模倣の人生

解説

「裏町」「昨日」に次ぐジョン・M・スタール監督作品で「裏町」「六百万交響楽」のファニー・ハースト作の小説を「青い部屋」のウィリアム・ハールバットが脚色したもの。主演者は「クレオパトラ(1934)」「或る夜の出来事」のクローデット・コルベールで、「クレオパトラ(1934)」「一日だけの淑女」のウォーレン・ウィリアムを始め、「奈落の青空」「家なき少年群」のロチェル・ハドソン、「虹の都へ」「一日だけの淑女」のネッド・スパークス、「爆弾の頬紅」「舗道」のルイス・ビーヴァース、ユ社が売出しの新小女優ベビー・ジェーン、「第三階段」「痴人の愛」のアラン・ヘール、その他が助演している。撮影は「昨日」「青白い瞼」のメリット・B・ガースタッドが担任した。

1934年製作/アメリカ
原題または英題:Imitation of Life

ストーリー

ビートリス・ブルマンは結婚後間もなく夫に死別して、3才になる娘ジェシーを抱えて世の荒浪と戦った。彼女はアトランチック・シティーに住んでいたが、女中の口を求めて来た黒人のデリラ・ジョンスンが、彼女と似た境遇で4才の小ピオラを連れているのに同情して共同生活を始める。デリラはお菓子作りの名人だったので、2人は相談のうえ「デリラ伯母さんの自家製菓子」の店を開業すると、これが大いに流行った。ビーの子ジェシーとデリラの子ピオラは大の仲良しだった。ピオラはハーフで殆ど白人の子の様だったが、少女となってジェシーはピオラが黒人である事を知り、軽蔑するようになる。そしてピオラは長ずるに従い、自己の民族を嫌忌する度が強くなる。ある日、失業中のエルマー・エドマンヅという男が店に来て、ビーに菓子の原料を大々的に売り出したら儲かると行った言葉から、ビーは即座にエルマーを支配人に雇い、「デリラ伯母さんの菓子のもと」を大規模に売り出す。10年後、ビーは女実業家として紐育5番街に大邸宅を持つ身分となり、1日夜会を開いたとき、来客の1人スチーヴン・アーチャーと恋に落ちる。その頃は娘たちも年頃になっていたが、ジェシーは寄宿舎に入っており、ピオラだけが母の許で家事の手伝いをしていた。ところがピオラはますます黒人嫌悪の念に縛られ、手におえなくなっので、ビーとデリラは相談のうえピオラを南部の黒人だけの大学に入学させる。ビーとスチーヴンは婚約したが、それはビーの娘ジェシーをスチーヴンに紹介するまでは発表しない事に決めた。南部の黒人大学からピオラが失踪したと知らせが来たときビーはデリラを慰め、2人で探しにいくこととなる。丁度そのとき休暇でジェシーが帰宅したので、ビーは娘の事をスチーヴンに頼んで出発する。しかし2人の捜索は無効に終わり、紐育に戻って来るととうのピオラは戻って来ていた。そして彼女は何故か知らない世界へ行ってしまうのだ、と宣言したので、デリラは落胆の余り心臓麻痺で急死してしまう。ビーはデリラが生前の望み通りに盛大な葬式を営んで親友の霊を慰めてやった。ピオラもついに自己の民族的運命に従うほかない事を悟り、ビーの家庭で女中として更生することとなる。スチーヴンはビーと近く結婚することを秘密にしていたので、感じ易い処女の心はスチーヴン慕はしの念に燃え始める。スチーヴンはジェシーにいまだ若年の娘は恋などに心を奪われてはならぬと諭した。一方それとは知らぬビーは娘がスチーヴンと余り親密になっては困るので、ビーとスチーヴンは婚約している事を告げる。そして黙っている娘の表情から、ビーは娘の胸内を読み取った。そしてビーは自分とスチーヴンとの結婚が娘の気持ちをすさませることを恐れて、彼に婚約解消を申し込んだのである。

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スタッフ・キャスト

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受賞歴

第7回 アカデミー賞(1935年)

ノミネート

作品賞  
助監督賞 スコット・R・ビール
音響録音賞  
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映画レビュー

4.0娘たちよ、母の生き様を“模倣”して…

2022年5月29日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

この作品、驚くべきは主演の
クローデェット・コルベールなのだが、
この作品と同じ年にアカデミー主演女優賞を
得た「或る夜の出来事」や
セシル・B・デミル監督の
大作?「クレオパトラ」と3本の話題作にて
立て続けに主演を務めている。
この「模倣の人生」も含め、
31歳の彼女の絶頂期の3作品だったのだろう。

さて、同じ原作でも、
白人母の女優としての成功譚に
ウエイトを割いた「悲しみは空の彼方に」
との比較だが、
基本的に「模倣の人生」の方が、
白人母があっさりと事業に成功する分、
出自に苦悩する娘の、
正に「模倣の人生」的行動に起因する展開に
重点が置かれているイメージだ。

また、白人母の同じ成功譯としても、
女優とパンケーキ業という基本的な違いが
あり、
「悲しみは…」では黒人母は
最後まで白人宅の家政婦だが、
この作品では陰ながらではあるが
パンケーキ会社の共同事業者だ。

他にも白人母を愛する男性の職業も
カメラマンと魚の研究者と違いがあったが、
「悲しみは…」で気になった
10年に渡る彼の長い思慕の念に
なかなか理解が及ばなかったのだが、
「模倣…」では白人母の成功後の登場なので
違和感はなかった。

また、白人娘が母を愛する男性に
想いを寄せることによって母の恋が
成就出来ない結末は、
「悲しみは…」でははっきりとは描かれない。

しかし、母との抱擁の際の混血娘の
口の動きだけで「ママ」と呼ぶ場面と、
黒人母の臨終での独白のシーンは
圧倒的に「悲しみは…」の方が感動的だ。

ところで、「悲しみは…」で違和感のあった
ラストの壮大な葬儀のシーンだが、
「模倣…」ではこの理由が
詳細に説明されていたので
こちらの方が理解し易かった。

私は、基本的に監督にウエイトを置いて
映画鑑賞するタイプなので、
同じ監督作品を続けて観ることは
まあまああったが、
最近「若草物語」の4作品を続けて観たり、
この同じ原作の2作品も
比較的近い間隔で鑑賞出来、
同じ原作物を比較して鑑賞する面白さも
感じ始めている。

さて、題名の「模倣の人生」の意味は、
混血娘の想い以外に
どう意味付けられているか解らなかったが、
黒人母の誇りと覚悟に満ちた人生、
恋人よりも娘の幸福を優先に
人生選択する白人母、
この2人の生き様からは、2人の娘たちに、
是非、母親の生き様を“模倣”して
生きて欲しいとのことなのだろうか。

ところで、この作品では、
事業に成功した2人の母が住む豪邸の
それぞれの住まいのある階に行くのに、
階段が映る同じ画面上で、
白人母は2階へ、
黒人母は地階へ、
と描くのは、白人の無意識な優越意識を
監督が問題提起しているのか、
とても意味深なシーンに感じた。

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