レッド・サン

劇場公開日:

解説

初めて西部に乗り込んだ“サムライ”と強盗団との、大統領献上の宝刀をめぐる確執を描く。製作は「夜の訪問者」のロベール・ドルフマン、製作協力はテッド・リッチモンド、監督は「クリスマス・ツリー」「夜の訪問者」のテレンス・ヤング、脚本はレアード・コーニグ、撮影はアンリ・アルカン、美術はポール・アポテケール、音楽は「ライアンの娘」のモーリス・ジャール、編集は「明日に向かって撃て!」のジョニー・ドワイヤーが各々担当。出演はチャールズ・ブロンソン、アラン・ドロン、三船敏郎、ウルスラ・アンドレス、キャプシーヌ、モニカ・ランドール、中村哲、田中浩など。

1971年製作/フランス
原題または英題:Red Sun
配給:東和
劇場公開日:1971年11月26日

ストーリー

日米修好の任務を帯びた日本国大使、坂口備前守(中村哲)と随行の武士、黒田重兵衛(三船敏郎)、名室源吾(田中悟)の一行は、合衆国大統領に献上すべき宝刀を護衛しながら特別列車でアメリカ西部を東に向っていた。ところが、この列車に連結された、金貨の納められた郵便車を、西部名うての強盗団、ボスのリンク(C・ブロンソン)と相棒のゴーシュ、(A・ドロン)一味に襲われ、警護騎兵隊の意表をついた見事な策略で、金貨を奪取された。さらにリンクとゴーシュは、初めて見る日本人に好奇心を抱き大使一行の特別車に押入り、宝刀を認めたゴーシュは、黄金に輝く太刀に驚嘆の声をあげて、これを持ち去ろうとした。その時、使命感に燃える源吾が、ゴーシュに斬りかかり逆に射殺されてしまった。かねてボスの座を狙っていたゴーシュは、郵便車に残っていたリンクを貨車もろとも爆死させようと計り、意気揚々とひきあげていった。事は急を要していた。大使は重兵衛に7日間の猶予を与え、宝刀奪還を命じた。重兵衛は、爆破で負傷したリンクを手当し、傷がいえると、ゴーシュ追跡の案内役に立てて出発した。スキあらば逃げ出そうとするリンクもそのつど重兵衛にとり押えられた。が、途中、盗賊に襲われたメキシコ人一家の危難を救ってお互いの実力を認めあった二人の間には、奇妙な信頼関係が生じてきていた。二人はサン・ルーカスの町へ入った。ゴーシュの情婦クリスチーナ(U・アンドレス)を迎えにきたゴーシュの手下を一気に倒した二人は捕虜にしたハイアットとクリスチーナを連行して追跡行を続けた。途中、リンクはハイアットを伝言を託して解き放してやった。それを伝えきいたゴーシュはリンクを迎え撃つべく指定場所の教会へ向った。リンク一行が、ある集落で一泊した翌朝、クリスチーナが逃げ出し、途中でコマンチ族に襲われたがリンクと重兵衛に救われた。しかしこのため、二人が教会に着いた時にはすでにゴーシュに先廻りされ、武器をとりあげられてしまった。とそのとき、コマンチ族が大挙して襲撃してきたのだ。思わぬ事態に、リンク、重兵衛、ゴーシュは一丸となって、コマンチ撃退に転じた。激闘の末、ようやくコマンチ族を蹴散らした三人は、再び対決の時を迎えた。コマンチ襲撃のときに宝刀を取り戻した重兵衛だが、源吾の復讐心に燃え、金貨の隠し場所を知るまではゴーシュを殺さないというリンクへの約束も忘れて斬りかかった。しかしゴーシュのピストルが一瞬速く火を吹き、重兵衛ほどうと倒れた。無念の重兵衛はリンクに宝刀を頼むと言い残して、がっくりと息絶えた。

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映画レビュー

5.0GLAYと晴郎とアラン・ドロン

2024年8月24日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

そういう時期に入ったと言ってしまえばそれまでですが、最近は個人的に親しみを感じていた各分野の著名人の訃報が多くて哀悼も追いつかない状態に少し気が滅入る思いです。

今回逝去されたアラン・ドロンの出演作なら他にもっと代表作に相応しい映画があるのでしょう。ただ、私にとっては本作こそがアラン・ドロンの代表作であり、忘れ得ぬ思い出の映画でもあるのです。今回はその思い出と共に書いていきたいと思います。

時は1999年7月31日、私は田舎から電車を乗り継ぎ千葉県は幕張にきていたのです。
海浜幕張駅を降りてみれば奇抜な髪型や服装の若者が大勢歩いており何やら異様な雰囲気です。(とはいえ私も彼らと年端はそう変わらないのですが)
後に知ったのですがその日は当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったロックバンド「GLAY」による伝説の“20万人ライブ”の日だったのです。もちろん私もGLAYの事は知っていましたが、当時はあまり興味がなかったのでそんな日本音楽界の語り草になるような歴史的日に、場所に、自分が居合わせていようとは思いもしませんでした。

ただ20万人もの同世代の若者がGLAYを見る為に幕張メッセへ集まっているというのに、その日 幕張でGLAYがライブをやる事さえ知らなかった私が何をしに来たのかと言えば、それは水野晴郎のトークイベント付き映画鑑賞会へ参加する為だったのです。

夏休も間近の教室の後ろ側、誰が何時貼ったとも知れない掲示物の中にこのイベントの告知はありました。観覧希望者はハガキで応募して抽選の結果を待てとの事だったので、ハガキを出して数日―。懸賞など1度も当たった事のない私の元に当選の通知が届いたのです。ただただ嬉しかった。同伴者可だったので当時の(今も)映画友達と喜び勇んで水野晴郎へ会いに行ったのです。別にサイン会や握手会があるわけじゃありません。上映前にトークイベントがあるだけです。言ってしまえば金曜ロードショーを生で見るだけなのですが、それでも当時の映画伝道師四天王の一角に生でお目見えできるのですから喜びもひとしおです。
(他の3人は淀川長治、高島忠夫、木村奈保子です。淀川さんは98年に亡くなっておりますがそれでも私にとってはこの4人なのです。)

ただ会場へ着いてみれば私が当選したのも納得です。直ぐ近くでGLAYが20万人も動員しているというのに、こちらはせいぜい20人がいいところなのです。普段なら空いている映画館ほど嬉しいものはないのですが、流石にこれは残念な気持ちになりました。やはり「シベリア超特急」(96年)のせいで求心力が落ちているのか?などと考えているうちに、舞台上に水野晴郎が現れいつもの調子で話し始めるのです。正直もうこの時に水野晴郎が何を語ったかはほとんど覚えていません。ただこれから上映する「レッド・サン」にはアラン・ドロンが出ている。彼は今日そこでイベントをやっているGLAYとはまた毛色の違う二枚目であるという様な事を語り、「会場にこの映画、ご覧になった事ある方いらっしゃいますか?」と問い掛けてきたのです。私は以前にビデオで見たことがあったので手をあげます。すると水野晴郎が私を見て「おぉ~お若いのに…。」と感心した風に呟いてくれたのです。たったこれだけの事なのですが、当時の私としてはそれが妙に誇らしかった。そして会場が淋しい入りであるにも拘らずテレビで見ているいつもの調子で楽しそうに映画について語る水野晴郎の様子が何より嬉しかったのです―。

とはいえ改めて観返してみるとこれをアラン・ドロンの代表作というにはやはり無理があったか?何よりこんなにアラン・ドロンの出演シーンって短かったっけ?と驚くほど出てこないではありませんか!
殆どの時間は三船敏郎とチャールズ・ブロンソンが脂汗で顔をテカらせながら、使命と野望とをそれぞれの胸に荒野を駆けていく映画なのです。しかしそんな男の世界を香り立たせる二人と対をなして現れるアラン・ドロンはどうでしょうか?いやはや登場シーンから既に見る者に衝撃を与えてくれます。やはり役者が違うのです!出演シーンの短さなどものともせずに他の二人と張り合う存在感なのです。

当時ドロンは30代半ば、整った顔に薄っすらシワが刻まれているのですが、それがまた綺麗なだけでなく人生の裏表をソレなりに心得た厚みのある色気を漂わせます。唇の端についた傷、ニカりと不敵な笑みを浮かべれば覗く金歯、それだけでドロンの演じる役が冷酷非道な男であることを印象付けられるのです。
皆が荒野の砂煙をかぶり衣装が白茶けているのに、一人だけ白と黒を基調とした衣装をパリッと着こなし、白いシャツにはシミ一つありません。帽子のツバの奥にあのターコイズのような瞳を携えて荒野の無法者どもを取り仕切っているのです。ただ立っているだけで自然と視線が彼に引き寄せられてしまいます。それでいて作品の世界観からまったく浮いておりません。

この映画は三船敏郎、チャールズ・ブロンソン、アラン・ドロンが身にまとう三者三様の魅力と世界観。それらが均衡を保って実に見事な三角形を形成しています。
役者はそれを嫌がるでしょうが、ある程度キャリアを積んだ役者は立っているだけで観客がそこに物語を勝手に見出してしまうものです。だからこそキャスティングは重要であり、この映画はそんな役者の積み上げたキャリアとキャスティングとがどれ程作品に影響するのかを確認できます。

思えば三船敏郎は1997年にチャールズ・ブロンソンは2003年に逝ってしまいました。水野晴郎は2008年にです。あの1999年の夏からもう四半世紀も経ったのが信じられない思いですが、私があの夏の日にこの映画を見た時にはこの映画の公開から既に28年の時が経っていたのです。そして今回アラン・ドロンの訃報に触れて本作を見返しましたが、この映画は今もなお私にとって魅力的で楽しい記憶と共にある作品なのです。
映画というものはフィルムが回りだせば、たちまちその作品が生まれた当時の時代と、それを観た時の記憶とを甦らせてくれます。時間は不可逆ではありますが思いを馳せることはできます。私はこれからも折に触れ、本作を通して1971年の三船敏郎に、チャールズ・ブロンソンに、アラン・ドロンに思いを馳せ、1999年の水野晴郎に思いを馳せるのだと思います。そしてこれからそこに新たな記憶が加わるのであれば、それはこれまでと同様、楽しいものであって欲しいと願うのです。2024年8月24日 故人を偲んで。

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モアイ

3.5侍が海を渡り異国で自分のやり方を通す心構え

2023年11月11日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

総合:70点 ( ストーリー:70点|キャスト:75点|演出:65点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )

 世界の三船出演のハリウッド映画としては『グラン・プリ』『太平洋の地獄』に続く第3作目の作品であり、アメリカを舞台にした作品としては初の作品。その意味で三船が本当にアメリカに進出した最初の作品と言える。しかも侍役である。
 ポール・ニューマン、スティーブ・マックイーンのような当時のハリウッドで最高に人気だった俳優たちと共演したわけではないものの、チャールズ・ブロンソンとハリウッド俳優ではないけど欧州では一流俳優のアラン・ドロンとの共演は上々の成果だ。早川雪洲という偉大な先達もいたが、その後に続く日本人俳優がなかなかハリウッドに進出することが出来ないなかで、遂に三船が後継者となった。

 それでこの作品であるが、西部でちょんまげが銃をもった強盗団と対峙しているのは違和感があるが、三船が出演しているだけあって欧米人からみた日本人を押し付けた茶化した内容になっていないところが立派である。今でこそ侍は世界的に有名になり尊敬の対象にもなってきているが、当時の世界は日本に対する理解もなく、まして侍なんて服装も含めてわけのわからない存在だったろう。
 その中でも三船は俳優として立派に侍を貫き通したし、その姿はちょんまげの侍が太平洋を渡り勝手のわからぬ異国で自らの矜持を貫く姿とも重なる。自分も昔ろくに英語も出来ず宿泊先もあるのかわからないのにアメリカに自分1人行くときは多少不安だったが、それがこの当時ならば強い精神力がいる。外国の映画会社の好き勝手に流されることがないその三船の心構えは賞賛出来る。その後のハリウッド映画にも、欧米人が考える日本人像を変な演じるようにしたものがいくらでもあるが、三船は違った。

 悪人だが有能で行動力と男気があって、徐々にそんな三船の侍魂に共感するチャールズ・ブロンソンは魅力的だ。美男子ながら平気で仲間を裏切り次々に人を殺していくアラン・ドロンもその残虐さゆえの存在感があった。
 演出・脚本もこの当時なりのものではあるが、それなりに健闘しているの思う。

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Cape God

3.0世界の三船

2023年10月3日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

単純

興奮

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BANAO1975

4.0三大スター揃い踏み!

2023年10月1日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD、TV地上波

興奮

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しゅうへい