柔らかい肌(1964)

劇場公開日:

解説

フランソワ・トリュフォーとジャン・ルイ・リシャールの共同脚本を、トリュフォーが監督した心理映画。撮影は、トリュフォー作品にはほとんどつき合っているラウール・クタール、音楽もコンビのジョルジュ・ドルリューが担当した。出演は「いぬ」のジャン・ドザイ、「リオの男」のフランソワーズ・ドルレアク、舞台女優のネリー・ベネデッティ、ダニエル・チェカルディ、サビーヌ・オードパンなど。

1964年製作/フランス
原題:La peau douce
配給:ヘラルド

ストーリー

ピエール(ジャン・ドザイ)は四十四歳、文芸雑誌の編集長で著名な評論家でもある。彼はリスボンへの旅行の途中、美しいスチュワーデス、ニコール(フランソワーズ・ドルレアク)と知りあった。リスボンに着いてから、彼はニコールを食事にさそい異郷の町で一晩中語りあった。この日から、平和でなに不自由ない落ちついた彼の生活が狂い始めた。二人はパリに帰ってからもしばしば会うようになったが、どこにも落ちつける場所はなかった。その頃ピエールに、田舎町での講演の依頼があり、密かにニコールをつれて出発した。講演が終ってからも田舎町の人は彼を放してくれない。深夜、やっとのことで町を脱出した二人は、誰も邪魔する者のいないホテルに着き愛を確かめあった。しかしピエールにとって、単なる浮気ではなかったにしても、やはり家のことが気になり始めた。予定よりまる一日帰宅が遅れているのだ。その頃、講演先に電話をかけた妻のフランカ(ネリー・ベネデッティ)は帰宅した夫を疑い、激しくその行動をなじった。いさかいの果てに離婚のことまで口ばしった。しかしそれはピエールにとっては思うつぼだったのだ。その日から彼は事務所に寝とまりするようになりニコールと新しい生活をするためのアパート探しを始めた。しかしニコールはピエールの求婚を拒絶してしまった。行き場のない孤独が彼をつつみ、友人に相談し、妻に謝罪することにした。だがその頃、夫とニコールのことをすべて知った妻は、古い銃を取り出し、無言のまま家を出た。彼が妻に電話をかけたのはその直後だった。ピエールが行きつけのレストランで新聞を読んでいる頃、そこへ向かう妻の顔には殺意がみなぎっていた。

全文を読む(ネタバレを含む場合あり)

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

受賞歴

詳細情報を表示

映画レビュー

3.0どうしてフランス映画の女性はここまで怖いのか

2010年4月21日
PCから投稿

悲しい

怖い

1964年フランス映画。118分。今年21本目の作品。ヌーベルバーグの旗手フランソワ・トリュフォーの作品。名作「大人は判ってくれない」の監督さんは、その後、このようなお色気たっぷりの作品を描いていたと知って、いささかたまげました。

内容は;
1,飛ぶ鳥を落とす勢いの文芸批評家の男は、出張先のリスボンに向かう飛行機でフライトアテンダントに魅せられる。
2,男がリスボンで泊まったホテルに偶然女が泊まっていることを知り、食事に誘う。
3,二人は不倫の関係を結び、それから男の妻に内緒で恋を暖めていく。

フランス映画らしいなんでもないストーリー展開。そしてフランス映画らしく、なんでもない事が途中から目も離せないほどにスリリングに描かれていきます。

この作品の最大の見所は、女性のメインキャスト二人であるフライトアテンダントと男の妻の描かれ方。最初は画面を飾る華のような存在感だった二人は、物語が進行するにつれ、それはそれは生々しく、恐ろしい存在感になっていきます。

それにたじろき世間体を気にし始める男は、やはり万国共通の神話的性質だということなのでしょうか。今まで散々この男の情けない姿をフランス映画で観てきたので、本作では事も無げにあっさり観ている自分がいましたが、やはりこの男女の対比がしっかりしているのです。

そんな登場人物は、途中から子供じみてきて最後のショッキングな展開を観ると、「なにやってんだよ」とも思ってしまいましたが、

そもそも、恋愛というものに大人らしさを求めることほど馬鹿馬鹿しいものはないのかもしれません。これが、この作品のメッセージかもしれません。そして、そう考えるととてもやりきれない(そして憧れる)。

そして、ふと映画の冒頭で何の脈絡もなくでてくる女性の手のアップ映像。
あれは一体どういう意味なのか、いまだに考えてしまいます。

他のトリュフォーの作品も観てみようと思いました。

コメントする (0件)
共感した! 3件)
あんゆ~る
関連DVD・ブルーレイ情報をもっと見る