冬の光のレビュー・感想・評価
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神の不在に苦悩する人間の弱さを凝視したモノクロ映像美の純度とその幽玄さ
「野いちご」「魔術師」「ペルソナ」「叫びとささやき」と観てきたイングマル・ベルイマン監督作品5本目の鑑賞。ここまでの劇場鑑賞76作品中の5本は、チャールズ・チャップリンと並んで最多となる。
これまでのベルイマン作品では、「野いちご」に並ぶ感動を受けた。その第一の理由は、スヴェン・ニクヴィストのあまりにも美しいモノクロ映像の完璧さに心打たれたからだ。現時点での最も純度高く幽玄な映像美の最高傑作になる。
しかし、この物語に感動することはなかった。キリスト教についての知識も関心も理解も持たない一日本人のこれまでの価値観からは、最も無関係な精神世界であるし、神の不在に悩み苦しむ異国の人達に同情を寄せることも、共鳴することもない。ただ、そのような生きる意味を模索する人間の姿を日常の中に描いた深刻さ、それを映画の表現に昇華した真摯さに感銘を受けただけである。
1976年 9月22日 池袋文芸坐
中学時代のある社会科授業で抱いた不満がある。その先生が、宗教は必要か必要ではないか、と生徒に質問したことがあった。突然の問いかけに、全員必要だに手を挙げそうな雰囲気だったので、私ひとり必要ではない方に故意に挙手をした。驚いた先生が、その理由を聞かれたので正直に答える。(歴史の授業で習う縄文・弥生時代の生活に密着した宗教の位置付けを知ると、今の私にはお葬式とお盆の時にしか宗教を感じません。だから、このままいけば宗教は無くなると思います)それまで欧米映画を観て抱いていた疑問のひとつが、キリスト教の存在だった。特に毎週教会にお祈りする習慣や時に懺悔する場面を観て、日本との違いを痛感していました。何故宗教が必要なのかを、先生の言葉で聴きたかったのです。しかし残念ながら、納得できる回答は得られなかった。後になって余計なことをしたなと反省はしたものの、元々敬虔な仏教徒ではない中学生が抱く素朴な疑問は暫く解消されなかった。
そんな思いでベルイマンの映画を観ると、人間の弱さを知ることの大切さに気付くことが出来る。
メモ
神はいないんじゃないかと、生きること苦しむ男?(ちゃんと覚えてない)が神父の元に来る。それをきっかけに神父は人生を考える。亡き妻への愛を省みる。独身女が迫ってくるも、君を愛せないと突き放す。映画の最後までこの世に生きる価値を見いだせない。
ざっと整理したが、もう一度見たい。いくつか確かめたいことがある。
手紙を読んで楽屋に光がさすシーン。それから独身女に「夢かと疑った」という。頭が悪いので流れがつかめない。
あっさり自殺したので印象が薄いあの男が喋ったことをまた聞きたい。
夫を亡くした家庭の子どもがかわいそう。そこの描写が強調されてて好感。
キリストは死ぬ前2つのことに苦しんだろうと映画は言う。1つは弟子に最期に見捨てられたこと。もう1つは神が黙ったままなので孤独を感じたこと。
神父の男が人間味ありありであまり聖職者に見えない。親しみを感じる。人を愛せない。どうか独身女と結ばれてほしい。
(ロケーション)教会、楽屋?、小学校、男の自殺現場、その妻の家
映画のダイナミズムに欠ける
それにしても長い、冒頭の礼拝のシークエンス。観客に礼拝の退屈さを感じさせる効果を狙ったとしか思えないほど、他に意味の見いだせない冗長な感がある。
今回、ベルイマンの作品をDVDでまとめて幾本か鑑賞した。キリスト教や信仰心をテーマにした映画が多く、この作品もそれに連なるものになるのだろう。しかし、ここまで信仰についての考えを直接的に語る人物を映像化すると、これはもうほとんど映画作家のモノローグと言ってよいのではないだろうか。
なんだか他の作品に比べてずいぶんと映画としての運動が伴わない印象を受けた。
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