ご存じの通り、ダルデンヌ兄弟の作品は、「イゴールの約束」「ロゼッタ」でもそうだが、エンタメ性を一切排除したドキュメンタリーの様な風合で、重いテーマを描いている。
それは、不法移民問題であったり、貧困格差に会ったり、身近で起こっているテーマを扱っている。
今作は、それよりも重いテーマを扱っている。
今作の主人公オリヴィエを演じた今や名優と称される、オリヴィエ・グルメは今作でダルデンヌ兄弟作品は三作目の起用であるが、その期待に見事に応える、抑制した演技で、観るモノを惹きつける。
◆感想
・もし、自分の子供を殺した人間が目の前に現れたらどうするか・・。重いテーマである。
今作でも、5年前に幼き息子を殺されたオリヴィエ(オリヴィエ・グルメ)は、劇中一切笑顔を見せない。職業訓練校の木工の先生として、淡々と毎日を送っている。
・多分その事件が切っ掛けで分かれた妻と再会するシーン。オリヴィエはその前に職業訓練校にやって来た息子を殺した16歳のフランシスと出会っていた。
妻が、再婚の話と子供が出来た事を切り出すと、
”何故、今なんだ!”と声を荒げるオリヴィエ。
彼の中では、哀しき出来事は全く解決されていないのだ。
・フランシスを自らの教室に受け入れ、彼の話を少しづつ聞いて行くオリヴィエ。だが、彼はその後必ず腹筋をする。怒りを発散するかのように・・。
<ラスト、人里離れた木材所でオリヴィエはフランシスに”お前が殺したのは、私の息子だ”と告げる。そして、”5年も少年院に居たんだ”!”と逃げるフランシスを林の中で組み伏せ、首に両手を掛けるオリヴィエ。
だが、彼は直ぐにその手を放し、二人は共同作業で木材を梱包し始める。
人を赦す理由とは、何であるのか・・。観る側にそれを問いかける見事な作品であると思う。>
現実に引き入れるカメラアングル
少年犯罪とその後の再生を描いた真剣な映画。カメラ位置が終始主人公の傍らに置かれ、観る者を映画の現実の世界に引き入れる。およそ客観的な状況説明のカットは無く、登場人物の動きを後追いするカメラアングルで、観客を傍観者から一人の登場人物にしてしまう。といって登場人物の心理が解りにくいことはなく、人間の表情に集中出来るため理解しやすい。主題のための情報量の制限を試みた、実に独創的な演出を初めて体験する。BGMのない現実空間、美化されていない裸の人間、間違えれば独り善がりな演出になることに挑戦したダルデンヌ兄弟監督の挑戦は、新鮮な面白さを与えてくれる。
手持ちカメラの上下左右に揺れる映像に慣れるまでキツイが
非行少年の職業訓練学校の講師をしているオリビエは、息子を殺害した少年が、自分の学校に入った事を知り、それと対峙するドラマ
全編通して主人公のオリビエに、密着した手持ちカメラで、撮影した映像は、彼の生活と心情を近い視線から、観客に見せるのにひと役かっているのだが、間近で画角が狭くて被写界深度の浅い映像が、上下左右に揺れる映像には、慣れるまでキツイくて閉口するが、オリビエと少年の距離感が少しずつ変化してゆく過程を、スリリングに見せる術だと分かると、ジリジリと緊張感が増して映画に釘付けになる。
音楽もほとんど無くて、台詞も最小限だが、映像が互いの感情をそれとなく感じさせる演出と演技は、素晴らしく凄い。
後半に、二人で選木に行く過程でのロードムービー的シークエンスや無人の製材所でのやり取りも、何とも緊張感があり、深い余韻を残すラストも見事。
分かりやすい感動も泣きも無いが、ソリッドな、これぞ映画。
そういえば、二人が製材所に行く途中で寄ったカフェにアナログのサッカーゲームがあり、二人でプレイするけど、古今東西のヨーロッパ映画を見てると、カフェや酒場に大抵置いてあって熱心にプレイしている光景を見るが、日本でいえば野球盤みたいな物なのかな。
「赦し」は必要か
この映画のテーマは「人は聖者にならずに最も憎い人間さえも受け入れることができるのか」である。重要な点は、「赦し」てはいないという点である。
これは、原田正治『弟を殺した彼、と僕。』や窪美澄『よるのふくらみ』にも通ずる。
真の意味での寛容(tolerance)とは忍耐であり、そこに「赦し」必ずしも必要ではない。
劇中で、仇に対する憎しみが一瞬顔を出し、また引っ込む。そして最後に殺意を露わにする。
殺意と受容は両立可能であり、それを繋ぐのが寛容であると見事に映画で表現した傑作
緻密に練られたフィクションによるノンフィクションのような現実感
ダルデンヌ兄弟の究極に素朴な演出は究極の力強さを持っている。
食らいつくように密着した手持ちカメラの映像は、観客に追体験の感覚を持たせるとともに、写実主義の極致と言っても過言では無いほどの現実感を与えてくれる。
彼らは世界の圧倒的多数を占める"普通の人々"を主人公にそこに存在する複雑な感情を有するテーマを取り上げ、描く。
中でも今作は繊細で難しい。
"赦し"と"復讐"というテーマに徹底された写実主義でアプローチする。
その抑制された演出、俳優の演技は良くできている。
また、彼らの一番の上手さはその沈黙の演出にある。
何も語ら無い沈黙こそが、最も複雑で繊細な感情の発露の手段であることを心得ている。
世界のどこかに住む誰かの"人生の一部"を追ったドキュメンタリーであるかのようにリアルに映る映像は、緻密に計算された演出の賜物である。
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