息子のまなざしのレビュー・感想・評価
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どうしようもない思いの表し方
自分の息子を殺した少年フランシスを見習いとして教えるオリビエ(失礼ながら知りませんでしたが、素晴らしい)、
何ができるのか、どうすればいいのか、どうフランシスに接したら自分が息子や妻の思いを納得しうるのか。
客観性を一切排除したカメラワークやライティングは信じられないほど、この気持ちを表し続けている
画面にはオリビエの思いと共に緊張感溢れ目を離せなくなる
この素晴らしい技術手法とオリビエの俳優の演技がすべてで、
そして物言わぬ父の思いを表し続け
フランス映画の正当な現代としてダルデンヌ兄弟がいる
4点したがほぼ5点、
作品の持つミニマムさが万人には受け入れ難さとも捉えての4点
子のない父、父のない子
オリヴィエは職業訓練所で大工仕事を教えている。本人曰く教えることが好きだという。
幼い我が子を失ったオリヴィエは、いつか子どもにも教えたかったという想いがあることだろう。
作中で一度も呼ばれることはないが少年の名前はフランシス。
彼は父親がなく、母親の恋人からは煙たがられているようだ。家に、家族の元に居場所がない。
そのせいなのか、日本人の感覚では熱心に見えないかもしれないが、仕事を習得しようと頑張っている。
折尺を延ばせ畳めと理不尽に思えるような指示にも素直に従う従順さもある。
フランシスだってまだ子どもだ。どこかで父親を求めようとする感情はあるだろう。
それは、熱心に指導してくれるオリヴィエに自然と向き始める。
目測で距離を測れるという些細なことであっても純粋にすごいと思える部分があることも大きい。
人の感情というものは白か黒かなどとハッキリしていることのほうが珍しい。多くはグレーだ。
我が子を殺した男に対する憎しみと、自分を父親のように慕ってくることに対する愛情の狭間でオリヴィエの感情は揺れる。
クライマックス、オリヴィエの感情はグレーに固まった。だからこそ唐突に秘密を打ち明けた。
もうオリヴィエの中で隠す必要がなくなったからだ。
しかし咄嗟にフランシスは逃げ出す。揉み合いになったあと、一人作業に戻るオリヴィエ。そこへ泥だらけのままフランシスは現れた。作品パッケージになっているショットだ。
オリヴィエにとってその姿は、復活し戻ってきた我が子に見えたかもしれない。
ラストは、無言のまま共同作業をする二人の姿。
初めての作業であるにもかかわらず、教えたり指示しなくても協力し合えるというのは、想いが一つになったということではないだろうか。
オリヴィエに密着する手持ちカメラによる長回しの多用は、本作よりかなり新しい「サウルの息子」のようにインパクトのある緊張感を創出する。
後半になり密着するカメラが少し引き気味になるのは視野の広がったオリヴィエの心を表しているよう。
「言葉」ではないところで物語を伝えようとするダルデンヌ兄弟はいい監督だなと思うと同時に、もしかして結構好きなのかもしれないと、うっすら感じ始めている。
最初は観てるの疲れたが…
説明がなく台詞も少ないまま、登場人物の日常を映す最初の方は、見てるのに疲労感を覚え、
あの新入り少年に執着してるのはなぜ?と気になる展開の中、
なんとなく、矯正施設?の職業訓練かな?と思えたり、
この女性は元妻なんだ、
など少しずつ点がつながったところに
まさかの、息子を殺した少年…
部屋に忍び込むところや、二人きりのときの会話など、ハラハラした。
後見人…まさか引き受けないよね?でも息子殺した憎い奴のはずなのに良くしてあげてるし、
因縁を知らせないまま更生を支えるのか…?
などと妄想が止まらなくなったところで
ああなるとは…
何をして捕まったのか、の問いに「人を殺してしまった」ではなく、盗みだよと、将来は若気の至りでさ〜と勲章のように語りそうな様子に、私の頭が沸騰してしまった。
「5年も償った」なんて言われたり、すぐに逃げるところ、私なら「なんだこいつ、償ってなんかないじゃないか」と息子と同じ方法で殺してしまうな…
最後まで描かないのに、不思議とモヤモヤはなかった。
観終わってみれば満足度高かった。
それでもなお、彼はなぜ息子を殺した奴に丁寧に仕事を教えられたのだろうと気にはなった。
赦しや更生がテーマの映画ではないのだろうなと。
これ以上ない苦痛を与えられても、人生は続くこと。
【”貴方は大切な人を殺した人間を赦す事が出来ますか・・”ダルデンヌ兄弟がエンタメ性を一切排した独特のスタイルで観る側に重いテーマを投げかけた作品。】
■ご存じの通り、ダルデンヌ兄弟の作品は、「イゴールの約束」「ロゼッタ」でもそうだが、エンタメ性を一切排除したドキュメンタリーの様な風合で、重いテーマを描いている。
それは、不法移民問題であったり、貧困格差に会ったり、身近で起こっているテーマを扱っている。
今作は、それよりも重いテーマを扱っている。
今作の主人公オリヴィエを演じた今や名優と称される、オリヴィエ・グルメは今作でダルデンヌ兄弟作品は三作目の起用であるが、その期待に見事に応える、抑制した演技で、観るモノを惹きつける。
◆感想
・もし、自分の子供を殺した人間が目の前に現れたらどうするか・・。重いテーマである。
今作でも、5年前に幼き息子を殺されたオリヴィエ(オリヴィエ・グルメ)は、劇中一切笑顔を見せない。職業訓練校の木工の先生として、淡々と毎日を送っている。
・多分その事件が切っ掛けで分かれた妻と再会するシーン。オリヴィエはその前に職業訓練校にやって来た息子を殺した16歳のフランシスと出会っていた。
妻が、再婚の話と子供が出来た事を切り出すと、
”何故、今なんだ!”と声を荒げるオリヴィエ。
彼の中では、哀しき出来事は全く解決されていないのだ。
・フランシスを自らの教室に受け入れ、彼の話を少しづつ聞いて行くオリヴィエ。だが、彼はその後必ず腹筋をする。怒りを発散するかのように・・。
<ラスト、人里離れた木材所でオリヴィエはフランシスに”お前が殺したのは、私の息子だ”と告げる。そして、”5年も少年院に居たんだ”!”と逃げるフランシスを林の中で組み伏せ、首に両手を掛けるオリヴィエ。
だが、彼は直ぐにその手を放し、二人は共同作業で木材を梱包し始める。
人を赦す理由とは、何であるのか・・。観る側にそれを問いかける見事な作品であると思う。>
現実に引き入れるカメラアングル
少年犯罪とその後の再生を描いた真剣な映画。カメラ位置が終始主人公の傍らに置かれ、観る者を映画の現実の世界に引き入れる。およそ客観的な状況説明のカットは無く、登場人物の動きを後追いするカメラアングルで、観客を傍観者から一人の登場人物にしてしまう。といって登場人物の心理が解りにくいことはなく、人間の表情に集中出来るため理解しやすい。主題のための情報量の制限を試みた、実に独創的な演出を初めて体験する。BGMのない現実空間、美化されていない裸の人間、間違えれば独り善がりな演出になることに挑戦したダルデンヌ兄弟監督の挑戦は、新鮮な面白さを与えてくれる。
手持ちカメラの上下左右に揺れる映像に慣れるまでキツイが
非行少年の職業訓練学校の講師をしているオリビエは、息子を殺害した少年が、自分の学校に入った事を知り、それと対峙するドラマ
全編通して主人公のオリビエに、密着した手持ちカメラで、撮影した映像は、彼の生活と心情を近い視線から、観客に見せるのにひと役かっているのだが、間近で画角が狭くて被写界深度の浅い映像が、上下左右に揺れる映像には、慣れるまでキツイくて閉口するが、オリビエと少年の距離感が少しずつ変化してゆく過程を、スリリングに見せる術だと分かると、ジリジリと緊張感が増して映画に釘付けになる。
音楽もほとんど無くて、台詞も最小限だが、映像が互いの感情をそれとなく感じさせる演出と演技は、素晴らしく凄い。
後半に、二人で選木に行く過程でのロードムービー的シークエンスや無人の製材所でのやり取りも、何とも緊張感があり、深い余韻を残すラストも見事。
分かりやすい感動も泣きも無いが、ソリッドな、これぞ映画。
そういえば、二人が製材所に行く途中で寄ったカフェにアナログのサッカーゲームがあり、二人でプレイするけど、古今東西のヨーロッパ映画を見てると、カフェや酒場に大抵置いてあって熱心にプレイしている光景を見るが、日本でいえば野球盤みたいな物なのかな。
「赦し」は必要か
この映画のテーマは「人は聖者にならずに最も憎い人間さえも受け入れることができるのか」である。重要な点は、「赦し」てはいないという点である。
これは、原田正治『弟を殺した彼、と僕。』や窪美澄『よるのふくらみ』にも通ずる。
真の意味での寛容(tolerance)とは忍耐であり、そこに「赦し」必ずしも必要ではない。
劇中で、仇に対する憎しみが一瞬顔を出し、また引っ込む。そして最後に殺意を露わにする。
殺意と受容は両立可能であり、それを繋ぐのが寛容であると見事に映画で表現した傑作
生きていくことの複雑さ
息子を殺された父親と子供を殺してしまった少年の物語。
少年の存在を知り最初は木工クラスへの受け入れを拒否するが、心の動揺のまま衝動的に少年を受け入れる男。元妻に狂気の沙汰とまで言われ問い詰められた男は、自分でもなぜ受け入れたのかその理由がわからない。
5年の刑期で出てきた少年。16歳の少年にとっては人生の3分の1の長い償い。しかし父親にとっては癒されるにはあまりにも短い5年。
殺してしまいたいほど憎い思い。しかしその憎しみは
その少年を許すことでしか癒されない種類のものなのかもしれないと気づいてゆく。
被害者と加害者。償いと許し。後悔と絶望。立場は違えどお互いはコインの表と裏。ともに深い傷を負ったもの同士なのかもしれない。正体を隠し少年と向き合う時間の中で、複雑な胸の思いは、なんの明快な説明もつけられないまま終局を迎える。
男はただ告白する。おまえが殺したのは俺の息子であると。少年は困惑し逃げ惑う。逃げ惑う少年を男は取り押える。抑えつけ勢い余って首を絞めそうにさえなる。しかしすぐに脱力し男は仕事に戻る。少年は何も言わずその仕事を手伝う。
明快な理由は最後まで説明されない。しかし人生は続くのだ。物言わぬ二人の静かな決意に、言葉で簡単に置き換えることのできない、生きることの複雑さを感じた。
ダルデンヌ作品に言えることだが、説明的な描写は最小限で、ハンディカメラでただ時系列に沿って現象をおっていく。ドキュメンタリーに近い手法で登場人物たちの衝動的な行動やぶっきらぼうな言動が逆にリアリティを与えている。
いわゆる戯曲的なわざとらしさと無縁。でもこれこそが現実の世界なんだよね。素晴らしい。
緻密に練られたフィクションによるノンフィクションのような現実感
ダルデンヌ兄弟の究極に素朴な演出は究極の力強さを持っている。
食らいつくように密着した手持ちカメラの映像は、観客に追体験の感覚を持たせるとともに、写実主義の極致と言っても過言では無いほどの現実感を与えてくれる。
彼らは世界の圧倒的多数を占める"普通の人々"を主人公にそこに存在する複雑な感情を有するテーマを取り上げ、描く。
中でも今作は繊細で難しい。
"赦し"と"復讐"というテーマに徹底された写実主義でアプローチする。
その抑制された演出、俳優の演技は良くできている。
また、彼らの一番の上手さはその沈黙の演出にある。
何も語ら無い沈黙こそが、最も複雑で繊細な感情の発露の手段であることを心得ている。
世界のどこかに住む誰かの"人生の一部"を追ったドキュメンタリーであるかのようにリアルに映る映像は、緻密に計算された演出の賜物である。
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