タクシードライバー : 映画評論・批評
2020年4月14日更新
1976年9月18日よりロードショー
※ここは「新作映画評論」のページですが、新型コロナウイルスの影響で新作映画の公開が激減してしまったため、「映画.comオールタイム・ベスト」に選ばれた作品(近日一覧を発表予定)の映画評論を掲載しております。
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「ジョーカー」へと受け継がれていく、スコセッシ×デ・ニーロによる孤独、矛盾、狂気
地下から噴き上げる水蒸気を切り裂く1台のタクシー。ハンドルを握る運転手は、麻薬、性、暴力が溢れかえり、毒々しいネオンに照らされたニューヨークを見つめている。1976年、スクリーンに姿を現したトラヴィス・ビックル。その内面を覗き見るのは、何度目のことだろう。安易に共感を抱いてはいけない――今回もまた、画面越しに警告が発せられている。
マーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロによる2度目のタッグ作。タクシー運転手のトラヴィスが、自らの存在を世間に認めさせるべく“行動”を起こすまでの過程を描く。ベトナム戦争帰りの元海兵隊員、重度の不眠症、余暇はポルノ映画鑑賞、不満と愚痴を書き殴る日記――鬱屈とした日々に付きまとう逃げ場のない寂しさに、胸が締め付けられる。しかし、物語が進むにつれ、そんな同情はいとも簡単に突き返されてしまう。
トラヴィスが欲しているのは“同情”ではなく“承認”だ。しかし、タクシー運転手という職において、彼自身の存在価値を求める者はいない。客が求めているものは、トラヴィス個人ではなく、目的地へと運んでくれる従順なトランスポーターだ。同僚たちとの距離も縮まらず、愛を捧げた女性には無知と矛盾を見抜かれ、彼を必要とする者は誰もいなくなる。
だからこそ、鏡像に対する名セリフ「You talkin' to me?」(俺に用か?)が印象的に響く。自分を最も理解している男“トラヴィス”からの問いかけ――デ・ニーロが体現してみせた狂気の芝居は、何度見ても飽き足らない。トラヴィスのDNAは、40年以上の時を経て「ジョーカー」へと受け継がれている。オマージュは勿論のこと、デ・ニーロがキャストとして両作を繋ぎ、それぞれが“狂気へのプロセス”を重視している点も見逃せない。
内へ溜め込まれた負の感情が、周囲への脅威として反転する――トラヴィスが向かう先は、悪の誕生へと結実する「ジョーカー」とは、異なるものになっていく。その様は、道を踏み外した“バットマン”のようでもある。是非セットでの視聴をおすすめしたい。また「一杯の紅茶を飲むためなら、世界が滅びてもかまわない」という一文が登場し、自意識過剰の魂が炸裂する小説「地下室の手記」(著:ドストエフスキー)の熟読を添えれば、よりベストな鑑賞体験になるはずだ。
(岡田寛司)