ひまわり(1970)のレビュー・感想・評価
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男女の違いが浮き彫り
この当時の戦争に翻弄された男女を描いたものは
この手のパターンが多いのだろうか。
もしかすると現実でもそうだったのかもしれない。
平和な時代であれば、どうってことない
バカップルとして夫婦仲良くいられたものを、
抵抗むなしく前線へ。
この映画の場合は夫が記憶を無くし
回復したら改めて自分の人生を取り戻したくなる。
その間ほかに家庭ができても、そう思う気持ちは
自然なものだろう。
でも再会した妻ももう別の道を歩いていた。
時間は巻き戻せないと悟る二人。
しかし男は過去の幸せな頃にこだわり
女は現在をみている。
これはいつの時代であってもそうなんだろう。
ある意味この夫は記憶を無くして幸せだったのかもしれない。
戦争から無事に戻ってきても、ずっとPTSDで心が帰れなかった
者たちも多かったろうし、その場合の家族は
ずっと別人となった男を隣にいながら待ち続けなくてはならなかった。
とにかく戦争は二度と起こしてはならないものだと
改めて心に刻む作品だった。
そしてソフィア・ローレンの目力も深く刻まれた。
もしもあの時
ひまわりのテーマ曲は、私の幼い時の記憶を呼び戻す曲です。本作を好きな父親が、普段から良く聴いていたそう。だから、このヘンリー・マンシーニの旋律を聴くと、幼少期に見ていた東京の景色を思いだすのです。子供心に何となく物悲しく感じたテーマ曲でしたが、本作を初めて鑑賞した時の衝撃も忘れられません。
もしもあの時戦争がなければ、もしもあの時ふたりが再会していれば、もしもあの時、、、
ソフィア・ローレンもマルチェロ・マストロヤンニも美しく気品がありますが、表現もとても良かったです。若さ溢れる初々しい出会いからラストの別れに至るまで、本当に沢山の月日が経った様にみえました。愛する人と幸せな現在の生活との狭間で揺れ動くふたり。イタリア監督ならではの美しいカメラと雄大なひまわり畑が、逆に哀しみを誘います。
人類が長い歳月、数えきれない殺しあいをしてきていても、今日も変わらずウクライナではひまわりが咲いている。花はいつも美しいのに、人間はいつも愚かしい。悲しいことに、いまだにジョバンニとアントニオは世界中に沢山存在しているのです。
ソフィア・ローレンの演技に涙。ヘンリー・マンシーニの楽曲に涙。
物語は愛と戦争と悲劇をめぐる。
広大な土地に咲くひまわり。
そこに流れるヘンリー・マンシーニの楽曲は切なく
この後に続く映画の内容を暗示する。
題名の「ひまわり」は現在のウクライナの国花
撮影当時ソビエト連邦のウクライナのひまわり畑で撮影。
悲しい歴史のあるウクライナに咲くひまわり
それだけで普通と違うものが湧き上がる。
そしてソフィア・ローレン。
見逃してはいけないのは彼女の表情。
ウクライナの夫の家で見た寝室に
希望を砕かれ、絶望感に襲われた。
さらにラストシーンで見せた別離の演技。
映画の中で愛に喜び、愛に苦しんだが
この二つのシーンで彼女の凄さを見た。
エンドクレジットでは
再び、美しいひまわり畑に戻る。
切ない音楽とともに。
心に留まる名作。
※
劇場でひまわりを、観たかったなあ。
ジョバンナの健気さ
すごく濃い内容なのに2時間無い!
あんなに人を愛したことがあるだろうか。
怒る女
ジョバンナの泣く姿よりも、怒る姿の方が、印象が強かった。なんだかピカソがドラ・マールをモデルに描いた、「泣く女」が浮かんできた。反対に、アントニオは弱い。流され、迷い、思いきりが悪い。まあ、本人のせいではないのだが。
戦争は市民が一番損をする。まったくいいことはない。戦争がなければ、運命が変わったのに。寒い寒いロシア。あったかいイタリアから、こんな寒いところまで連れてこられ、死ぬことになった多くの人々。大地に広がる、おびただしい十字架。生き抜いてイタリアに帰国できた人もいれば、ロシアに残る人もいる。生きていても、みんな心に傷を受けている。
ひまわりは太陽に向かって咲く、明るいイメージだが、こんなにたくさん咲いていると、怖く感じてしまう。死んだ人がひまわりになったかのような怖さ。無言で大地に立つ姿が、悲しい。テーマ曲の効果もあるかもしれない。静かなる反戦映画。
映画の中のロシアのおばさんやこどもは、ジョバンナに親切だった。一般市民はどこの国も普通の人間なのだ。戦争をしようと思うのは、政治家や軍人など。今も普通のロシア人は、戦争を望んでいないと思いたい。まさか、21世紀にこんなことが起こるとは、想像もしなかった。一刻も早く終わって欲しい。
BSプレミアムの放送にて。
原題のI girasoliとはイタリア語でのひまわりらしい。 この劇中のひまわり畑がウクライナにあることも知られていると思う。
BS-NHKで映画「ひまわり(1970)」を見た。
1970年製作/107分/G/イタリア
配給:アンプラグド
日本初公開:1970年9月
原題のI girasoliとはイタリア語でのひまわりらしい。
この劇中のひまわり畑がウクライナにあることも知られていると思う。
ビットリオ・デ・シーカ監督といえば「自転車泥棒(1950)」で有名らしい。
オレはあまりよく知らない。
音楽はヘンリー・マンシーニ。
ソフィア・ローレンは今年(2022年)88才
劇中の彼女は本当に綺麗だ
身長は174cm。
マルチェロ・マストロヤンニは1996年に亡くなってる。
ほとんど誰でも知ってるストーリーだと思うが、
最初から最後まで見たのはこれが初めてである。
アントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)とジョバンナ(ソフィア・ローレン)は
イタリアの新婚夫婦。
第2次世界大戦でアントニオはロシアの最前線に送られた。
凍てつく大地で凍死寸前のアントニオは現地のロシア人女性マーシャ(リュドミラ・サベーリエワ)に助けられた。
終戦になってもアントニオはイタリアに還らなかった。
マーシャと家庭を持って子供(カチューシャ)もいる。
ジョバンナはロシアの地で夫を探して歩きまわる。
そしてついに見つけてしまう、夫とその家庭を。
マーシャはジョバンナを家に招き入れる。
部屋には枕が2つ置かれた夫婦のベッドがあった。
マーシャは片言のイタリア語で、アントニオと出会った過去を話し始める。
雪原で凍死しかけていた彼をマーシャが救った。
その時アントニオは、自分の名さえ思い出せないほど記憶を無くしていたという。
汽笛が聴こえマーシャはジョバンナを駅に連れて行く。
汽車から次々と降り立つ人たちの中に、アントニオの姿。
駆け寄ったマーシャをアントニオは抱き寄せようとする。
マーシャは彼をとどめてジョバンナの方を指さす。
驚くアントニオが見たのはジョバンナの姿だった。
かつての夫と妻は距離をおいたまま、
身じろぎもせず互いを見つめ合う。
ジョバンナの表情が悲しみで歪んだ。
アントニオが何か言おうとした途端、
ジョバンナは背を向け、既に動き出していた汽車に乗せてくれと叫び、飛び乗った。
座席に倒れ込むように座ると、
ロシアの人々が奇異の目で見る中、声を上げてむせび泣く。
満足度は5点満点で4点☆☆☆☆です。
魂の疼きを癒す中和薬
目の前で起こっている現実を見ているようだった。
自分自身の現実でもなく、他人が直面している現実でもない。
映画という現実を経験しているとしかいいようのない時間だった。
素晴らしい映画とは、こういう作品のことを言うのだろう。
第七芸術と言われる映画だからこそ表現できる世界が、2時間弱のフィルムの中に収められている。 類まれな名作の一つだ。
ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニという二人の名優の演技が、これ以上ないほどに切ない。 監督は、どういう気持ちで演出したのだろうか。 細部の細部にわたるまで、制作者たちの魂がこめられているのを感じた。
戦争で同じような経験をした人は、いくらでもいると思う。 この作品以上に過酷な運命をたどった人も、大勢いるはずだ。 そしてその誰もが、理不尽な現実の前に跪き、沈黙するしかなかった。
呑み込めるはずのない現実を無理やり呑みこみ、腹の中に据えたまま戦後を生き、死んでいった人たち。 そういう人たちにとってこの作品は、 時に耐え難い疼きをもたらす記憶の毒を、少しでも中和する作用があったのではないだろうか。 この作品を観て流れる涙の中には、心の中から排出された記憶の毒が含まれている。
若い頃観たはずなのだが、ストーリーさえ忘れていた。 当時の私にとっては、単なるメロドラマだったのだろう。 歳をとると感動のツボが変わることを、この作品でつくづく実感。
戦争が裂いた愛
テレビ大阪での放送を鑑賞。
最近行われていたリバイバル上映に足を運ぶことが叶わなかったので、今回の放送はめちゃくちゃ嬉しかったです。
戦争が引き裂いた愛が切ない。戦争さえ無かったら、ふたりは今も仲睦まじく暮らしていたはずだろうになぁ…
別れのシーンはあまりにもツラい。アントニオを乗せた列車を見送るジョバンナが流した涙にグッと来ました。
相手への想いを胸に仕舞い込んで、それぞれの生活へ戻っていく。ふたりとも、せめてそちらでは幸せであれ。
何はともあれ、悲劇しか生まない戦争は忌避し続けるべきだし、現実、本作の印象的なひまわり畑のある国が蹂躙されている今、改めて考えるべきことだと思いました。
※修正(2023/05/23)
【ヘンリー・マンシーニによる切ないメインテーマが心に響く。現況のウクライナ紛争を見ても、ロシアを統べる男は歴史から何も学んでいない。戦争により引き裂かれた男女の哀切なる物語である。】
■ナポリの海岸で出会い、恋に落ちたジョバンナ(ソフィア・ローレン)とアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)。
結婚するふたりだったが、第二次世界大戦が激しさを増して狂言で免れようとするも、アントニオはソ連戦線へと出征することに。
やがてジョバンナのもとに夫が行方不明なったとの報せが。
それを信じられぬジョバンナは単独、ソ連へ向かう。
◆感想
・序盤の、ジョバンナとアントニオが、恋に陥るシーンは、如何にもイタリア映画らしい。
ー 卵、24個を使ってアントニオがオムレツを作るシをーンなどは、クスリと笑える。だが、卵は多くの映画で暗喩されているとおり、命の象徴である。それを、食べきれずに捨ててしまう二人のその後の運命が暗示されているシーンである。-
・アントニオが、狂言をしつつ、ソ連への徴兵を忌避しようとするシーン。だが、あっさりとそれは見破られ、彼はソ連に兵士として送られる。
ー この辺りの事情は、第二次世界大戦の実情が知識としてあれば、何ら問題ない。-
■今作が、世の評価を得たのは、後半の展開である事は間違いない。
ソ連に出征しながらも、生死が分からなくなった、アントニオの姿を追い求めるジョバンナの姿。
更に凄いのは、ジョバンナが自ら、ソ連に夫を探しに乗り込んでいくシーンである。
数ある戦争映画で、自らが愛した男を戦地に赴き、探す映画は稀少である。
・そこで、ジョバンナが目にした、アントニオがソ連で幸せな家庭を送っている事を目の当たりにしたシーン。
ー ここも、雪の中、斃れている兵士の中、アントニオを必死に連れ帰るウクライナ人と思われるマーシャの姿が、キチンと描かれている事で、観る側はアントニオを責める気持ちにはなれないのである。-
<当たり前であるが、戦争は不幸しか齎さないと言う事を今から50年以上前に、描き出した作品。ソフィア・ローレンの深い哀しみに対して、凛とした姿を保つ姿が心に響く作品である。
現況下、ロシアを統べる男に正座して、100回程今作を観させたいと思うのは、私だけであろうか。>
<2022年7月22日 刈谷日劇にてHDレストア版にて鑑賞>
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