ミニヴァー夫人
劇場公開日:1949年5月
解説
「我等の生涯の最良の年」のウィリアム・ワイラーが、今次大戦に従軍する前に監督した映画で、1942年度アカデミー受賞作品である。ジャン・ストルーザーのスケッチを素材として、「心の旅路」の共同脚色者ジョージ・フローシェル、アーサー・ウインペリス、クローディン・ウェストと「心の旅路」の作者ジェームズ・ヒルトンの4人が脚本を書いた。撮影は「心の旅路」「ガス燈」のジョゼフ・ルッテンバーグが監督した。主演は「パーキントン夫人」「キューリー夫人」と同じくグリア・ガースンとウォルター・ピジョンで「我等の生涯の最良の年」「疑惑の影」のテレサ・ライト、「永遠の処女」のディム・メイ・ホイッティ、「心の旅路」のレジナルド・オーウェン、「聖メリーの鐘」のヘンリー・トラヴァース、「ボストン物語」のリチャード・ネイ、「十字軍」のヘンリー・ウィルコクスン、「小麦は縁」のライス・ウィリアム等が助演している。なおこの映画に関するアカデミー賞は、作品賞のほか、監督賞、脚色賞、撮影賞、主演女優賞、助演女優賞(テレサ・ライト)で、プロデューサーのシドニー・A・フランクリンはアーヴィング・サルヴァーグ記念賞を与えられた。
1941年製作/アメリカ
原題または英題:Mrs. Miniver
劇場公開日:1949年5月
ストーリー
ロンドンから程遠くないイングランドの小さい町ベルハムに、ミニヴァー夫妻は幸福な家庭をもっていた。ナチが始めた戦争にいつ英国も加わらねばならぬか分からないが、ベルハムは平和で、駅長バラードもバラの花を展覧会に出そうと丹精している。ミニヴァー夫人がロンドンで帽子を買って帰ると、駅長はバラの花に『ミニヴァ夫人』と命名させてくれと頼むのだ。その日クレム・ミニヴァーも身分不相応な自動車を買い、帽子にぜい沢した夫人と共にテレるのであった。ミニヴァー家には小さいトピーとジューディのほか、オクスフォード在学中の長男ヴィンがあった。駅長がバラを出品すると発表したために町は騒ぎ立った。というのは毎年1等賞は町のお邸の老夫人レイディ・ベルドンが取る習慣だからである。翌日、老夫人の孫娘キャロルはミニヴァー夫人を訪れ、祖母を失望させないで頂きたいと頼み込む。大学から帰宅していたヴィンは、下層勤労者階級の生活権について大学研究している折でもあり、ベルドン夫人の封建生を避難して、キャロルと議論したのであるが、それが縁で2人は心をひかれ合う。ダンス会のあった翌日、教会では牧師が英国の参戦と国民の覚悟について説教した。ミニヴァー家のお手伝いグラディスは早速看護婦に志望して出征する。ヴィンも空軍に志願を決意し、キャロルにその事を告げ、愛を告白する。ベルリドン老夫人は孫が中流の平民の息子と親しくするのを好まなかったくらいだったが、戦争は老夫人の心持ちを変えたとみえ、キャロルとヴィンの婚約が発表される。その夜ヴィンには召集令が来た。クレムはダンケルクの危機の報を聞くと、町の人々と共にモーター・ボートでテームズ河を下り、ダンケルク撤退の英兵救出に力添えをした。夫がダンケルクへ行っている留守、不時着して傷ついたナチの飛行士が台所に逃げ込んでいるのに、ミニヴァー夫人は驚いたが、沈着に事を処理して彼女は男を警察に渡す。賜暇で帰ったヴィンはキャロルと結婚し、新婚旅行から帰ると花の展覧会が開かれたところで、ベルドン夫人は1等賞を与えられたが、夫人はそれを駅長に贈った。空襲警報が鳴りヴィンは飛行場へかけつけ、ミニヴァー夫人とキャロルは帰宅の途中、空襲にあった。キャロルは重傷を受け、ミニヴァー邸も倒壊した。ヴィンが帰って来た時にはキャロルは死んでいた。半壊した教会で牧師は、勇気をもって戦えと説くのであった。
スタッフ・キャスト
- 監督
- ウィリアム・ワイラー
- 脚色
- アーサー・ウィンペリス
- ジョージ・フローシェル
- ジェームズ・ヒルトン
- クローディン・ウェスト
- 原作
- ジャン・ストルーザー
- 製作
- シドニー・フランクリン
- 撮影
- ジョセフ・ルッテンバーグ
- 編集
- ハロルド・F・クレス
- 作曲
- ハーバート・ストサート
受賞歴
第15回 アカデミー賞(1943年)
受賞
作品賞 | |
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監督賞 | ウィリアム・ワイラー |
女優賞 | グリア・ガーソン |
助演女優賞 | テレサ・ライト |
脚色賞 | アーサー・ウィンペリス ジョージ・フローシェル ジェームズ・ヒルトン クローディン・ウェスト |
撮影賞(白黒) | ジョセフ・ルッテンバーグ |
ノミネート
男優賞 | ウォルター・ピジョン |
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助演男優賞 | ヘンリー・トラバース |
助演女優賞 | メイ・ウィッティ |
編集賞 | ハロルド・クレス |
特殊効果賞 | |
音響録音賞 |