ミッシング(1982)
劇場公開日:1982年10月30日
解説
73年9月南米チリで起きたクーデターの最中、失踪したアメリカ青年の事件をモデルにした82年度カンヌ映画祭グランプリ受賞作品。製作はエドワード・ルイスとミルドレッド・ルイス、製作総指揮はピーター・グーバーとジョン・ピータース、監督は「Z」のコスタ=ガブラス。トームス・ハウザーの原作に基づき、コスタ=ガブラスとドナルド・スチュワートが脚色した。撮影はリカルド・アロノヴィッチ、音楽はヴァンゲリス、美術はピーター・ジェイミソン、編集はフランソワーズ・ボノが各々担当。出演はジャック・レモン、シシー・スペイセク、メラニー・メイロン、ジョン・シェア、チャールズ・チオッフィなど。
1982年製作/アメリカ
原題または英題:Missing
配給:ユニヴァーサル映画/ポリグラム・ピクチャーズ=CIC
劇場公開日:1982年10月30日
ストーリー
73年、チャールズ・ホーマン(ジョン・シェア)と妻のべス(シシー・スペイセク)は、世界の現状を自らの目でみようと旅に出て、今は南米某国に住んでいた。チャールズはそこで小説を書きつつ、友人のフランクや、デイビッドが関わる「フィン」という非営利のラディカルな雑誌の翻訳も手伝っている。8月末、ニューヨークから、もう1人の友人テリー(メラニー・メイロン)が来た。チャールズは彼女の帰国前日、リゾート地、ビーニャ・デル・マールヘ日帰り旅行に出かけ、その夜、クーデターが起こった。世界初の自由選挙による人民政府が、軍によって覆されたのだ。ビーニャで足止めをくった2人は、朝の食卓でバドコックというアメリカ人と出会う。海軍の要請で来てると口をすべらす男。町には、なぜかアメリカ人が多く、軍服姿も目立つ。メモをとり出すチャールズ。結局2人は、米軍関係の上層部のタワー大尉(チャールズ・チオッフィ)に送られ、戒厳令下の首都に帰り、ホテルに1泊後、ベスの元に帰った。往来には死体が転がり、検問所が数カ所おかれている。空港は閉鎖され、チャールズとテリーは、記者のニューマンに会い、ビーニャのアメリカ人の事は忘れた方がいいと忠告され、チャールズはホテルの前でテリーと別れた。一方、フランクたちの様子を見に行ったベスは、銃声の行きかう街角で一夜を明かし、帰宅すると、家は荒れ放題で、夫の姿はなかった。チャールズの失踪を、べスは義父であるニューヨークのビジネスマンで、地位と財力に恵まれたエドワード・ホーマン(ジャック・レモン)に知らせる。1人息子の失踪に呆然となり、ホーマンは南米某国へ飛んだ。出迎えのベスに冷たい態度をとるホーマン。大使館に捜索を依頼するがアテにならないまま、2週間が過ぎ、主義主張、生き方の異なるホーマンとベスは反発し合う。しかし、領事パトナムを始め、大使館側は「友人のリストを出せ」と迫るばかりで、近所の人の話ではチャールズは彼らの家から軍に拘引され、政治犯が収容されているスタジアムに連れていかれたらしいとの情報から、ホーマンとベスの間のわだかまりは消えていく。病院まわりをし、スタジアムにも行く2人。アメリカの陰謀の影がちらつき出した。ある日、ニューマンの案内で難民の1人パリスからチャールズらしき囚人を見たとの情報を得、死体置場で射殺されたフランクの死体を発見。次の日、ホーマンはフォード財団で息子の死を知る。拉致された3日後にスタジアムで処刑されたというのだ。怒りを爆発させたホーマンに、大使は、息子さんは首を突っこみすぎたというだけだった。ベスと共にアメリカに帰国したホーマンは、ヘンリー・キッシンジャーを含む11人の公人を息子の死を共謀・放置したかどで告訴した。スタジアムの壁に埋められたチャールズの遺体は7カ月後に戻ってきたが、検死は不可能な状態。係争数年を経て、訴えは証拠不十分で却下された。
スタッフ・キャスト
- 監督
- コスタ=ガブラス
- 脚本
- コスタ=ガブラス
- ドナルド・スチュワート
- 原作
- トーマス・ハウザー
- 製作総指揮
- ピーター・グーバー
- ジョン・ピータース
- 製作
- エドワード・ルイス
- ミルドレッド・ルイス
- 撮影
- リカルド・アロノヴィッチ
- 美術
- ピーター・ジェイミソン
- アグスティン・テュアルテ
- Lucero Isaac
- 音楽
- バンゲリス
- 編集
- フランソワーズ・ボノー
- 衣装デザイン
- ジョー・I・トンプキンス
- 字幕
- 金田文夫