ひまわり(1970)のレビュー・感想・評価
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2人のロマンスを秘めて咲くひまわり
初めて観た作品でした。
2人の出会いから燃えさかる恋!
でしたが、アントニオが戦争に行き、冷たい雪
のなか、冷え切った身体と心を温めてくれた
女性がいた、、
犬は何事も無かったようにアントニオの顔を舐めていたけど、
戦争によってすれ違いになった2人が
やっと出会えたけど別々の人生を歩んでいく
ラストシーンのひまわりが悲しみと太陽の
光を浴びて咲く風景に
余韻の残るストーリーでした。
終戦の日を前にして
この映画は、一見すると、イタリアの美女(ソフィア・ローレン)と美男(マストロヤンニ)によるやや大袈裟なメロドラマに見えてしまう。今、受け入れられているのは、ロシアのウクライナ侵攻との関連だろう。しかし、それだけでは、なぜこれほどの大きな評判を得てきたのか、説明がつかない。
ソ連を含むヨーロッパでは、この映画には同時代的ドキュメンタリーの要素があったのではないか。まず、ソ連の東部戦線に送られた夫アントニオ(マストロヤンニ)が、終戦後、何年経っても帰国しないため、妻ジョバンナ(ローレン)が、ソ連まで探しに出かけたのはスターリン死後の1955年頃か。東部戦線で、イタリア人捕虜の多くが亡くなったことは事実のようだ。アントニオは撤退途上の雪原で凍死しかけていた自分を救ってくれたロシア人の若い女性マーシャと家庭をもち、幼い女の子をもうけていた。そのマーシャの許しを得てソ連を出国し、ジョバンナをミラノに訪ねたのは、さらにその数年後か。その頃には、ジョバンナもまた家庭を持ち、子供をもうけていた(子役は、ローレンの実子とか)。
制作者たちが長い年月をかけて交渉した結果、現地でのロケが実現したこともあって、夫を探すジョバンナが歩き回るソ連の情景は印象的。ジョバンナは、長くて深いエスカレーターと広い構内を持つ地下鉄駅でイタリア人の男性と出会うが、祖国へ戻らなかった(戻れなかった)イタリア人兵士も、確かに存在したのだろう。ジョバンナが最後にアントニオを探し当てた郊外の駅の裏手には、ソ連の工業立国を象徴する原発と見紛うような火力発電所の冷却塔が聳え立つ。ただ、ウクライナのヤール村にあったと言うひまわり畑は本物だが、この映画で最も印象的であったイタリア人兵士の墓地は屋外セットであったと言うことだ。
この映画が1970年の封切り時、イタリアで絶賛されたのは当然であるが、日本でも大ヒットした。ソフィア・ローレンの魅力と、ヘンリー・マンシーニの映画音楽に多くを依っているのだろう。しかし、当時の日本の事情も関係していたに違いないと思う。
終戦時、中国大陸には兵隊を含め280万人の日本人がいたとされる。その多くは、中国国民党政府と米国の理解により、無事帰国された。その後、台湾に移ることを余儀なくされた蒋介石の「以徳報怨」と言う発言は、今でも我が国の保守党のバックボーンになっている(それほど、単純な問題ではないにせよ)。様々な事情により、大陸に残らざるを得なかった日本人もたくさんおられ、その後中国残留日本人として表面化する。一方、中国東北部(満州)では、終戦時のゴタゴタを縫うように侵攻したソ連と、当地を支配していた中国共産党の影響下に多くの兵隊はシベリアへ長期に渡って抑留され、一般の日本人も帰国時に辛酸をなめた。日本人は、昔も今も多くを語らないが、そうした事情をよく知っていた人々は、この映画を見て、涙を流したに相違ない。
特に昔を知る日本人にとって、忘れることのできない映画である。
0031 ストーリーはいたってシンプルなんですね。
1970年公開
ソフィアローレンには昔からそそらなかったので
この名作未見でした。
で、終活のため4K版観覧。
絵は抜群
ヘンリーマンシーニ最高!
で結局現地妻をめとったら本妻がアバウトに探しに来て
運よく(悪く?)見つかってしまい
なんて人なの!私もオトコ見つけてやる!
現地妻は本妻怒ってるので行ってやって。
でも最後は帰ってきてね。
おっとこ前はええのう。
って話ですか?
なんか切なさの前に入れ食いのマストロヤンニに腹立つ。
70点
初鑑賞 2023年8月9日 京都シネマ
分断された心と愛
どこまでも拡がるひまわり畑と、美しくも哀しいヘンリー・マンシーニのテーマ曲が心に残る名作中の名作。
戦争は人の心と愛を分断するものなのだと改めて考えさせられた。
戦地に赴き地獄を味わった者と、兵士の帰還を待ち続ける者とでは同じ想いを共有するのは本当に難しいだろう。
映画はロシア戦線からの帰還兵の中に夫の姿を探す妻の描写から始まる。
夫は生きているのかと詰め寄るジョバンナの気性の激しさがまず印象に残る。
ジョバンナとアントニオの馴れ初めも非常に情熱的だ。
アントニオはアフリカ戦線行きを控えていたために、ジョバンナは彼に求婚し、結婚休暇を取ることで出征を送らせようとする。
二人が一緒にいられるのはたったの12日間。
こういう場合、とてもロマンチックで哀しみを誘うような描写が多くなりそうだが、大量の卵でオムレツを作る場面などはとてもユーモアに溢れている。
そして二人は橋が爆撃される様子を間近に見ながら、お互いに何があっても離れないと固く愛を誓い合う。
かと思えば何の前振りもなく、アントニオがナイフを持ってジョバンナに襲いかかる場面に。
実はこれは二人の作戦で、精神病院送りになることで兵役を免れようとしたのだ。
が、作戦は失敗し、アントニオはさらに過酷なロシア戦線へ送られてしまう。
やがて戦争は終わりを告げるが、ジョバンナは毎日駅のホームでアントニオの写真を手に彼の帰還を待ち続けている。
すると彼と戦線を共にしたという男が彼女に声をかける。
極寒の戦場はまさに地獄そのもので、力を使い果たしたアントニオは雪の中に倒れてしまう。
男は何とかアントニオを励まそうとするが、自分も命の危険にさらされているため、やむ無く彼を置き去りにしてしまう。
去っていく男を見つめながら、覚悟を決めたように手を上げるアントニオの痛々しい姿が目に焼き付く。
その男も極限状態にいたわけで、誰も彼を責めることは出来ないだろうが、ジョバンナは夫を置き去りにした彼を激しく責め立てる。
ジョバンナにしても、男の行動がやむを得ないものであったことを理解しているだろう。
しかし彼女は男を責めずにはいられないのだ。
それでも彼女はどこまでも強く、行動力があり大胆だ。
彼女はアントニオを探しにロシアを訪れる。
ひまわり畑の下に眠っているという数多くの兵士や民間人の供述が生々しい。
どこまでもアントニオの生存を信じているジョバンナは、ついに彼の居所に辿り着く。
しかしそこにはマーシャというロシア人女性と幼い娘がいた。
その姿を見て、何かを察知するジョバンナ。
マーシャは瀕死の状態のアントニオを看病したのだが、彼は自分の名前も記憶も失ってしまっていたらしい。
やがてマーシャはアントニオを迎えに駅へと向かう。
そして列車から降りてきたアントニオは、ジョバンナの姿を見て愕然とする。
どう見ても彼はジョバンナのことを覚えている。
アントニオの姿を見てショックを受けたジョバンナは、そのまま列車に乗り帰国する。
そしてアントニオの写真を破り捨て、彼の一切を忘れることを誓う。
ジョバンナを一目見てしまったアントニオは、再び彼女への愛を思い出してしまう。
妻子がありながら彼はジョバンナに会いにイタリアにやって来てしまう。
そして彼女に電話をかけるが、そこで彼女にも新しい相手があることを知らされる。
アントニオはジョバンナに会うこともなく立ち去ろうとするが、ストのせいで列車は動かない。
そこで彼は娼婦に声をかけられ、そのまま彼女について行ってしまう。
このあたりがアントニオの意志の弱さであろうか。
彼は娼婦のもとから再びジョバンナに電話をかける。
一度はアントニオを拒んだジョバンナだが、彼のことをまだ愛しているのだろう、住所を告げて彼に会う約束をする。
稲光だけが二人を照らす暗い部屋での再会の場面はとても印象的だ。
アントニオは何もかも捨ててやり直そうとジョバンナに縋る。
ジョバンナも本心では彼を受け入れたいのだろう。
しかしそこで突如赤ん坊の泣き声がする。
彼女にもすでに新しい家族が出来ていたのだ。
アントニオもジョバンナも、それぞれに家族の生活を守るために、二人の愛に別れを告げる。
ラストのプラットホームでの別れの場面は涙を誘う。
どちらにも事情があり、そしてどちらの言い分も正しいのだろう。
戦争さえなければ二人の愛は続いていたのかもしれない。
戦争は人の命を奪うだけではない。
それでも二人にはそれぞれに自分を待つ人がいることがせめてもの救いだと思った。
引きのショットからのクローズアップがとても効果的で、言葉はなくとも登場人物の心情を饒舌に語っていると思った。
アントニオ役のマストロヤンニはさすがの風格だが、ジョバンナ役のソフィア・ローレンの熱量には圧倒された。
マーシャ役のリュドミラ・サベリーエワも哀れみを誘う表情が印象的だった。
男女の違いが浮き彫り
この当時の戦争に翻弄された男女を描いたものは
この手のパターンが多いのだろうか。
もしかすると現実でもそうだったのかもしれない。
平和な時代であれば、どうってことない
バカップルとして夫婦仲良くいられたものを、
抵抗むなしく前線へ。
この映画の場合は夫が記憶を無くし
回復したら改めて自分の人生を取り戻したくなる。
その間ほかに家庭ができても、そう思う気持ちは
自然なものだろう。
でも再会した妻ももう別の道を歩いていた。
時間は巻き戻せないと悟る二人。
しかし男は過去の幸せな頃にこだわり
女は現在をみている。
これはいつの時代であってもそうなんだろう。
ある意味この夫は記憶を無くして幸せだったのかもしれない。
戦争から無事に戻ってきても、ずっとPTSDで心が帰れなかった
者たちも多かったろうし、その場合の家族は
ずっと別人となった男を隣にいながら待ち続けなくてはならなかった。
とにかく戦争は二度と起こしてはならないものだと
改めて心に刻む作品だった。
そしてソフィア・ローレンの目力も深く刻まれた。
もしもあの時
ひまわりのテーマ曲は、私の幼い時の記憶を呼び戻す曲です。本作を好きな父親が、普段から良く聴いていたそう。だから、このヘンリー・マンシーニの旋律を聴くと、幼少期に見ていた東京の景色を思いだすのです。子供心に何となく物悲しく感じたテーマ曲でしたが、本作を初めて鑑賞した時の衝撃も忘れられません。
もしもあの時戦争がなければ、もしもあの時ふたりが再会していれば、もしもあの時、、、
ソフィア・ローレンもマルチェロ・マストロヤンニも美しく気品がありますが、表現もとても良かったです。若さ溢れる初々しい出会いからラストの別れに至るまで、本当に沢山の月日が経った様にみえました。愛する人と幸せな現在の生活との狭間で揺れ動くふたり。イタリア監督ならではの美しいカメラと雄大なひまわり畑が、逆に哀しみを誘います。
人類が長い歳月、数えきれない殺しあいをしてきていても、今日も変わらずウクライナではひまわりが咲いている。花はいつも美しいのに、人間はいつも愚かしい。悲しいことに、いまだにジョバンニとアントニオは世界中に沢山存在しているのです。
ソフィア・ローレンの演技に涙。ヘンリー・マンシーニの楽曲に涙。
物語は愛と戦争と悲劇をめぐる。
広大な土地に咲くひまわり。
そこに流れるヘンリー・マンシーニの楽曲は切なく
この後に続く映画の内容を暗示する。
題名の「ひまわり」は現在のウクライナの国花
撮影当時ソビエト連邦のウクライナのひまわり畑で撮影。
悲しい歴史のあるウクライナに咲くひまわり
それだけで普通と違うものが湧き上がる。
そしてソフィア・ローレン。
見逃してはいけないのは彼女の表情。
ウクライナの夫の家で見た寝室に
希望を砕かれ、絶望感に襲われた。
さらにラストシーンで見せた別離の演技。
映画の中で愛に喜び、愛に苦しんだが
この二つのシーンで彼女の凄さを見た。
エンドクレジットでは
再び、美しいひまわり畑に戻る。
切ない音楽とともに。
心に留まる名作。
※
劇場でひまわりを、観たかったなあ。
戦地で行方不明になった、夫を探す妻。
離れた年月を、2人は埋めることができるのか。
ざっくりしたあらすじは知っていました。
最初は若かった2人も、白髪まじりの再会。
愛していたなら、夫は妻に会いに行っちゃいけなかった。
愛していたなら、帰ってこなくちゃいけなかった。
今も愛しているなら。
出番は少なかったけど、夫の母は息子が亡くなったと思い。
ずっと喪服で過ごしているのもねえ。
最初で咲き誇っていたひまわりが。
ラストシーンでは、俯いた姿で終わる。うわーん・・・。
涙スイッチONでした。
恋愛映画には、あまり手を伸ばさない私が。温故知新映画に認定。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「愛なしでも生きてられたわ」
前半は、盛りのついた
○○とも言えそうな二人のお話。
どうしてここまで評価されるのか不思議な気がした。
とはいえ、今のウクライナの状況だからこそ心に残るものがあるのは確か。
どうか戦争のない世界になりますように。
ジョバンナの健気さ
ヘンリーマンシーニの名曲から始まるだけでもいいね。ソフィアローレン扮するジョバンナは、マルチェロマストロヤンニ扮する夫アントニオガルビアーティの生死を確認しようと必死だった。ソフィアローレンは若い豊満な肢体をフルに活かして魅了しているね。アントニオが帰らなかったのは基本的に生死をさまよい助けられた恩義に報いるためかもしれない。本当に記憶喪失ならしかたないかもね。ロシアまで探しに行くジョバンナの健気さがたまらんね。
すごく濃い内容なのに2時間無い!
以外と観るの初めて
ソフィアローレンが濃い!
マストロヤンニも濃い!
ストーリーが濃い!
サントラも何か濃い!
何より人情が濃い!
現代が薄すぎるってのもある。
『無法松の一生』を見たのと同じ気持ちになると言うたら怒られるかな
あんなに人を愛したことがあるだろうか。
戦争によって引き裂かれた、切ない愛。簡単に要約すればそうなんだが、
夫の生を信じきって、ソビエトまで探しに行く主人公の思いがすごい。
そして、そこで見た。夫の新しい生活。
彼は雪中行軍で脱落し、とあるロシア人女性に救われ、家庭を築いていたのだ。
それを知ったソフィアローレンの演技がまたなんともやりきれない。
主人公をイタリアまで訪ねてきて夫だが、今度は彼女にも新たな家庭があった。
愛を確認する2人なのだが、ラストでの元夫を見送るソフィアローレンの表情、
汽車の窓際に立ち、虚無の表情で徐々に画面から消える元夫。
冷戦下での撮影とのこと。多くの困難があったのだろうが、ソビエトの
映像も興味深い。
怒る女
ジョバンナの泣く姿よりも、怒る姿の方が、印象が強かった。なんだかピカソがドラ・マールをモデルに描いた、「泣く女」が浮かんできた。反対に、アントニオは弱い。流され、迷い、思いきりが悪い。まあ、本人のせいではないのだが。
戦争は市民が一番損をする。まったくいいことはない。戦争がなければ、運命が変わったのに。寒い寒いロシア。あったかいイタリアから、こんな寒いところまで連れてこられ、死ぬことになった多くの人々。大地に広がる、おびただしい十字架。生き抜いてイタリアに帰国できた人もいれば、ロシアに残る人もいる。生きていても、みんな心に傷を受けている。
ひまわりは太陽に向かって咲く、明るいイメージだが、こんなにたくさん咲いていると、怖く感じてしまう。死んだ人がひまわりになったかのような怖さ。無言で大地に立つ姿が、悲しい。テーマ曲の効果もあるかもしれない。静かなる反戦映画。
映画の中のロシアのおばさんやこどもは、ジョバンナに親切だった。一般市民はどこの国も普通の人間なのだ。戦争をしようと思うのは、政治家や軍人など。今も普通のロシア人は、戦争を望んでいないと思いたい。まさか、21世紀にこんなことが起こるとは、想像もしなかった。一刻も早く終わって欲しい。
BSプレミアムの放送にて。
原題のI girasoliとはイタリア語でのひまわりらしい。 この劇中のひまわり畑がウクライナにあることも知られていると思う。
BS-NHKで映画「ひまわり(1970)」を見た。
1970年製作/107分/G/イタリア
配給:アンプラグド
日本初公開:1970年9月
原題のI girasoliとはイタリア語でのひまわりらしい。
この劇中のひまわり畑がウクライナにあることも知られていると思う。
ビットリオ・デ・シーカ監督といえば「自転車泥棒(1950)」で有名らしい。
オレはあまりよく知らない。
音楽はヘンリー・マンシーニ。
ソフィア・ローレンは今年(2022年)88才
劇中の彼女は本当に綺麗だ
身長は174cm。
マルチェロ・マストロヤンニは1996年に亡くなってる。
ほとんど誰でも知ってるストーリーだと思うが、
最初から最後まで見たのはこれが初めてである。
アントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)とジョバンナ(ソフィア・ローレン)は
イタリアの新婚夫婦。
第2次世界大戦でアントニオはロシアの最前線に送られた。
凍てつく大地で凍死寸前のアントニオは現地のロシア人女性マーシャ(リュドミラ・サベーリエワ)に助けられた。
終戦になってもアントニオはイタリアに還らなかった。
マーシャと家庭を持って子供(カチューシャ)もいる。
ジョバンナはロシアの地で夫を探して歩きまわる。
そしてついに見つけてしまう、夫とその家庭を。
マーシャはジョバンナを家に招き入れる。
部屋には枕が2つ置かれた夫婦のベッドがあった。
マーシャは片言のイタリア語で、アントニオと出会った過去を話し始める。
雪原で凍死しかけていた彼をマーシャが救った。
その時アントニオは、自分の名さえ思い出せないほど記憶を無くしていたという。
汽笛が聴こえマーシャはジョバンナを駅に連れて行く。
汽車から次々と降り立つ人たちの中に、アントニオの姿。
駆け寄ったマーシャをアントニオは抱き寄せようとする。
マーシャは彼をとどめてジョバンナの方を指さす。
驚くアントニオが見たのはジョバンナの姿だった。
かつての夫と妻は距離をおいたまま、
身じろぎもせず互いを見つめ合う。
ジョバンナの表情が悲しみで歪んだ。
アントニオが何か言おうとした途端、
ジョバンナは背を向け、既に動き出していた汽車に乗せてくれと叫び、飛び乗った。
座席に倒れ込むように座ると、
ロシアの人々が奇異の目で見る中、声を上げてむせび泣く。
満足度は5点満点で4点☆☆☆☆です。
魂の疼きを癒す中和薬
目の前で起こっている現実を見ているようだった。
自分自身の現実でもなく、他人が直面している現実でもない。
映画という現実を経験しているとしかいいようのない時間だった。
素晴らしい映画とは、こういう作品のことを言うのだろう。
第七芸術と言われる映画だからこそ表現できる世界が、2時間弱のフィルムの中に収められている。 類まれな名作の一つだ。
ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニという二人の名優の演技が、これ以上ないほどに切ない。 監督は、どういう気持ちで演出したのだろうか。 細部の細部にわたるまで、制作者たちの魂がこめられているのを感じた。
戦争で同じような経験をした人は、いくらでもいると思う。 この作品以上に過酷な運命をたどった人も、大勢いるはずだ。 そしてその誰もが、理不尽な現実の前に跪き、沈黙するしかなかった。
呑み込めるはずのない現実を無理やり呑みこみ、腹の中に据えたまま戦後を生き、死んでいった人たち。 そういう人たちにとってこの作品は、 時に耐え難い疼きをもたらす記憶の毒を、少しでも中和する作用があったのではないだろうか。 この作品を観て流れる涙の中には、心の中から排出された記憶の毒が含まれている。
若い頃観たはずなのだが、ストーリーさえ忘れていた。 当時の私にとっては、単なるメロドラマだったのだろう。 歳をとると感動のツボが変わることを、この作品でつくづく実感。
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