黙秘

劇場公開日:1995年10月28日

解説

20年の歳月を経て結ばれた二つの事件の真相の鍵を握る、母と娘の心理的葛藤を描いたサスペンス・ミステリー。モダン・ホラーの巨頭、スティーヴン・キングの全米ベストセラー『ドロレス・クレイボーン』(邦訳・文藝春秋刊)の映画化。監督は「愛と青春の旅だち」「ブラッド・イン ブラッド・アウト」のテイラー・ハックフォード、製作はハックフォード、チャールズ・B・マルヴェヒル、脚本はトニー・ギルロイ、撮影はガブリエル・ベリスタイン、音楽は「バットマン リターンズ」のダニー・エルフマン、編集はマーク・ワーナー、美術はブルーノ・ルベオがそれぞれ担当。主演は「ミザリー」に次いでキング作品のヒロインをつとめた「フライド・グリーン・トマト」のキャシー・ベイツ、「ルームメイト」「未来は今」のジェニファー・ジェイソン・リー。共演は「サウンド・オブ・ミュージック」「女神たちの季節」の名優クリストファー・プラマー、「激流」のデイヴィッド・ストラザーン、「ラルフ一世はアメリカン」の英国の名舞台女優、ジュディ・パーフィットのほか、「トーク・レディオ」のエリック・ボゴジアンが顔を見せる。

1995年製作/132分/アメリカ
原題または英題:Dolores Claiborne
配給:東宝東和
劇場公開日:1995年10月28日

あらすじ

アメリカはメイン州の小島、リトル・トール・アイランド。メイドのドロレス・クレイボーン(キャシー・ベイツ)は、富豪未亡人ヴェラ・ドノヴァン殺しの容疑で拘留された。ニューヨークでジャーナリストとして活躍していたドロレスの娘セリーナ(ジェニファー・ジェイソン・リー)は、彼女宛てに送られてきた匿名のFAXでこの事件を知り、久しぶりに故郷に帰る。20年前にもドロレスを夫ジョー・セントジョージ(デイヴィッド・ストラザーン)殺しの容疑で検挙した業腹なマッケイ警部(クリストファー・プラマー)と知己の保安官補フランク(ジョン・C・ライリー)の監視のもと、保釈された母と家に帰ったセリーナだったが、母娘の間には溝があった。セリーナは過去と現在の二つの事件の“真相”を母の口から聞く。--20年前。セリーナの父ジョーは酒飲みの横暴な男で、ことあるごとにドロレスを罵っては殴打していた。ドロレスは娘の幸だけを生きがいに、厳格な富豪婦人ヴェラ(ジュディ・パーフィット)のメイドとして苦しい毎日を送りながら、セリーナの学資を貯金していた。ところがセリーナの成績は下がる一方。不審を抱いた彼女は、夫ジョーが学資貯金を勝手に使い込んでいたばかりか、自分の娘に性的いたずらを続けていたことを知る。悲嘆に暮れる彼女に声をかけたのがヴェラだった。ドロレスからすべてを聞いたヴェラは「所詮この世は男の社会……でも女も、時には悪女になる必要があるの」と語る。愛人と浮気していたヴェラの夫は、彼女が仕組んだ交通事故で死んだのだった。ヴェラの励ましを支えに、ドロレスは、それから間もなく訪れた日食の日、ジョーをかねての手筈どおり、古井戸に落とした。以来、彼女は町の人々から夫殺しと罵られながら、20年間、気心を通じあう仲となったヴェラにメイドとして仕えた。ヴェラが半身不随となってからも、ドロレスは彼女の世話を続けたが、ヴェラは老醜をさらし続けることに耐えきれず自殺を図り、死に切れなかったため、ドロレスに手助けを頼んだのだった。そしてドロレスは知らなかったが、ヴェラは遺産の160万ドルをドロレスに贈るよう遺言していた。-全てを聞き、自らのトラウマの正体をも知ったセリーナは、拘置された母のもとへおもむき、執拗に彼女を罪人扱いするマッケイ警部の前で、彼女の無罪を立証した。釈放されたドロレスはセリーナを港まで送り、和解の抱擁の後、ドロレスは娘に信じてもらうことだけが自分の唯一の望みだと語り、二人は別れた。

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映画レビュー

4.5【”事故は不幸な女の友達。生き残るためには悪女になる事も大切、と女主人はメイドに言った。”今作は愚かしき夫に対する強烈な妻の罰と、娘への深い愛情を描いたヒューマンサスペンスの逸品なのである。】

2025年7月10日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

泣ける

知的

難しい

■アメリカの小さな島が舞台。
 郵便配達人が富豪未亡人ヴェラ邸で見たものは、螺旋階段から転げ落ちた血だらけで横たわる女主人ヴェラ(ジュディ・パーフィット)の横で、のし棒を手に立ち尽くす家政婦・ドロレス・クレイボーン(キャシー・ベイツ)の姿だった。
 無実を主張しながらも黙秘を続けるドロレスは、事件を知り帰郷した事件記者である娘・セリーナ(ジェニファー・ジェイソン・リー)にも何も語らない。
 だが、セリーナにも愚かしく忌まわしき、酒に溺れる父との苦い思い出が有ったのである。

◆感想<Caution!内容に触れています。>

・キャシー・ベイツと言えば「ミザリー」のスティーブン・キングとしか思えない作家を捉え狂気の演技を思い出すし、彼女の傑作だと思っている。
 勿論、脇役でも多数の逸品で活躍をされている方だが、この作品は知らなかった。今作でのキャシー・ベイツの演技は「ミザリー」を越える部分があるのではないかと思った程の作品だと思う。

・20年に亘る母娘の秘密と、母が抱えていた娘の成長を願う想いが、重厚且つミステリアスに描かれて行くストーリーテリングの妙は、流石スティーブン・キング小説「ドロレス・クレイボーン」を底本にしているだけの事はあるが、ドロレス・クレイボーンを演じるキャシー・ベイツの、幾つかのシーンでの鬼気迫る表情や、幾つかのシーンでの必死の形相が物凄いのである。

■富豪未亡人ヴェラと夫の関係は、一夏の風景でしか描かれないが、裕福であると言うだけで、ドロレス・クレイボーンと酒浸りの夫との関係性と同じで、既に破綻している事が良く見ていれば分かる。
 故に、ヴェラが自分に尽くすドロレス・クレイボーンに対して言った、”事故は不幸な女の友達。生き残るためには悪女になる事も大切。”という恐ろしい言葉がこの作品の鍵であり、ドロレス・クレイボーンが、富豪未亡人ヴェラが螺旋階段から転げ落ち、死んだ際にも黙秘を続けた理由であり、且つヴェラが自分に尽くすドロレス・クレイボーンに160万ドルという巨額の遺産を残していた事に、彼女が驚愕するシーンにも繋がるのである。

<今作はミステリータッチで、20年前の”或る出来事”と、20年後のドロレス・クレイボーンがずっと家政婦をして来た富豪未亡人ヴェラの不可解な死を軸に描かれるが、その根底には母親であるドロレス・クレイボーンの娘セリーナに対する深い愛情があるのである。

 そして、私は思ったのであるが、これは犯罪を誘発していると思われると困るのであるが、自分の恋人や夫、父親から虐待を受けながらじっと耐えている女性がいるのであれば、この作品を観るべきではないかと思ったのである。

 女性は男性からの暴力(含む性暴力)に耐えていてはイケナイのである。現在では、そのような女性を護る組織は多数有る。勇気を出して、そのような組織に申し出る勇気を与える作品だと思ったのである。

 それにしても、20年前の”或る出来事”が起きた時に、皆既日食になるシーンは見事な演出だと思う。太陽も、愚かしき男に起きた”或る出来事”を見て見ぬふりをしているとしか見えなかったからである。

 今作は愚かしき夫、父に対する強烈な妻と娘からの罰を描いたサスペンスの逸品なのである。>

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NOBU

3.5老いて、醜くなったので殺してくれのフレーズが記憶にあり、以前に観た...

2024年6月24日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

泣ける

悲しい

怖い

老いて、醜くなったので殺してくれのフレーズが記憶にあり、以前に観たこの映画の場面にあったようで、その女主人の台詞ですが、その家政婦のキャシーベイツがその仕える女主人を殴り殺そうとするところをたまたま郵便の配達で来た郵便配達員が見た訳ですが、その家政婦のキャシーベイツもその女主人も身内の夫を殺害していて、それを隠蔽していて、映画を観ててもあまり筋が分かりませんが、20世紀初め頃に女子が参政権を求める映像が英国の映像がありますが、JJリーがその娘でもう都会に出ていて、ジャーナリストで地元に戻り、その母を取材しますが、JJリーが暗く、運転する車のセダンも普通なトヨタ車でしたが、ベルナルトベルトルッチが監督した1900年の映画でも喫茶店で共産党側の左翼の小作人同士の老人の男女のダンスを目にしたファシスタ党側の右翼の地主の娘が昏倒する、気を失う場面がありましたが

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39stepbacK

4.0「黙秘権」が保障される理由

2024年6月4日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

「黙秘」というのは、ある意味、被疑者にとっては有力なの武器なのだろうと思いました。本作を観終わって。評論子は。

刑事手続では、被疑者は「推定無罪」であるはずです。
法律としては、捜査機関には、その推定を覆すだけの捜査能力(人員、組織、権限)が与えられている訳ですから、被疑者の供述が得られなくても(被疑者が黙秘していても)、被疑者の有罪を立証できるだけの証拠を集めてくることができるはずだ、という組み立てです。

検察官によるダブルチェック(の建前)を経て起訴されて、初めて被疑者は「被告人」となり、裁判所(裁判官)による審理というトリプルチェックを経て、ようやく有罪とされる。

被疑者自身の供述=自白も証拠の一つにはなるけれども、それだけで有罪としてはいけないということは、後記のとおり、憲法にもはっきりと書かれている。被疑者が真犯人であれ、冤罪被害者であれ、そのどちらであっても(以下に引用している憲法の条文も、その両者を区別していない)。

信賞必罰という言い回しがあるように、「機会(手続)の適正」よりも(日本のように)「結果の適正」がより強く求められる国に住んでいると、上記のような考え方には違和感があるかも知れませんけれども。
しかし、神ならぬ人間は、必ずしも「結果の適正」に立ち至ることができないことを素直に受け止めて、「機会(手続)の適正」で、より「結果の適正」を確保しようとしていた人権の歴史を忘れるべきでもないと、評論子は思います。

翻って、実際の刑事手続の現場では、どうなのでしょうか。
捜査機関から嫌疑をかけられると(捜査機関は、当然、自分が欲しい証拠=被疑者の有罪に結びつく証拠しか集めてこないでしょうから)、その捜査機関による「作文」を覆すのが容易でないことは、たやすく想像がつきそうです。

捜査機関の、その「予断」、「思い込み」に対抗する手段として、法が被疑者に許したのが、本作の邦題にもなっている「黙秘」(黙秘権)なのだろう、というのが、本作を観終わっての、評論子の率直な印象であり、おそらくは、それが本作の「メインテーマ」でもあったのだろうとも思います。

DV夫の不慮の死について、ドロレスが、仮に限りなく「クロ」であったとしても、「黙秘」で乗り切った彼女を、警察は、けっきょくは「嫌疑不十分」としなければならなかった訳ですから。

事件として捜査機関から検察官に送致されてしまえば、あとは「流れ作業」ということで、世上、ダブルチェック・トリプルチェックは充分には機能していないとも言われていますが、本作の邦題にもなっている「黙秘」には、そのダブルチェック・トリプルチェックを少しでも働かせようとする被疑者・被告人の側でのささやかな…しかし、被疑者・被告人の精いっぱいの「レジスタンス」という意味合いがあり、そこに被疑者・刑事被告人に黙秘する権利を保障する「真価」があることを、本作は静かに、しかし明確に訴えているといえると思います。

日本国憲法38条1項・3項
何人(なんぴと)も、自己に不利益な供述を強要されない。
何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

本作を観終わると、憲法が、なぜ当該の条文を置いて、このような権利を国民に保障したのか、その「こころ」が見えてくると思います。
「cinema de 憲法」・「cinema de 刑事訴訟法」といった視点からも秀逸というべきでしょう。

秀作であったと思います。
評論子は。

(追記)
本作は、別作品『ザリガニの鳴くところ』で、タダ者でない弁護士を演じていたデビッド・ストラザーンの出演作品ということで、観賞することにした一本でした。

本作中の彼も、真犯人の訴追という、自分の警察官としての社会的な役割を真に理解して、その職責を忠実に果たそうとする老警察官を、見事に演じていたと思います。
その点でも、好印象の一本でした。

(追記)
滅多には起こらない自然現象に、多くの観光客を受け入れた小さな島は、異様な熱気に包まれるのですけれども。
その熱気の陰で、お屋敷の女主人ヴェラの暗黙の了解の下、着々と計画を進めるドロレス。その緊迫感が半端なく、どんどん画面に吸い寄せられました。サスペンスもの(娯楽作)としても、一流の出来栄えというべきでしょう。

加えて、本作では、ドロレスを演じた、キャシー・ベイツの演技も圧巻でした。真剣に思いつめたときの彼女の目つきが、評論子には忘れられません。
その点も、評論子としては、本作への加点要素のひとつであると思います。

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talkie

4.0リアルな教訓に満ちている佳作

2024年4月14日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

回想シーンに移行する時の、過去と現在が溶けあうような自然なカメラワークや、まるで彼女の罪を太陽の目から隠してやるように訪れる日蝕の演出など、随所にセンスの良さが見られる。

キャ シー・ベイツ演じる彼女の人生も、殺人(見殺し?)を抜きにすれば、どこにでもあり得る平凡なもの。ただ、自分を律することが出来ない男と結婚したのも、その本質を見抜けないまま子供を惰性的に作ってしまうのも、またその夫を精神的に支え切れなかったのも、結局は本人(無論、夫も)の選択と責任の結果でしかない。

自分の人生を良くするも悪くするも、それは自分自身の選択と決定以外の何物でもない。夫婦間の問題も、子供との関係も、友人との関係も、相互理解と相互依存の関係を自覚し、一歩先を予想する想像力さえあれば、それほど状況が悪くなることはないはず。結局、自分の人生の顛末は自己責任が当たり前。そんなリアルな教訓に満ちている佳作。

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Fate number.9