老人と海(1958)
解説
「武器よさらば」「陽はまた昇る」の原作者アーネスト・ヘミングウェイの、1952年に書かれた小説の映画化。監督は「OK牧場の決斗」「ゴーストタウンの決斗」のジョン・スタージェス。「陽はまた昇る」のピーター・ヴィアテルの脚本を、「成功の甘き香り」のジェームズ・ウォン・ホウが撮影した。音楽はディミトリ・ティオムキン。海上における老人と1匹の魚の闘争の物語という異色の構成は、キューバのコヒマル湾一帯に2ヵ月のロケを行なって撮影され、ヘミングウェイ自らも助言を与えた。演技者は「山」「東京上空三十秒」のスペンサー・トレイシーと、現地少年フェリペ・パゾスの2人のみが主要な役を演じる。製作リーランド・ヘイワード。
1958年製作/アメリカ
原題または英題:The Old Man and the Sea
ストーリー
彼(スペンサー・トレイシー)は年をとっていた。メキシコ湾流に小船を浮かべ、魚をとる漁師だ。しかし、もう84日も1匹も釣れない日が続いている。はじめは少年(フェリペ・パゾス)がついていたが、不漁が続くので親のいいつけで別のボートに乗り組んでしまった。海と同じ色をたたえた瞳、やせこけた手足、深い皺の刻みこまれた首筋、彼の舟の帆そっくりにつぎはぎだらけのシャツ。しかし少年は老人が好きだ。5つの時生まれてはじめて漁につれていってくれたのは彼だった。お爺さんは世界一の漁師だと少年は考える。一緒に漁には行けないかわり、明日の餌にする鰯や、今夜の晩ご飯を揃えてやろう。少年が帰ってしまうと老人はすぐ眠りにおちた。アフリカの夢を見る。この頃は毎晩だ。もう昔のように暴風雨や、女のことや、死んだ妻の夢は見ない。輝く砂浜、白い海岸に、ライオンの戯れる夢をみるのだ。老人はそれを愛した--あの少年を愛しているように。眼をさますと老人は少年を起こすために小道を上がる。少年と老人は小舟を水の中に押し出す。朝が近い、今日は遠出だ。沖に出て1人になると、老人は餌のついた4本の綱を水中に下し、汐の流れに船を任せた。太陽が随分高くなった。綱がぐっと引かれる。信じられぬほどの重みだ。「畜生め!」老人は大声をあげると綱をひいた。しかし魚は1吋も引寄せられない。魚と、それに引かれる老人の舟は、静かな海を滑っていく。「あの子がいたらなあ」--老人は声に出した。陽が沈んでからは流石に寒い。魚はその晩中進路をかえなかった。老人は急に自分の引っかけた魚が可愛そうになってきた。--お互いに1人ぼっちだ。夜明け前、魚は1度大波のうねりのように動いて、老人をうつむけに引倒した。そして午後になると、魚はその姿を海面に現わした。バットの様な口ばし、舟より2吋も長い全身。だがそれはダイビングの選手のような鮮やかさで、再び水中に消えてしまった。夜、老人は突然眼が覚めた。魚は物凄い勢で海上に跳ね上がる。ボートは引きずり廻される。こうなるのを待っていたのだ。戦等開始だ。3度目の太陽が上る。一晩中続いた死物狂いの暴れようが落ちついて、老人は綱をたぐりはじめる。そして両手を血だらけにしながら、銛をぐさりと魚の胴体に打ちこむ。--気がつくと海は一面に血汐で真赤だ。頭をへさきに、尻尾を艫先に結びつける。1500ポンドはあるだろう。しかし、人間たちにこいつを食う値打ちがあるだろうか。あの堂々たる振舞い、あの威厳。最初に鮫が襲ってきたのは、1時間後のことだった。剃刀のような歯ががぶりと魚の尾に噛みついた時、老人は身を抉られる苦痛を感じた。夕暮近く2匹、日没前に1匹、また2匹、銛をふるっての応戦に老人が力尽きた時、魚の身に、もう喰う所は少しも残っていなかった。港にたどりつくと、老人は5度も腰を下ろして休んでから、小屋にもどった。朝、老人が目を覚ますと少年がコーヒーを持って座っていた「また2人で一緒に行こうよ」「だめだ、俺はもう運に見放されちゃった」「運なんか何だい運は僕が持ってくよ」。老人は再び眼りにおちた。彼はライオンの夢を見ていた。
スタッフ・キャスト
- 監督
- ジョン・スタージェス
- 脚本
- ピーター・ビアテル
- 原作
- アーネスト・ヘミングウェイ
- 製作
- リーランド・ヘイワード
- 撮影
- ジェームズ・ウォン・ホウ
- 美術
- Art Loel
- エドワード・キャレア
- 音楽
- ディミトリ・ティオムキン
- 編集
- アーサー・シュミット
受賞歴
第16回 ゴールデングローブ賞(1959年)
ノミネート
最優秀主演男優賞(ドラマ) | スペンサー・トレイシー |
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