マッカーサー

劇場公開日:

解説

彼が厚木基地に降り立ってから、日本の戦後が始まった。その男、ダグラス・マッカーサーの半生を描く。製作総指揮はリチャード・D・ザナックとデビッド・ブラウン、製作はフランク・マッカーシー、監督は「サブウェイ・パニック」のジョセフ・サージェント、脚本はハル・バーウッドとマシュー・ロビンス、撮影はマリオ・トッシ、音楽はジェリー・ゴールドスミス、プロダクション・デザイナーはジョン・J・ロイド、特殊効果はアルバート・ウィトロック、編集はジョージ・ジェイ・ニコルソンが各々担当。出演はグレゴリー・ペック、イバン・ボナー、ワード・コステロ、ニコラス・コスター、レージュ・デュセイ、エド・フランダース、ラッセル・ジョンソン、サンディ・ケニヨン、ロバート・マンダン、アラン・ミラー、ダン・オハーリー、ディック・オニール、アディソン・パウェル、ケネス・トビー、ジェッシー・ダイゾン等。

1977年製作/アメリカ
原題または英題:MacArthur
配給:ユニヴァーサル=CIC
劇場公開日:1978年1月21日

ストーリー

1942年、真珠湾から3ケ月後、太平洋戦争下のフィリッピン。マッカーサー大将(グレゴリー・ペック)指揮下の米軍とフィリッピン軍は、この地域の最後の拠点コレヒドール島にしがみつき、日本軍との攻防にくれていた。しかし、ルーズベルト大統領(ダン・オハーリー)からは撤退命令が下された。これをマッカーサーは激怒したが、結局彼と夫人(マージュ・デュセイ)そして4歳になる一人息子は、PTボートで島を後にする。島にはウエインライト中将(サンディ・ケニヨン)が残留した。戦争の渦中より平和なオーストラリアのメルボルンに移ったものの、マッカーサーの心はフィリッピンだ。やがて、コレヒドールは日本軍に陥落。マッカーサーはもうじっとしていられなくなった。彼は空軍の協力を求め、飛行機を集めて、ニューギニアを襲った。と同時に、南洋諸島の日本軍補給路をあちこちで断った。日本軍にとって手痛い敗北だ。アメリカ本国では、マッカーサー株は急上昇し、共和党次期大統領候補にもその名は上がる。やがて、ハワイ沖で陸海首脳が集まり会議が始まった。ルーズベルトもいた。ニミッツ提督(アディソン・パウェル)は、台湾攻撃を提言し、マッカーサーはフィリッピン奪還を主張し、ついに彼はルーズベルトの了解をとりつける。巡洋艦ナッシュビルを司令艦とし、レイテ島攻撃をはじめ、遂に『Aデイ』、フィリッピン再上陸をはたし、マッカーサーは言う「フィリッピン市民諸君、私は帰ってきた」と。やがて彼は、陸軍元帥の称号を与えられる。ホイットニー少将(ディック・オニール)と副官ハフ(ニコラス・コスター)は、敵弾が炸裂する水田で銀貨を溶かし、マーカーサーに元帥の階級章である五つ星を作り贈った。間もなく、ルーズベルトが急逝し、副大統領から大統領に昇格したトルーマン(エド・フランダース)は、原爆投下の許可を下した。時に8月6日、広島にキノコ雲が上がり、長崎にもキノコ雲が……。そして15日、日本は無条件降伏し、歴史的調印式がミズーリ号艦上で行なわれた。やがて、敗戦国日本の占領軍総司令官として駐留することになったマッカーサーは、農地改革、財閥解体、新憲法制定など、抜本的な体制改革を実施、日本の軍備放棄も決定した。この間、アメリカ全土がこの国民的英雄マッカーサーの帰国を要請したにもかかわらず、彼は総司令官としての任務に全力を注ぐ。しかし、彼は再び戦場におもむくことになった。朝鮮動乱である。彼は台湾の中華民国政府に対し、協約をほのめかすようなことを言ってはならぬと、トルーマンから固く忠告されていたにもかかわらず、蒋介石と会い、その忠告を破った。さらに、彼は、本国の従軍軍人会に公開状を送り、アメリカの朝鮮政策が敗北主義と宥和主義に毒されていると、公然と非難した。その間にも、マッカーサーは、陸・海・空軍を動員し、仁川の北朝鮮補給ラインを叩き、38度線の北を窺った。彼が国連をまきこみ、朝鮮動乱を中共相手の戦争に拡大するのを怖れたトルーマンは、ウェーキ島に飛び、マッカーサーと会い、中共及びソ連国境を侵してはならぬと警告する。が、マッカーサーは、共産側が鴨緑江を越えて動員できる兵力は、5万に過ぎぬと反駁。だが次の感謝祭の日、北朝鮮は26万という大軍を動員して反撃に出た。敗走する米・韓国軍……。泥沼の戦いが続く--。数多くの犠牲を払い、アメリカは遂に京城を奪還。この頃、マッカーサーは公の場での私見発言を禁じられていた。だが、彼はトルーマンの北朝鮮との停戦交渉をナンセンスとし、共産側に、「朝鮮問題の解決を、マッカーサー個人と話し合うこと。さもなくば、彼らの全滅を期して徹底的反撃に出る」と最後通牒をつきつける。ここに至り、トルーマンはマッカーサーの解任を決意した。全世界に衝撃を与えたこのニュース。アメリカ国民は、任を解かれて帰国したこの英雄に、熱狂的歓迎を浴びせた。上下両院合同の議会に招かれたマッカーサーは、歴史に残る告別の演説を行なった。「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ……」と。82歳の老将軍は、次に彼の軍人としての出発点、ウエストポイントの陸軍士官学校に姿を見せ、「義務と名誉と、祖国を重んぜよ」と説いた。そしてこれを最後に、一生を軍人精神でつらぬいた老兵は、その言葉通り静かに人々の前から消えて行った--。

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スタッフ・キャスト

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受賞歴

第35回 ゴールデングローブ賞(1978年)

ノミネート

最優秀主演男優賞(ドラマ) グレゴリー・ペック
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映画レビュー

2.50149 歴史に移入するのは難しいお年頃でした。

2024年8月18日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

1978年公開
なのになんで観に行ったんでしょう?
今やったらまあ、じっくり見るんでしょうけど。
全然覚えとらん(笑)
50点
初鑑賞 1978年1月28日 梅田東映パラス

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NWFchamp1973

5.0さすがの格調 ペック選手

2023年8月27日
PCから投稿

太平洋戦争序盤のフィリピン撤退から復帰、終戦、占領軍、朝鮮戦争、解任、退役演説、要するに彼の一番輝かしい時期を描いています。
よって、幼少期や青年期、老後の生活は一切省かれているので日本人から観ても昭和史の勉強的な作品であり、視点も公平です。

但し、基礎知識があることを前提に作られており、開戦までの経緯や、人物の説明的なシーンは一切ありません(例えば戦争中にルーズベルトが死んでトルーマンに代わる)。
かなりのエピソードを2時間強に詰め込んでいるのでシーンが変わる度に、「あ、あの人」ってすぐわからないとちょっと厳しいかもしれません。
よって、少しWW2から日本降伏と進駐、朝鮮戦争までの流れを先に頭に入れてから観た方がよいでしょう。

記録的な作品なので人物描写などの内面性は希薄です。

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越後屋

2.5終戦後GHQ司令官として日本にいたマッカーサーに対して幣原総理大臣...

2016年8月20日
PCから投稿

終戦後GHQ司令官として日本にいたマッカーサーに対して幣原総理大臣が戦争の放棄を訴える場面がありました、戦争放棄はマッカーサーの押しつけではないとゆう事ですね。
映画は一寸退屈しました。

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Tomcat