らせん階段(1946)

劇場公開日:

解説

「ブルックリン横町」「青春の宿」のドロシー・マクガイア、「愛の勝利(1939)」のジョージ・ブレント、「ミネソタの娘」のエセル・バリモアが主演するスリラーで、エセル・ライナ・ホワイトの小説からメル・ディネリが脚色し、「暗い鏡」「クリスマスの休暇」のロバート・シオドマクが監督しニコラス・ミュスラカが撮影したもの。助演は「運命の饗宴」のエルザ・ランチェスター、新人ロンダ・フレミング、ケント・スミス、ゴードン・オリヴァー、「ミネソタの娘」のライス・ウイリアムスら。ドア・シャーリー製作の1946年度作品である。

1946年製作/アメリカ
原題または英題:The Spiral Staircase
劇場公開日:1949年2月15日

ストーリー

荒涼たるニュー・イングランドのある町の町はずれに古い館が立っている。不気味なこの邸の主はウォーレン夫人といって、永らく病床についたままだった。言葉の不自由な娘ヘレンが女中として雇われて来たのは1906年のことである。邸には老女主人の継子で生物学者のウォーレン教授とその女秘書ブランシュ、酒飲み家政婦オーツ夫人とその夫、看護婦のバーカー、最近欧州から帰って来たウォーレン夫人の息子スティーヴンが住んでいた。ヘレンは子供のころ火事になったわが家の中で両親が焼け死ぬのを目撃し、そのショックで声が出なくなっただけで、聴覚には何の異状もない。その症状に興味をひかれた若い町医者パリーは親切にヘレンの面倒をみているうちに、何時か興味が愛情に変わってゆくのを感じていた。ある日町のホテルで足の不自由な娘が殺された。この界隈では3度目の殺人で、奇妙なことに最初殺されたのが顔にきずのある娘、2度目は知的障害者の娘と、被害者は肉体的に障害のある娘達だ。しかも謎の犯人はようとして知れない。病床のウォーレン未亡人は、忠実なヘレンを娘のように可愛がっていたが、相次ぐ謎の殺人からろうあのヘレンが次の殺人の犠牲者になるような予感がして、即刻邸を立ち去れと勧める。しかしウォーレン教授は、殺人鬼が跳りようしている今ここを出てゆくのは危険だといってヘレンを引き止める。一方スティーヴンはブランシュと恋仲となったが、彼女は教授の激しい嫉妬を恐れて思い悩んだ。ある夜スティーヴンとウォーレンは激しく争った。それを知ったブランシュはスティーヴンと喧嘩し、永久にこの邸を立ち去ろうと決心し荷物をまとめに地下室に下りた。然し彼女の背後に憎悪に燃える2つの眼が光っていたのに気がつかなかった。やがて地下室に下りたヘレンは絞殺されたブランシュの死体を発見し、その場に姿を見せたスティーヴンを犯人と思った彼女はスティーヴンを欺して地下室に閉じ込めてしまった。豪雨と雷鳴のその夜、邸内には老未亡人が瀕死の床に横たわり、家政婦のオーツは台所で酔いつぶれ、その夫のオーツも町へ使いに出、看護婦のバーカーは未亡人と喧嘩して邸を出て行ってしまいヘレン1人残されたのである。身に迫る危険を感じつつ地下室を出たヘレンは未亡人の部屋へ急ごうと螺旋階段を上る途中でウォーレン教授に出会った。彼女は「ブランシュが殺された。犯人のスティーヴンを地下室に閉じ込めてある」と筆書して教授に示した。教授の眼は異様な光を帯び、この世界に不完全なものを容れる場所はないという。救いを求めることも出来ないろうあのヘレンは未亡人の部屋へ飛び込み、紙片に「拳銃は何処ですか?」と書いて示したが夫人は瀕死の昏睡に陷っていた。教授はヘレンを絞め殺そうと迫った。その時ドアにノックの音がした。警官の声だ。然しヘレンは殺人鬼を前にしながら叫び声を挙げ得ないのだ。警官は去り、逃げまどうヘレンを追って教授が螺旋階段を下りた時、銃を手にして階段によろめき出た瀕死の未亡人は殺人がすべて教授の仕業であることを知り怒りをこめて射殺すると、自分もそのまま倒れてしまった。スティーヴンの許へ駆けつけたヘレンは促されるままに医者のパリーへ電話をかけた「189番を願います!」何と声が出るではないか。喜びの涙と共にヘレンは受話器に力強く言った。「私です。ヘレンです!」

全文を読む(ネタバレを含む場合あり)

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

受賞歴

詳細情報を表示

映画レビュー

4.083分でこのスリル・面白さ。単なるスリラー映画というだけではなく現在のサイコスリラー/サイコサスペンスの先駆とも言えるだろう。

2022年4月23日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD
ネタバレ! クリックして本文を読む
コメントする (0件)
共感した! 0件)
もーさん

3.5大写しになった殺人鬼の眼球に映りこむ犠牲者の最期の姿! ゴチックスリラーのマスターピース。

2021年8月11日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

建物内に潜む連続殺人鬼。
大写しになる窃視者の眼球。
そこに映りこむ美しき犠牲者の末期……。
ダリオ・アルジェントの『サスペリアPart2』ほか、多くの追随者を生んだ印象的な演出で知られる、ゴチック・ノワール・スリラーの代表的作品。

街を跋扈する、障碍者ばかりを狙う連続殺人鬼。
古色蒼然たる屋敷、口のきけない美貌のメイド、寝たきりの狷介な女主人、雷光ひらめく嵐の夜、雰囲気抜群のらせん階段……いかにもの要素満載で描かれる緊張感に富んだ、美女狙われ型のサスペンスだ。

ポイントは、なんといってもヒロインの声が出ないこと。
「しゃべれない」のではなく「心因的な理由で声が出せない」。
だから、屋敷内に殺人鬼がいるのに、目の前にしても叫べないし、助けも呼べない!
こいつはなかなか粋な仕掛けだ。
実際、終盤の無言の追いかけっこは不思議な緊張感があってとてもよかった。
『暗くなるまで待って』ほど強烈ではないけど、身障者ヒロインとしてしっかり輝いていたと思う。

建物の上下構造をサスペンスの醸成に存分に用いているのも評価ポイント。
基本、ヒロインは表階段を行き来するのだが、裏にはくだんの「らせん階段」があって、地下室に通じている。階段を昇降するたびに、話は展開し、情報量が増え、最後はアクションの舞台としても活用される(表階段のほうにある大鏡の使い方も効果的だ)。
建物の「内と外」というのも、いつの間にか空いている鎧戸の描写や、ドアの出入りでなにかと強調され、ここの要素はフーダニットとも深く関係してくる。
犯人が外部犯にせよ、内部犯にせよ、ヘレンが屋敷に戻って早々から屋敷内に犯人が侵入していることは、はっきりわかるつくりになっているので、ほぼ全編を通じて「いつ襲われるかわからない恐怖」と「無防備に歩くヒロインの背後のスリル」が満ちている。ちょっと『暗闇にベルが鳴る』テイストですね。
陰影に富んだノワーリッシュな撮影も、雰囲気の盛り上げに大きく寄与している。終幕間際、下からのライトで煽った殺人鬼の凶悪な面相が、通常のライトへの切り替えで突然しょんぼりするあたりは、とても面白かった。

ただ、今の時代からすると、古臭いというか、ツメの甘い部分もないことはない。
せっかくのサイコキラーものなのに「あの人物」を被害者にしちゃうと焦点が丸きりぶれちゃうだろ! とか、もしこの真犯人像だったとして、なんで今こういう状況になってて、しかも今日が敢えて決行の日なのか正直よくわからないとか。
女主人のウォーレン夫人は、キャラクター自体は本当に最高なのだが、何に気づいていたから「今日が決行日」だと推理して、しきりに逃げろとヘレンに勧めていたのか、もう少し映画内で丁寧に説明してほしかった。
あと、医者のパリーさん、あんた愛するヒロインが口がきけないことわかってて、「いざとなったら電話するんだよ」って番号のメモ渡してどうすんだよ。しかも、いざというときに「やっぱり戻れない」とか、どんだけ使えないんだっていう。ラストに間に合わないとか、それ、通常のドラマツルギーにすら反してるだろ!(笑) たとえ生き延びても、こいつと結婚しちゃダメだと本気で思う……。

犯人の目のアップにしても、効果自体は面白いが、少なくともこれで性別がはっきりしてしまうのはフーダニットとして正直もったいないと思う。ま、本格ミステリマニアのないものねだりだけど(でもアルジェントはそこをうまくごまかしていた)。
というか、わざわざ「意外な真犯人」を設定してあるのに、そこへの持っていき方が総じてあんまりうまくないんだよなあ。絶妙の設定なのに、細部の詰めで微妙に本格ミステリーマインドが足りない。

とはいえ、その後つくられた、さまざまなタイプのシリアル・キラーものやジャッロの祖型となり、霊感源となった作品であることは間違いない。今回、数十年ぶりに映画館で観て、改めてその出来の良さをじゅうぶん確認することができた。おすすめです!

コメントする (0件)
共感した! 0件)
じゃい