波止場(1954)
劇場公開日:1954年6月22日
解説
「欲望という名の電車」のエリア・カザン監督とマーロン・ブランドが再タッグを組み、1955年・第27回アカデミー賞で作品賞・監督賞・主演男優賞など8部門に輝いた社会派ドラマ。元ボクサーの青年テリーは、現在はギャングのジョニーが支配するニューヨークの波止場で働いている。ある日、テリーと兄チャーリーはジョニーに命じられ、殺人事件に関わってしまう。やがて被害者の妹イディと知り合ったテリーは、兄の死の真相を追求しようとする彼女に心惹かれていく。イディに感化され、自らの信念に基づいて生きることに目覚めるテリーだったが……。後に「北北西に進路を取れ」などに出演するエバ・マリー・セイントがイディを演じ、映画初出演にしてアカデミー助演女優賞を受賞した。
1954年製作/108分/アメリカ
原題:On the Waterfront
配給:コロムビア映画会社
スタッフ・キャスト
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2023年4月19日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
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まぁ、言うまでもなく、搾取される側はそのままで、搾取する側の手先が変わっただけの話。
つまり、アメリカの資本主義経済は、姿を変えて温存されたと言いたいのだろう。
さて、この映画公開の数年前にカザンは赤狩りの公聴会に出ている。その彼が公聴会に出る男の話を、正義感あふれる姿で描いている。
我が親父はこの映画が好きだった。さて、親父も戦後まもなく国鉄時代にレッドパージの渦に巻き込まれたそうだ。その時、我が親父はどんな行動を取ったか?真実は分からない。しかし、親父は国鉄に残った。さて、だから、この映画が好きだったのか?と僕は思った。しかし、その二代目に当たる僕は、この主人公を好きにはなれない。所詮、ゴロツキはゴロツキ。暴力には暴力。つまり『仁義なき戦い』って訳だ。殺された兄チャリーもそれを分かっていたら、殺されずに済んだはずだ。勢力争いなのだから、てっぺん(頂上)取れば良いだけである。この映画はそう語っている。そして、今でも資本主義は姿を変え続け終焉を迎えていない。アメリカの地位はいずれこのボスの様になるだろうが。
エリア・カザンも恥ずかしげもなく、よくぞこんな映画を作ったものだ。
しかも
ペペ・ル・モコの『望郷』をパクってる。
2023年3月7日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
主人公(マーロン・ブランド)は元プロボクサーで、今は沖仲仕組合のボスに使われている。
頼まれ仕事が殺人事件に関係していたことを知り、思い悩む。
殺された男の妹(エバ・マリー・セイント)と恋仲になり・・・。
アカデミー賞の主要部門を総なめにした傑作です。
ある波止場で起きる事件を隠蔽し続けてきたが、
ひとりの男が改心し反撃する話
仕事場で外れものにされている人たちを
教会に集めて説き伏せる神父が良かったですな
幕切もちょうどよくて、
少しの正義感を信じて生きてこう、となります
2022年6月18日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館、TV地上波
アメリカ映画史に遺る名作である。エリア・カザン作品では「エデンの東」の方が日本での評価も人気も高いけれど、本国では特にマーロン・ブランドの名演が光るこの「波止場」が、カザン監督作品の最高傑作として記録されているようだ。私的な好みからも、ジェームズ・ディーンが素晴らしい「エデンの東」をより評価したいとは思うが、脚本・演出・演技・撮影・音楽と全てが揃った「波止場」も大変優れていることに賛辞を惜しまない。
前作「欲望という名の電車」で悪徳の役だったマーロン・ブランドは、元々は他人の意見に流される思慮の浅いチンピラ男だったが、殺された友人の妹エヴァ・マリー・セイントと恋仲になり、また暴力排除を説くバリー神父カール・マルデンの後押しのお蔭で次第に正義感を持ち勇敢さを身に付ける男らしい成長を見せて、最終的には悪を倒す模範的青年テリーを熱演している。その演技の瑞々しさと安定感と巧さは、アカデミー賞受賞を当然とする。このようなブランドの演技こそ、アカデミー賞に相応しいとまで言い切れるくらいの輝きであった。カザン監督の的確な演技指導も窺える。
その意味で感心したのが、リー・J・コップ扮するギャングのボス ジョニーの描かれ方だった。如何にも悪い奴といった強調した単純な作為ではなく、極ありふれたワルのリアリティーで描かれている。これがブランドの演技を更に自然なものにしている。原作は実際の事件を基に創作されたものだという。舞台演出でも名が高いカザン監督は一つ一つのシーンを丁寧に積み重ねて、ロケーション撮影の特質を生かし、全体としてはリアリズムタッチで纏め上げている。兄チャーリーが殺されたことから復讐に燃えるテリーが、正義を貫くことと自分の生きる道を見つけた行動に変化していく段階をラストに向って盛り上げる演出も素晴らしい。テリーとジョニーの闘いを、ただ黙って見詰める労働者のワンショットの緊迫感。そして、血みどろになったテリーが、労働者たちの前を進み職場へ向かうシーン。背後からテリーの下半身だけと職場の入口を映したショットのカメラワークの斬新さ。ここには映画らしいモンタージュの効果が発揮されている。
演出と演技の密度の高さ、ドキュメンタリータッチを生かしたところとモンタージュの工夫と、美点を挙げればきりがない。「欲望という名の電車」の演劇映画とはコンセプトを異にして、ここには映画の魅力が溢れている。上記のブランド、セイント、マルデン、コップに加えてロッド・スタイガーの好演と、ボリス・カウフマンの撮影、レナード・バーンスタインの音楽も明記しなくてはならない。
1976年 10月30日 早稲田松竹