ひまわり(1970)のレビュー・感想・評価
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すごく濃い内容なのに2時間無い!
以外と観るの初めて
ソフィアローレンが濃い!
マストロヤンニも濃い!
ストーリーが濃い!
サントラも何か濃い!
何より人情が濃い!
現代が薄すぎるってのもある。
『無法松の一生』を見たのと同じ気持ちになると言うたら怒られるかな
あんなに人を愛したことがあるだろうか。
怒る女
ジョバンナの泣く姿よりも、怒る姿の方が、印象が強かった。なんだかピカソがドラ・マールをモデルに描いた、「泣く女」が浮かんできた。反対に、アントニオは弱い。流され、迷い、思いきりが悪い。まあ、本人のせいではないのだが。
戦争は市民が一番損をする。まったくいいことはない。戦争がなければ、運命が変わったのに。寒い寒いロシア。あったかいイタリアから、こんな寒いところまで連れてこられ、死ぬことになった多くの人々。大地に広がる、おびただしい十字架。生き抜いてイタリアに帰国できた人もいれば、ロシアに残る人もいる。生きていても、みんな心に傷を受けている。
ひまわりは太陽に向かって咲く、明るいイメージだが、こんなにたくさん咲いていると、怖く感じてしまう。死んだ人がひまわりになったかのような怖さ。無言で大地に立つ姿が、悲しい。テーマ曲の効果もあるかもしれない。静かなる反戦映画。
映画の中のロシアのおばさんやこどもは、ジョバンナに親切だった。一般市民はどこの国も普通の人間なのだ。戦争をしようと思うのは、政治家や軍人など。今も普通のロシア人は、戦争を望んでいないと思いたい。まさか、21世紀にこんなことが起こるとは、想像もしなかった。一刻も早く終わって欲しい。
BSプレミアムの放送にて。
原題のI girasoliとはイタリア語でのひまわりらしい。 この劇中のひまわり畑がウクライナにあることも知られていると思う。
BS-NHKで映画「ひまわり(1970)」を見た。
1970年製作/107分/G/イタリア
配給:アンプラグド
日本初公開:1970年9月
原題のI girasoliとはイタリア語でのひまわりらしい。
この劇中のひまわり畑がウクライナにあることも知られていると思う。
ビットリオ・デ・シーカ監督といえば「自転車泥棒(1950)」で有名らしい。
オレはあまりよく知らない。
音楽はヘンリー・マンシーニ。
ソフィア・ローレンは今年(2022年)88才
劇中の彼女は本当に綺麗だ
身長は174cm。
マルチェロ・マストロヤンニは1996年に亡くなってる。
ほとんど誰でも知ってるストーリーだと思うが、
最初から最後まで見たのはこれが初めてである。
アントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)とジョバンナ(ソフィア・ローレン)は
イタリアの新婚夫婦。
第2次世界大戦でアントニオはロシアの最前線に送られた。
凍てつく大地で凍死寸前のアントニオは現地のロシア人女性マーシャ(リュドミラ・サベーリエワ)に助けられた。
終戦になってもアントニオはイタリアに還らなかった。
マーシャと家庭を持って子供(カチューシャ)もいる。
ジョバンナはロシアの地で夫を探して歩きまわる。
そしてついに見つけてしまう、夫とその家庭を。
マーシャはジョバンナを家に招き入れる。
部屋には枕が2つ置かれた夫婦のベッドがあった。
マーシャは片言のイタリア語で、アントニオと出会った過去を話し始める。
雪原で凍死しかけていた彼をマーシャが救った。
その時アントニオは、自分の名さえ思い出せないほど記憶を無くしていたという。
汽笛が聴こえマーシャはジョバンナを駅に連れて行く。
汽車から次々と降り立つ人たちの中に、アントニオの姿。
駆け寄ったマーシャをアントニオは抱き寄せようとする。
マーシャは彼をとどめてジョバンナの方を指さす。
驚くアントニオが見たのはジョバンナの姿だった。
かつての夫と妻は距離をおいたまま、
身じろぎもせず互いを見つめ合う。
ジョバンナの表情が悲しみで歪んだ。
アントニオが何か言おうとした途端、
ジョバンナは背を向け、既に動き出していた汽車に乗せてくれと叫び、飛び乗った。
座席に倒れ込むように座ると、
ロシアの人々が奇異の目で見る中、声を上げてむせび泣く。
満足度は5点満点で4点☆☆☆☆です。
魂の疼きを癒す中和薬
目の前で起こっている現実を見ているようだった。
自分自身の現実でもなく、他人が直面している現実でもない。
映画という現実を経験しているとしかいいようのない時間だった。
素晴らしい映画とは、こういう作品のことを言うのだろう。
第七芸術と言われる映画だからこそ表現できる世界が、2時間弱のフィルムの中に収められている。 類まれな名作の一つだ。
ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニという二人の名優の演技が、これ以上ないほどに切ない。 監督は、どういう気持ちで演出したのだろうか。 細部の細部にわたるまで、制作者たちの魂がこめられているのを感じた。
戦争で同じような経験をした人は、いくらでもいると思う。 この作品以上に過酷な運命をたどった人も、大勢いるはずだ。 そしてその誰もが、理不尽な現実の前に跪き、沈黙するしかなかった。
呑み込めるはずのない現実を無理やり呑みこみ、腹の中に据えたまま戦後を生き、死んでいった人たち。 そういう人たちにとってこの作品は、 時に耐え難い疼きをもたらす記憶の毒を、少しでも中和する作用があったのではないだろうか。 この作品を観て流れる涙の中には、心の中から排出された記憶の毒が含まれている。
若い頃観たはずなのだが、ストーリーさえ忘れていた。 当時の私にとっては、単なるメロドラマだったのだろう。 歳をとると感動のツボが変わることを、この作品でつくづく実感。
【ヘンリー・マンシーニによる切ないメインテーマが心に響く。現況のウクライナ紛争を見ても、ロシアを統べる男は歴史から何も学んでいない。戦争により引き裂かれた男女の哀切なる物語である。】
■ナポリの海岸で出会い、恋に落ちたジョバンナ(ソフィア・ローレン)とアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)。
結婚するふたりだったが、第二次世界大戦が激しさを増して狂言で免れようとするも、アントニオはソ連戦線へと出征することに。
やがてジョバンナのもとに夫が行方不明なったとの報せが。
それを信じられぬジョバンナは単独、ソ連へ向かう。
◆感想
・序盤の、ジョバンナとアントニオが、恋に陥るシーンは、如何にもイタリア映画らしい。
ー 卵、24個を使ってアントニオがオムレツを作るシをーンなどは、クスリと笑える。だが、卵は多くの映画で暗喩されているとおり、命の象徴である。それを、食べきれずに捨ててしまう二人のその後の運命が暗示されているシーンである。-
・アントニオが、狂言をしつつ、ソ連への徴兵を忌避しようとするシーン。だが、あっさりとそれは見破られ、彼はソ連に兵士として送られる。
ー この辺りの事情は、第二次世界大戦の実情が知識としてあれば、何ら問題ない。-
■今作が、世の評価を得たのは、後半の展開である事は間違いない。
ソ連に出征しながらも、生死が分からなくなった、アントニオの姿を追い求めるジョバンナの姿。
更に凄いのは、ジョバンナが自ら、ソ連に夫を探しに乗り込んでいくシーンである。
数ある戦争映画で、自らが愛した男を戦地に赴き、探す映画は稀少である。
・そこで、ジョバンナが目にした、アントニオがソ連で幸せな家庭を送っている事を目の当たりにしたシーン。
ー ここも、雪の中、斃れている兵士の中、アントニオを必死に連れ帰るウクライナ人と思われるマーシャの姿が、キチンと描かれている事で、観る側はアントニオを責める気持ちにはなれないのである。-
<当たり前であるが、戦争は不幸しか齎さないと言う事を今から50年以上前に、描き出した作品。ソフィア・ローレンの深い哀しみに対して、凛とした姿を保つ姿が心に響く作品である。
現況下、ロシアを統べる男に正座して、100回程今作を観させたいと思うのは、私だけであろうか。>
<2022年7月22日 刈谷日劇にてHDレストア版にて鑑賞>
ひまわりの景色きれいでした。 戦争が愛し合うふたりを引き裂き、 運...
あの旋律の切なさがまだ耳に残っている
ウクライナ侵攻に思いを馳せ収益の一部を寄付するということでHDレストア版を公開ってことで名画を映画館で観ることができたけど、やはり複雑な心境。
ひまわりの咲き乱れるウクライナが今もまだ戦乱の地として現在進行系で踏みにじられていることについては、なかなか気持ちの整理をつけることができないでいる。
夥しいひまわりと、夥しい墓標。
なんて哀しい大地なんだろう。
哀しい大地が早く平穏を取り戻せるよう、心から願っています。
鑑賞前は悲恋の認識はあったものの戦争で引き裂かれる悲しい恋の物語ってくらいの知識だったので、よよと泣き崩れる哀れな女性かなくらいに思ってたらなんのなんの。強いイタリア女性ここにありとばかりの、情熱的で激しいソフィア・ローレンが素晴らしい。彼女とアントニオは情熱的に恋をしてそして戦争によって隔たれてしまう。ジョバンナは泣き崩れるままではなく必死で探し回り、そしてアントニオの真実を知る…
歴史と運命が、情熱的な絆を引き裂いたとき、何が人を癒してくれるんだろうか。
過去の、情熱的な恋の記憶?
新しい恋?
癒してくれるのは甘く切ないあの旋律だけなのかもしれない。
美しいが死を連想させる「ひまわり」が印象深い一作。
表題ともなっているひまわりが一面に咲き誇る場面が非常に印象的な作品。デ・シーカ監督は明らかにひまわりを、「死」の象徴として描いていて、それは作中でも、ひまわり畑とほぼ同じ構図で映し出される無数の墓標によって強調されています。第二次世界大戦後の旧ソ連(ウクライナ)、イタリアを舞台とした本作は、単に撮影場所の一つがウクライナだった、というだけでなく、戦争によって運命を大きく狂わされた人々を描いているという点でも、今観られるべき作品となっています(収益の一部はウクライナ支援に使われるとのこと)。
2020年に製作50周年を記念してHDレストア版が制作、公開されているため、画面はひときわ美しくなっています。マルチェロ・マストロヤンニは前半部では快活で軽薄な若者を、後半部では人生の陰を引きずり、疲労しきった男性を演じ分けています。一方ソフィア・ローレンもまた、行方不明の夫を探して奔走する女性を演じており、夫の行方を知りたいがあまり激情してしまう場面も少なくありませんが、それでもまさに正真正銘の「名優」としての存在感は全く揺らぎません。むしろ演技の面ではマストロヤンニの印象を奪ってしまっているのでは、と思うほどです。
ヘンリー・マンシーニが手がけたテーマ曲は、映画音楽を代表する名作として知られていますが、作中でも繰り返し流れるため、映像とともに脳裏に焼き付きます。
世界で最も知られた名作の一つなのに、上映時間は約100分と、現代の基準から観たら非常にコンパクトな作り。しかし旧ソ連とイタリアを舞台にした物語は、上映時間からは想像もできないような広がりを見せています。
本作を映画館で観ることができる機会が訪れるとは想像もしていませんでしたが、上映の背景にウクライナ問題があることを思うと少し複雑な気分になります。少しでも早くウクライナの戦争が終結することを願ってやみません。
いい映画なのに…
確かに切ない
キネ旬シアターに行ってみた
はい。よく私のやんちゃレビューを覗きに来て頂きました。ありがとうございます。
さてこの映画ですが古い作品です。私はリバイバル上映で2回、テレビ放送で1回観ています。だから全て記憶しています。しかしながら・・・
久々過ぎて記憶漏れ多数。新鮮な気分で観れました。お礼を言いたい。
サンキュー、私の海馬‼️
なんか色々なメディアで取り上げられています。どうやら千葉県の柏で上映しているらしい。柏市の木は柏、柏市の花はひまわり。
もう凄く遠いんですよ。まずは船橋駅に行きます。あのね船橋ヘルスセンターがない今時ですよ。行かないでしょ。我々(え?誰?)地下鉄東西線沿線の住民にとっては西船橋が最果ての駅。そして千葉県の玄関口。例えばららぽーとやマリンスタジアムや中山競馬場に行く時は必須の駅。
だからね駅名に船橋の入った駅って沢山あるけど不動の一位は西船橋駅。二位は南船橋駅。ららぽーとの映画館は昔散々通ったからね。野鳥観察が趣味の私は谷津干潟にも行くしね。
この2トップは揺るがない。あとの駅はいらない。(失礼極まりない) 東船橋駅って何?いらなくない?(重ね重ね失礼) 船橋法典駅は中山競馬場があるんで必要。
閑話休題、船橋駅から東武アーバン パークラインに乗って柏駅に向かいます。なんだ?その小洒落た名前は?小田急スカイライナー的な。そしたらね・・・フツーの電車でやがんの!最初の停車駅は新船橋駅。初耳だわ!まじでいらなくね?船橋駅軍団の最弱駅だわ。雑魚キャラだよ。ドラクエだとスライムクラス。(失礼過ぎるわ!)
ただね、船橋在住の知人に聞いた所、船橋駅軍団のラスボスはやっぱり船橋駅なんだって。なるほどね。理由は察しがつく。おうおうJR東日本さんよーー
西船橋駅に総武快速を止めやがれ‼️
市川駅は通過でいいからよー(失礼)津田沼駅も通過でいいからよー(さらに失礼) YO〜YO〜
お前は!やからか‼️あるいは・・・
ネット・カジノで4600万使っちゃうクソか‼️
それで東武アーバンパークラインに乗って柏駅に行くんですが、車窓からの景色がね、まじで・・・
クソ田舎だわ!(ごめんなさいね) なんにも無いんだよ!駅前に。東武ストアしかねえ!おいおい・・・
どこがアーバンなんじゃあ!
やっとの思いで柏駅に到着しました。私のHPは大きく削られました。千葉県的には大都会感が有り。都内で言うと北千住駅ぼい。
東武アーバンパークラインは昔の東武野田線らしい。物凄くどうでもいいわ!
さてと・・・柏って生まれて初めて来た。柏レイソルファン以外の人は行かないでしょ。
はい。枕は終わります。なんか千葉県のローカルな話しが多くてごめんなさい。関係者の皆様、ボロクソに言ってごめんなさい。さてと・・・要らないのは承知ですが、簡単にストーリーを。
ジョバンナ(ソフィア・ローレン)は海岸でアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)と知り合い恋に落ちます。時代は第二次世界大戦中。アントニオはアフリカ戦線に行く予定です。
結婚をすると12日間の休暇が貰えるので、即結婚します。二人は朝となく夜となく睦み合うのですが、楽しい時間は恐ろしい速さで過ぎ去ります。
戦争には行きたくない!ジョバンナと一緒に居たい!そこで一計を案じ精神障害のふりをするんですが、あえなく露見。
一番苛酷なロシア戦線送りになります。やがて・・・戦争は終わり、スターリンも死去しました。でも・・・
アントニオは帰ってこない・・・ジョバンナは来る日も来る日もミラノ駅に通い詰めます。手掛かりを探すために。
そして約5年の月日が流れ、微かな手掛かりを元にソ連に向かいます。ソ連は戦勝国です。
そして大使館員と一緒に戦地のウクライナへ・・・
一面のひまわり畑。地の果てまで。現地の婦人が語ります。
「このひまわり畑の下にはロシア兵と捕虜だったイタリア兵が眠っています」
ここです!キービジュアルもここ!ストーリーも大事。でも映像はもっと大事。ヴィトリオ・デ・シーカ監督もがんばった。なにしろ公開当時は東西の冷戦下。ウクライナの独立は1991年、割と最近じゃん。
ジョバンナは足を棒にして探し回り、ついに!ついにアントニオを知っていると言う人に出逢います。家を案内されました。洗濯物を干す若い女性。意を決して訪ねます。いやな予感。
いやな予感は的中。4歳の女児が出迎えて一言言いました。
ボンジョルノ。
何故ソ連の女児がイタリア語?はい。伏線回収しました。時系列を戻します。ジョバンニはモスクワで気になる人物に会うんです。多分、いや絶対にイタリア人。伊達男。はい正解でした。今はロシア人として生きている。
閑話休題、女児は初対面のジョバンナがイタリア人と分かったんですね。そして家に招かれます。若妻(リュドミラ・サベリーエワ)にアントニオの写真を渡します。若妻は返す時に、手が震えています。
気まずい二人。気まずい時間。言葉も通じない。
しかしお互いに全てを察します。そして・・・
この映画の白眉。あるいはイタリア映画史上の屈指の名場面。
駅のシーン。工場から帰るアントニオ。説明する若妻。目が会う二人。
言葉を交わす事なくジョバンナは汽車に飛び乗ります。そして感情が爆発。待ったのに。苦労したのに。泣きたいのに。怒りたいのに。
うーん、せつない。たまらない。どうしよう?微妙な機微がたまらない。それぞれの事情があってもね・・・
当初はこの場面をエンディングにする案もあったらしい、だが製作のカルロ・ポンティ(ソフィア・ローレンのパートナー)が異議を唱えてこの先が撮影されました。
で、やっぱり、ひまわりだよね。冒頭、中盤、エンディング。全部印象的だね。眩しいくらいに。そして今現在のウクライナ情勢を思うとたまらない。
どうかウクライナに平和を・・・
ところで苦労して柏まで行った訳だが、この映画を観たらホイミを貰った。やっぱり良い映画は時代や国境を越えるよね。
キネ旬シアターもマニアックな映画館だけど良心的な映画館。また来るよ。多分。小旅行で大変だったけど観て良かった。そして・・・
今も私の耳の奥でヘンリー・マンシーニの哀愁のメロディが鳴っている。
あっ!しまった!一週間後に近所の映画館でやるわ!
まあいいか。
こんな長文にお付き合い頂きありがとうございました。
やっぱソフィア・ローレン良かったなぁ💕
不朽の名作、公開50周年レストア版ひまわり🌻
映画館内は、自分より年上、60〜70代のカップルがいっぱいでビックリ❗
やっぱソフィア・ローレン良かったなぁ💕
あの広大なひまわり畑がウクライナで撮影されたっていうのは今日知りました🙏
キズを隠して余りある作品
ヘンリー・マンシーニの音楽、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ…それぞれの目の表情、そしてひまわり畑の青空と黄色の花…。
これだけを見れば、この映画から感じることはたくさんあるだろう。
本来戦後10年くらい1950年代半ばかせいぜい60年くらいの時代設定だろうに、映る場面は1968-69年くらいの旧ソ連のウクライナである。2020年代から見れば、50年以上前の当地の様子でも時代遅れ感はあるだろうが、西側の映画撮影隊がソ連で現地ロケするという困難さに対して、映像面で結構妥協したような印象をいくつか受けた。それが見る途中にも引っ掛かり、「戦争で割かれた1組の男女」という大きなテーマが、ぼくには霞んでしまう面もあった。
それでも、そんな傷をも、演者の目の演技とドラマチックすぎるようなメロディー、映像が十二分にカバーしている。
50年以上たってはいるが、やはり見ておくべき1本ということに異論はない。
東京から小一時間かけて千葉・柏まで行ったが、さすがにリバイバル公開から2カ月近くたっておりガラガラであった。
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