にんじん

解説

「巴里-伯林」のジュリアン・デュヴィヴィエがジュール・ルナールの有名な小説並びに戯曲に基いて作った映画で、脚色もデュヴィヴィエ自身の手になるものである。主役の「にんじん」に扮するのは無名から抜擢された少年俳優のロベール・リナンで、これを助けてルピック氏にはフランス劇壇で名高いアリ・ボールが、ルピック夫人には舞台でこの役を屡々演じているカトリーヌ・フォントネーが、それぞれ扮して出演している外、なお、オペレット畑のクリスチアーヌ・ドールや、ルイ・ゴーチエ、子役のコレット・セガル、マキシム・フロミオ、等も顔を見せている。撮影はアルマン・ティラールとモニオとの二氏の担当。それからアレクサンドル・タンスマンが特にこの映画の為めに作曲を受持っている事を附記する。

1932年製作/フランス
原題または英題:Poil de Carotte

ストーリー

家庭とは同じ屋根の下に到底解り合えない人間が無理矢理に集まっている所である、と「にんじん」は考えていた。で、彼は夏休みが来て家へ帰って皆と一緒に暮らす日が来ると味気ない気がした。が、このにんじんなどというのは勿論、この男の子の本名ではない。彼はフランソアという立派な名を持っている。然し末子に生れた彼は、家の者の誰からも愛されなかった。母親は冷かに彼を睨みつけては、いつも小言ばかり云っていた。その癖に、兄のフェリクスや姉のエルネスティーヌは大のお気に入りだった。が、この兄や姉もが、またにんじんには耐らなかったのである。そして又、父親のルピック氏とは彼はまるで口をきいた事がなかった。で、彼はこの人を好きでも嫌いでもなかったが、実の所、彼には父親がまるで解らなかったのである。そんな風で、このにんじん--真赤でパサパサした髪の毛と雀斑だらけのこの子を人は人参と綽名していた--は、神経質に、いじけて、そして人の愛に飢えながら一人ぽっちで暮らしていた。人と遊べない彼は犬のピラムと遊んだ。そして新しく来た女中のアネットと友達になろうとも考えた。が、ルピック夫人は朝から晩までにんじんを叱り飛ばしては、彼から楽しみを総て奪ってしまう。にんじんが未来の花嫁として遊ぶ可愛いいマチルドとも、そうした訳で、間をせかれてしまった。斯うなってはにんじんは、もう生きているのが佗しくなって来た。そしてにんじんは夢を見るのである。夢の中ではもう一人の自分がこの自分を嘲っている。お前の様な奴は死んでしまうが良いんだ。にんじんは目を醒してから何となく、楽しい死という事を考え始めた。そして、ルピック氏が村長に当選して大得意になっている夜、にんじんは納屋で首を縊ろうとした。そこへ折よく駆けつけたのがルピック氏だった。だが、彼にはどうして息子が死にたい気になったのか解らなかった。するとにんじんが答えた。だって僕は母さんが好きになれないんだもの。これを聞いてルピック氏が答えた。では俺が彼奴を好いてるとでも思っているのか。この言葉はにんじんを有頂天にした。この世には自分以外にも、淋しがってる人間がいるんだ、そう思った時に、にんじんは、僕はこれはどうしても可哀想な父さんの為めに生きて行かなければならないんだと思った。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

4.0愛に飢えた少年の心情を牧歌的詩情豊かに描いたジュリアン・デュヴィヴィエ監督の愛すべきフランス映画

2022年1月12日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

1930年代の日本の映画ファンは、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督を非常に高く評価していたし特に愛していたようだが、それは戦前の日本人の心情がデュヴィヴィエ監督特有のペシミズムに素直に酔えたことと、フランス映画のロマンチシズムに芸術を見出していたからだろう。本国フランスでは、ルノワール監督とクレール監督が第一級の映画作家として認知されていたという。それでもデュヴィヴィエ監督の良さを忘れることはない。
この初期の秀作「にんじん」は、そのデュヴィヴィエ監督のシリアスな面とユーモラスな面の両方が出色で面白い。全体を通しての悲劇性は思いの外強調されていなかった。却って主人公の切ない心情がユーモアの味付けになっている様に感じた。人物構成は分かり易く、にんじんの兄フェリックスと姉エルネスチーヌ共に可愛く描かれていないし、母親ルピック夫人は意地悪でヒステリックに身体を揺さぶる格好が特徴で、父親ルピック氏は最初無関心の視線をにんじんに送るだけである。そんな家族の中で孤立したにんじんの味方になるのが新しい女中アネット。それをユーモアに転化させ、しかもにんじんの唯一の理解者、名付け親の小父さんのところで美しい田園風景を見せる。この場面の幼いマチルドと花婿花嫁の行進をするシーンが素晴らしい。子供の世界観と自然の共鳴がセンチメンタルに楽しく描かれていた。ここにこの映画の美しさを感じる。それによって次の展開、女中アネットと馬車に乗って家路を急ぐシーンが観る者の胸に迫る。脇道や野原で家族が愉しく戯れるのを視て反抗的に馬に鞭を打つにんじん。ここにデュヴィヴィエ監督の人間愛が見事に表現されていた。後半の父親と“フランソワ”の和解は、映画的な盛り上がりに欠けるも、余韻の残る終わり方。
児童文学の小品ではあるが、フランスの片田舎を舞台にした家族愛に飢えた少年の心情を優しく描いた牧歌的詩情豊かな、愛すべきフランス映画。

  1978年 11月13日  フィルムセンター

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Gustav