女王陛下の007のレビュー・感想・評価
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気迫と本気が全編にみなぎるシリーズ屈指の大傑作
本作一作だけで終わった二代目ボンドのジョージ・レーゼンビーは、昔は「ハズレのボンド」扱いでさんざんバカにされていた印象があるのだが、その後、本作をクリストファー・ノーランとかソダーバーグとかが絶賛したり、ダニエル・クレイグ時代にも元ネタにされまくったりで、最近ではすっかり傑作認定されている。あまりのギャップに戸惑いもありつつ、個人的には一番好きなボンド映画であり、シリーズがマンネリに陥るごとにこの作品を手本にしたハード路線に回帰するのも納得だ。
ショーン・コネリー時代は最初期にはハードボイルド風味もあったものの、たちまちシリーズのテイストはユルくなり、ロジャー・ムーア時代も併せてふざけたアクション・コメディと呼ぶのが順当だと思うが、そこにいきなりハードコアな描写をぶっ込んできたのが本作。それまで監督のピーター・ハントはシリーズの編集を担当しており、「自分ならこうする!」というアイデアを溜め込んでいたらしい。
実際、始まった瞬間から「なんだこのキビキビした映像と編集は!」と、明らかにそれまでと路線が違うことが伝わってくる。当時の低評価はテイストが激変したことへの抵抗感だったんじゃないか。いまの感覚から見るとまだまだのどかに感じられるかも知れないし、特に前半は多少のタルさはある。が、特にボンドの脱出劇以降は映像、編集、演技のすべてに気迫がみなぎっているし、ラストシーンは数あるボンド映画で唯一、何回観ても涙ぐんでしまう。あの最後の表情が出せただけで「レーゼンビーを大根役者とは呼ばせないぞ!」と息巻いております。
その興奮・感動は、アバランチ
スペクタクルな雪崩含め、怒涛のスノーアクションは見応えあるし、ボンドの哀しいラブストーリーもシリーズを語る上では見逃せない。主演がコネリーではないと言うだけで冷遇されたボンドムービーの傑作。
運命のボンドガールが魅力的、リアルかつハードなアクション満載という点で、カジノ・ロワイヤルに近いでしょうか。ただ、壮大なロケーションとセット、実写の迫力、ギリギリ保たれるボンドイズム(←これは個人的な感覚ですが) 、あらゆる面でこの女王陛下の007が上を行きます。クレイグボンドが超苦手という個人的なバイアス抜きにしてもそう思いました。
本作においてはコネリーボンドではできなかったと思うし、レーゼンビーボンドも酷評浴びるほどでもないと感じました。一方で、カット割りや謎のズームがたまに入るアクションシーンはノイズでしたね。
二代目唯一のプレミア感
二代目はこの作品だけなので最近再評価されているようですが、まあ標準レベルです。
初期の作品は正当スパイサイド(ロシア、TB)と荒唐無稽サイド(No、GF、二度)に分かれますがこれは一応スパイサイドの作品です。
TBが水中アクション過多だったのと同様にこの作品はスキーアクション過多です。
しかし、この頃って日本のヒーローものなんかでもやたら「世界征服」の悪役が出てきて微笑ましいですね。そんなに征服したいんですかね?
後の基本
プロフェルドを追うジェームズ・ボンドは、トレーシーと知り合う。彼女の父は犯罪組織の男ドラコで、ボンドは彼からプロフェルドの情報を得る。その秘密基地に潜入したボンドは、生物兵器の計画を阻止すべく。
歴代ボンド役で、1回だけの出演だったジョージ・レーゼンビー。残念ながら他の俳優より印象が少なく、今作はシリーズでも目立った存在ではありませんでした。最近は見直されたのか、評価が高くなっているようです。スキーに、雪上レース、ボブスレーと後半のアクションシーンは盛り上がります。そして幸せの時間が長いのが、悲劇の予感。後の作品の基本のうような面白さでした。ただ気の利いたセリフが、ダメダメだったのが残念。
ジョージ・レーゼンビーは、長身を生かしたアクションも良かった。テリー・サバラスが懐かしい。ルイ・アームストロングの「愛はすべてを越えて」が良い曲です。邦題がちょっと意味不明。
世界は二人のものなんだ‼️
2代目としてこの1作のみのジョージ・レーゼンビー=ジェームズ・ボンドによるシリーズ屈指の名作です‼️ボンドが本気で恋に落ち、ついに結婚までしてしまう‼️ボンドとトレイシーがデートを重ねるシーンは、とても007映画とは思えない、まるでロマコメみたいな雰囲気‼️トレイシー役のダイアナ・リグは既にテレビスターだったらしく、彼女のリードに支えられて演技経験ゼロのレーゼンビーも意外な名演を見せてくれます‼️タイトルバックは過去の名場面が挿入され、顔を見せない新ボンドが車を運転するシーンへ‼️新ポンドへの期待でワクワクさせられるオープニングですね‼️アクションシーンもシリーズ初のスキーのチェイスシーンや、クライマックスのボブスレーチェイスでのボンドとブロフェルドの対決も、スピードが強調された過激なスタントで、シリーズ屈指の名アクション・シーンだと思います‼️MやQ、そして "涙がキラリ" のマネーペニーに祝福されたボンドとトレーシーは車で新婚旅行へ‼️横を通り過ぎる一台の車‼️次の瞬間、トレイシーが銃弾に倒れる‼️ルイ・アームストロングの主題歌がロマンチックに、そして悲しく響き渡る‼️そして主題歌のタイトルと同じセリフ「We Have All The Time In The World」を万感を込めて呟くボンド‼️その表情‼️泣けます‼️このシーンだけで全てのボンド役者を超えてるかもしれない‼️「ジョージ・レーゼンビー、あなたは充分に責務を果たしたよ」‼️
「愛はすべてを超えて」
60周年記念上映で初の全編鑑賞。主演のスカイハイ・ボンドが何か違う感があるとか、相手女優が気に入らないとか、少なめのアクションシーンがただ長いとか、種々あっても問題ありません。この作品は007の冠がついた一恋愛映画として見るべきなのです。きっとラストシーンではルイ・アームストロングの名曲が重なり深い余韻を残す筈です。
残念な名作
60周年記念リバイバル上映にて、映画館で観賞。
久しぶりに、2回目の観賞です。
シリーズ6作目で、1969年の作品。
ジェームズ・ボンド役をショーン・コネリーからジョージ・レーゼンビーが引き継いだものの、
ジョージ・レーゼンビーは、この1作だけでジェームズ・ボンド役を自ら降板、1作かぎりのジェームズ・ボンドです。
そんなレアなボンドですが、現在25作ある全作品の中でも重要な1作で、最後ね…
脚本も良く、さまざまなアクションが飛び出し飽きさせないし、面白いです。
なのに、ジョージ・レーゼンビーがボンド役に合ってない(苦笑)
違和感しかなく、ズッコケます(笑)
そんな致命的な欠点を持つ、残念な名作(笑)
『ラストナイト・イン・ソーホー』で下宿先の大家さんを演じたダイアナ・リグが、本作のボンドガールを演じてますが、
まだ、おばあちゃんになる前の、若かりし頃で、アニャ・テイラー=ジョイっぽさを感じる美女です。
『ブラック・ウィドウ』は、この作品から引用やオマージュしてます。
面白いのにな…残念な名作です(笑)
もう二、三作観たかったレーゼンビー
ショーン・コネリーの後じゃあ、誰がボンドをやっても辛いとこだけど、ジョージ・レーゼンビーなかなかの大活躍です。この作品の前がフジヤマ・ゲイシャ・ニンジャの『二度死ぬ』だけあって(でも好き)、思いっ切りリアルなアクションに徹しているのがいい感じです。オープニングでなかなかボンドの顔を見せないのも新生ボンドを強調しているし、メインタイトルは常連のモーリス・ビンダーだけど(いつもよりエロい)、ボーカル無しのテーマ曲のみだし(でも名曲)、場所もスイスに絞って雪山アクションにラブストーリーと、従来のボンドから違う路線にしようと言う工夫があり好感が持てます。冗長な部分もあるけどね。役者では、ジョージ・レーゼンビーなりにしっかりボンド像を作っていて、これ一作で降板とは惜しいです。ロジャー・ムーアよりもいいくらいで、何年か前にボンド候補にもなったクライブ・オーウェンとどこか似てるから、007の製作者陣はこの手のマスクが好きなのかな。異色のボンドガール,ダイアナ・リグもきれいなだけではなくアクションもこなしているし、悪役のテリー・サバラスもアクの強さ全開でかっこよかったです。
あのラスト、なんで運命の伏線を入れとかないのよ…
やっぱりボンドムービーの真髄はオープニングに尽きる!
あの痺れる音楽が流れるガン・バレル!からの〜アヴァンタイトル!
本編は殆ど長〜いオマケ。
随分と昔、テレビで観て殆どラストシーンしか記憶に無かった本作。
オープニングのレーゼンビーの登場は、微かな記憶以上に、思っていた以上に、予想以上に、クールで渋い。
ガンバレルでの殆どチンピラ風なウォーキングからの〜真正面への片膝撃ち!の瞬間も最高にカッコいいが、アヴァンタイトルにおける登場までの演出が憎い。
アーストン・マーティンDBS(コネリーのDB5よりも断然カッコイイ!)を走らせながら、
タバコに火を点け、口元のアップのショットが続く。2代目ボンドの顔は、なかなか現れてはこない。
女を助けに走り出すシーンもバックショット。
その海へ向かって走り出す背中は、もう中年の域だったショーン・コネリーより、だいぶ若々しく感じる。
海から助けた女を抱え上げるシーンで、やっと容姿が現れるが、記憶していたよりも全然イケてる。
そして、お約束の格闘シーンの後、女に逃げられ、あの自虐ネタ(2代目のオレはコネリーじゃ、ねえよな…)の笑える台詞「This never happend to the other Fellow」(字幕の翻訳!もっと気を利かせてくれよ!)
そして、オープニングタイトルが始まり、本作のテーマ曲が流れる。
このオープニングタイトルのデザインの方は、初期の頃に比べると特に良い出来ではないが、やはりジョン・バリーの音楽は気分が上がる。
しかし、というか…
やはり、というべきか…
アノ無理筋プロットで2時間半は長すぎる。
今回のボンドの設定(ギャングの娘の婿になるよう唐突に半ば強要され… なんじゃ?そりゃ?な展開)も、コネリーくらいは荒唐無稽なまでのセクシャルな神通力がないと無理な話だ。
二人組プロデューサーの片方ハリー・サルツマンの意向によって今回は原作に近い内容だったらしいが…
そもそもコネリーによって完全に出来上がってしまったイメージから、元々フレミングが描いていた人物像へ根本的に刷新させるほどの意欲は無い。
まあ、元々のボンドのイメージソース自体が、あのデヴィッド・ニーヴンだからねえ。
それをレーゼンビーにやらせるのも無理な話なわけで、そんなことは、スタッフの誰も考えて無かっただろう。
あと諸々のツッコミどころは、いつものボンドムービーではあるが、あのラストシーンだけは、もうちょっと、なんとかして欲しかった。
突如バックミラーに映る車が、なんとも絶妙に不吉な予感で…
しかし実は陽気な連中で、目一杯祝福されて、メデタシメデタシ…
のはずが…
といった、あたりまでは上手かったが…
コネリーの頃には防弾ガラスだったボンドカーが弾丸を貫通させてしまうからには、それなりの伏線は作らんと!
あのシーンのボンドだって、掃射された直後、貫通してるだなんて、全く思ってもないような反応だった訳だし。
なぜ、あのフロントガラスは、M16自動小銃の弾丸を弾けることが出来なかったのか?
というか、なぜ、自動小銃なのに貫通したのが、一発だけだったのか?
そして、なぜ、あんな運命になってしまうにも関わらず、ブロフェルドをキッチリ仕留めず、呑気に逃してしまっていたのか?
やっぱり、こういうところは、しっかり丁寧にやらんと!
特に今回は、今後のボンドの人生を決定づけた悲劇的な、ある意味シリアスなラブストーリーだった訳だし。
最後でジョージ・レーゼンビーが見せた虚無的で哀しい演技が、記憶していた以上に、とても素晴らしかったゆえ、なんとも勿体なかった…
あと今回、待ってました!の4Kリバイバル上映ではあったが、さほど4K感は無かったかな。
0026 観るたびに評価があがる作品
007公開60周年記念4K作品
公開時クソミソに評価された本作とジョージレーゼンビーですが
まあ評論家がショーンコネリー大好きのアンチテーゼでの所存
だったのかな、と。
ですから当時の拙としてはテレビ鑑賞ですが
結構作品も面白いしレーゼンビーの演技も悪くないと思っており
なんで悪評やねん?と。で、
あらためて観るとやはりレベルが高いと言い切りたいですね。
ルーティンのMとのお前の仕事は今回はコレ、とのやりとりまで
本作は30分弱をかけており、
本編はスキースタントを中心としたダイナミックなアクションの展開で
一方監禁された場所からボンドが脱出するまで
トライを何回もくりかえすなど作りも丁寧。
ダイアナリグは好きなボンドガールですし
ジョンバリーの甘美な伴奏曲
ルイアームストロングのテーマ曲
勇厳なメインテーマ
音楽だけでも満点です。
悲劇的なエンディングも併せてやはり力作と言わざるを得ません。
大きなスクリーンで観れてヨカッタです。
90点
大阪ステーションシネマ 20230926
テレビ初鑑賞 1979年4月2日月曜ロードショー
そういえば本作でカーリングというものを知りましたね。
007 で涙したのはこの作品と
No Time to Dieだけです。
本作はTVで何度も何度も観てますが、ちゃんとした音響のある映画館で観たのは今回が初めてです。
よかった。
レストア企画してくれた方々ありがとございます
とってもスクリーンから届く光が綺麗でした。
No Time to Dieでいちばん好きなシーンは本作の主題歌が流れたところです
他にも本作のボンドを感じる、感じさせてくれる演出が本作好きのわたしにはたまりませんでした。
さて、この007、アクションシーンで気に入ってるところは、片足で急斜面や立木を駆け抜けていくところ。
スキーをしたい!とわたしに初めて思わせてくれた作品です。
たまに一本で滑ってると、一緒にスキーを楽しんでいる人たちはなにしてんだろ〜と、
わたしの行動にいぶかりながらも
まねして全員片足で降りてきてくれたのを思い出しました。
あのシーンかっこよくありませんでしたか?
ひさしぶりに、雪山行きます♪吹雪く冬は行きません、春か夏、太陽浴びてビールがうまい時、山に。
頂上あたり、リフト降り場からちょっと離れた木の根元の名残雪に缶ビール隠してる人がいたらそれはわたし
かも。
最も劇場での鑑賞が困難を極めたボンド映画がベスト作の印象を残し、40数年ぶりに劇場鑑賞実現に感涙
追記として、60周記念の機会に初公開から初めてのリバイバル上映を遂げた、最新4Kレストア版での劇場鑑賞の所感を記しておきます。
新宿ピカデリー(3)にて9月24日、ついに劇場再鑑賞の日を迎え事ができた事、感激でした。
このような日が来ようとは、数十年来まさか想像だに出来なかった。
まさに、本当に夢のようです。
劇場での初鑑賞以降も、繰り返しLDやオンエアーでも再三鑑賞してきたにも関わらず、改めて劇場での鑑賞が叶ったことで、この映画の唯一無二感を再確認出来たこと、当時の自身のこの作品への想いに間違いが無かった事を確かめる事が出来たこと、本望です。
また、この映画の持つ壮大感、スピード感、素晴らしい音楽など、今作品の真髄は劇場スクリーン上に映し出されてこそのものであるとも改めて実感する事が出来た事、この上ない喜びでした。
当然ながら、映像のレストアに加えて修復されてより臨場感の増した音響により、前述の壮大感やスピード感、情景の美しさや音楽の鮮明さなどがよりUpしたような印象を受けました。
ヨーロッパ、アルプスなどの映像の美しさと共に、初めて、そして今作のみ唯一ボンドが見せた純粋な愛と、その後のシリーズにも受け継がれる職務を超えた(ある種の私闘)情熱的なその姿は、観る者に強烈な印象を残すと思います。
シリーズ中、『ダイヤモンドは永遠に』までの作品中で、唯一リバイバルされる事が無く、黙殺状態にあった本作がついに、名実ともに汚名を返上する事ができたことに感無量に劇場を後にしました。
追記2
この作品はそのテンポの良さや魅せ方など、その編集が秀逸であるということが要因としてあげられるだろう。
この作品の監督であるピーター・ハント氏も、前作までの編集者だったという経緯がある。
では、今作の編集者はというと、第2班監督も兼任していた”ジョン・グレン”氏その人である。
下記に、「’90年代以降辺りからこの作品の再評価の機運が顕著になったと思う」ように述べたが、『女王陛下の007』再評価ムーブメントの火付け役こそ、そのジョン・グレン氏だったと確信している。
それは丁度、’80年代に入ってからのこのシリーズをジョン・グレン監督自らが連続的に5作品を受け持つ結果となったその時にこそ、その口火を切った時だったからと。
今作以降のシリーズは、ジョン・グレン氏以前にはルイス・ギルバート監督とガイ・ハミルトン監督が受け持っている。
単純に、ブロフェルドの描写からしても『二度死ぬ』ブロフェルド→『ダイヤモンドは永遠に』ブロフェルドはその服装や振る舞いなども含めイメージが近く、むしろストーリー的にも宇宙技術の悪用など連続性があるかのようなシームレスな描かれ方になっていてまるで続編の様相だが、今作のサヴァラス=ブロフェルドに限ってアクティブな行動派ブロフェルドになっており、全く毛色の違う別イメージになっているのは明らかだと思う。
要するに、この件から考えるに、今作『女王陛下の』自体の設定や経緯を含めたその後の取り扱いに困り、取りあえずはスルー(あえて触れない)対応を取る方針になっていたのであろうことは容易に想像できる。
それが、編集者と第2班監督という立場で『女王陛下の007』に大きく関わり、いつかその汚名を晴らしたいという気持ちを抱いていたに違いないジョン・グレン氏にとって、ついにシリーズの監督という立場から、そのチャンスが回ってきたということが想像できるからである。
監督就任前の『私を愛したスパイ』、『ムーンレイカー 』の2作でやはり編集・第二班監督を兼任した後、自作で満を期してそこまでのお遊び脱線し過ぎを抑えた路線への軌道修正を図った流れは、まるで『女王陛下の007』とその前作までとの関係性とも重なる物がある。
これにより、同監督作の時代に入ってから初めてダイレクトな『女王陛下の007』繋がりの「結婚の過去」や「任務を逸脱する人間的」描写が顕著化され、これ以降の世代に再認知されていくムーブメントを巻き起こしていったということは間違いないだろう。
また、今日の有名監督や、著名俳優などが口を揃えて本作を称賛するようになったこと、それが正にこのムーブメントを受け止めた世代に一致していることは見逃せない。
要するに私が述べたいことは、「ジョン・グレン監督の本作への作品愛がなかったら、現在のこの180°転換な作品評価も幻の物だったかもしれず」、ということなのです。
以下、初鑑賞当時の今作を取り巻いていた状況など...
シリーズのその後の方向性と、プロデューサーの力関係を決定付けてしまう結果となってしまった作品でもある。
また公開当時とその後の現在までに、ここまで評価が完全に180°変わってしまったのを経験させられた作品は恐らく皆無。それは特に’90年代以降辺りから顕著になったと思う。
同シリーズ内に於いての評価順位変化や、著名俳優たちによる”持ち上げ”も可なり。
そうした事から、現時点での最終作には挿入歌の流用のみならず、思いっきりオマージュやまるで姉妹編かのような演出がなされ、ついにここまで来たかとビックリ。
単純に言えば、原作重視なリアル路線派のハリー・サルツマン氏主導の製作と、それまでシリーズの編集を行って養った手腕で監督を引き受けたピーター・ハント氏のコンビ作で制作された意欲作だったのが、興行的不振(007の水準だと失敗)に終わった事で、以降、皮肉にも娯楽路線重視のブロッコリ一族がシリーズを牛耳る切っ掛けをもたらしてしまった作品でもあったという本作。
尚、サルツマン氏は007のアンチ・テーゼ作品の「パーマー」シリーズや『空軍大戦略』などのプロデュースで有名でした。
更にこの興行不振により、当初既に3代目ボンドに決定し契約とギャラの支払いまで行われたとされるジョン・ギャビンをキャンセルしてでも「大金叩いてもコネリーを呼び戻せ」との制作会社のユナイトからの至上命令で、次回作『ダイヤモンドは永遠に』で一作限定カムバックを実現させる事となったなど、当時は大いにゴタゴタ起こした「問題作」としては名を残す結果に...
そうした経緯からも、昭和の時代に、どこの名画座でも無視されて最も鑑賞困難作品の一つだった。
世間的に低評価という事で知れ渡っていて、「ショーン・コネリーじゃ無い」ことで、全くやってくれませんでしたから。
なによりも、そういうワケで当時最高傑作の呼び名も高かった『ゴールドフィンガー』を引っ張り出して来た事から始まった一連のリヴァイバル上映のラインナップでも、当然飛ばされる憂き目に。(そうした事のそもそもの原因なワケですから)
元はと言えば、不人気だった本作から次作「ダイヤモンド〜」まで2年近く開いたために講じられた異例の措置がリヴァイバルが開始の切っ掛けとなった訳ですが、「ダイヤモンド〜」の敵役は原作ではブロフェルドでは無かったため、実は当初この映画についても「ダイヤモンド狂」の“ゴールドフィンガーの弟”という設定になっていた事から、『ゴールドフィンガー』をリヴァイバルしておいて流れを作っておくという事により決定されたとの推察の方が、オールド007マニア的解釈かな?
(早くも主題歌にシャーリー・バッシーが再登場した理由についても、このような経緯を知ったことで、その歌詞の内容についてもスンナリと納得出来るものがありました。)
しかし、「007シリーズ、全作劇場鑑賞(というかそもそも他に方法無い)制覇」を掲げていた関係上、成し遂げることはもはや悲願だった私にはそうした事などどうでも良いことだった。
当然、周りには「シリーズ全部観た人」なんか誰もいませんでした。
それに事実上「観れない」となると、返って益々興味が増すばかりに。
兎に角当時は、「主演のレーゼンビーの演技がダメ」とか「それまでのと違って秘密兵器やメカが登場しない」ので「ボンドが体技でもって戦う」など、出版物等で可成り否定的に叩かれて低評価を受けていたため、それをまに受けて殆ど誰も見ようという気にならない「不人気作」状況だった事から、まず何処の名画座でもやってくれるところが皆無という有様でした。
それでも懲りずにず〜と諦める事なく新聞の映画欄や当時創刊間もなかった「ぴあ」なんかでいつもチェックしてたもんです。
そしてついにある日、「蒲田アポロ」で3本立て上映の一本に上映されるのを発見し、「なんかの間違いでは?」と半信半疑で確認をとり、ついにその時を迎えました。
(というのも、過去に「女王陛下の〜」の別映画だった誤植があった...)
っで、鑑賞しての感想は「評判と違って、全然面白いじゃないかっ!」だった事は今でも忘れ得ません。
その時点で『女王陛下の007』は、自分の中の生涯ベストの中の一本に加えられたと思います。
音楽のカッコ良さとスキーでの追撃戦のスピード感ある映像や、ユニオン・コルスを従えてのスリリングなクライマックスの銃撃戦に加え、何よりもボンド作品唯一の真面目なラブロマンスであり悲恋ものという、ボンド生涯唯一の真剣な恋愛から結婚を遂げるというオンリーワンなストーリーは可成りジーンと来ました。
それだけに、この一本だけで降りてしまったレーゼンビー氏、とても残念に思いました。
しかし当時としてはコネリー=ボンドのイメージが強烈過ぎて、大衆の多くがそれ以外の俳優にアレルギーを起こしてしまったという事も無理もなかったんでしょうね。
しかし、もしもこの作品のボンドをコネリーでやっていたらと想像したら、レーゼンビー氏のような若々しさでは無く、次作の『ダイヤモンドは永遠に』でのカムバック時の結構老けた感からして、このような仕上がりにはならなかったんじゃないかと鑑賞後にも思いました。
それを考えると、この作品だけ唯一無二の運命的な作られ方だった作品の様にも思えます。
原作小説も当時の邦訳本で全て入手し、この作品も公開時のハヤカワミステリ版で読んでますが、映画用に別物の様に大幅アレンジを加えられたシリーズの他作と比べ、一番原作に近い忠実さで映像化されている点も好きな所です。
それだけ、元の小説版のストーリーはよく出来て魅力的な作品故でしょうね。
因みに、この早川版はその大半が映画化の際にカラー写真の限定外カヴァー付きと化し、その殆どを所有していますが、今作『女王陛下の007号』のはどう見たって”ボブスレー扮装のヘルメット着用状態の「ブロフェルド」”となってしまって笑えます。
当時はショックでしたが...
恐らく、早川の担当者が、この状態の「ボンドとブロフェルドの見分けつかなかった」のが原因だったと想像されます。
コネリーじゃ無く、混乱したんでしょう「どっち?」と。
ある意味、如何にこの作品が軽んじられていたかを表すエピソードとも...
祝🎊悲願の再公開決定!
初公開以来50年以上、唯一今作だけ「リバイバル」のラインナップから黙殺されて一度も劇場再公開されなかったのが、2023年9月20日からの4Kレストア版リバイバル上映に決定したとの事です。
是非、劇場でこの作品を味わって頂きたいと思います。
おまけ
戯言ですラストについて、通常はあの悲劇的結末は「ブロフェルドによるボンド暗殺の流れ弾によりトレーシーが...」との表現されますね。
しかし、何回もこの作品を観ていて、全体の流れとその人間関係から考えてみた場合、別の面が見えてきます。
当然ブロフェルド氏は「憎きボンドを殺せっ!」とイルマ・ブント女史に命じていたことは間違いなく、「仰せのままに」と答えたことでしょう。
しかっし、ここでイルマ・ブント女史の心情から考えるに、「自分には目もくれずモテモテのボンドは美しい恋人までいて、そいつに任務邪魔されて...」だけでもヤけて腹立つのに「すべてを捧げてきたブロフェルド氏までがトレーシーに求婚!?」となって、勝手にターゲット変更しちゃったんではないか、要するに初めからボンド狙ってなかった可能性が...
どう思われます?
ボンドが愛を捧げた女
ジェームズ・ボンド・シリーズ第6作。
Amazon Prime Videoで鑑賞(吹替)。
原作は未読です。
ジョージ・レーゼンビーのボンドはショーン・コネリーに比べてダンディーさに欠ける印象でしたが、アクションシーンの拳の力強さはとても良く、惚れ惚れしました。
ボンドは職業柄、その男性的魅力でもってたくさんの美女に愛を囁いて来ましたが、ここまで一途にひとりの女を愛し、結婚まで考えると云う展開はかなり意外でした。
そう云えば「ノー・タイム・トゥ・ダイ」でオマージュされていたなと思ったのも束の間、こんなに悲惨な結末を迎えるとは1ミリも想像しておらず、呆然唖然。
ラブ・ストーリー要素を強調した作風は近年再評価されているとのこと。愛を貫くボンドの姿は確かに斬新で、本作が隠れた名作と言われている所以が理解出来ました。
2代目新生ボンドと編集出身の監督が放つキレの良い活劇と程良いスリルの果てにビターな結末で締める007の異色作
作戦中に浜辺で出逢ったマフィアのボスの娘でもあるテレサと取引で結婚したボンドが、いつしか本当に惹かれて始めてゆき、宿敵ブロフェルドを倒してあとに結婚をするが、新婚旅行で悲劇が起きる。
ハマり役だったショーン・コネリーのボンドから本作のみになった2代目ジェームズ・ボンドのジョージ・レイゼンビーにバトンタッチした6作目で1969年に公開された作品だが、当時の映画批評などでは、凡作に近い評価が多くて興業成績も落ちていた事からしばらくは、黒歴史にされていた作品だが、公開前後に生まれた世代の映画監督などに影響を与えて近年再評価されている印象。
80年代前半くらいまでは、007の新作が公開されるタイミングで、007の映画をメインにしたテレビの特番がゴールデンタイムに放送されて、過去作品のアクションや歴代ボンドガールや秘密兵器の見せ場をダイジェストで観られる事もあり007の映画を全編観てはいないが、見せ場は大体知っている状態だった。
今ならネタバレと大騒ぎになるかもですが、昔の観客はそれに慣れていた。
過去作の名場面集でも何故か本作が取り上げられる場面は少なめだったのが、子供心に疑問だったが、本作のスキーアクション場面の残酷描写が強烈で若干トラウマになったのもありテレビで放映されて見ない状態だった。
様々な映画に興味を持った頃の自分も初見は、レンタルビデオを観たクチだが、想像以上に良い作品で、当時酷評した批評家の見る目の無さに呆れた次第。
その後に更にいくつかの文献などを読んで何となく分かったが、レイゼンビーのボンドの硬さと原作に忠実なストーリーが地味に映り低評価に繋がったのではと思っている。
確かにコネリーと比較するとレイゼンビーは、スタイルや動きは良いが、艶が無くも雰囲気も軽めに見えて正直部が悪いのは分かるが、見るタイミングで正直気にならない。
物語のシナリオもコネリーのボンドに当てはめて過去作品を観ている印象だと、センチメンタルな感じで、多くの女性たちを、ある種の冷徹さで扱ってきたコネリーボンドには違和感がでるかも。
本作が監督デビューになる編集出身のピーター・ハントは、リアル寄りだがキレのあるダイナミックなアクションを随所に配置して、目を見張る場面も多く、特に個人的にトラウマになった残酷描写のあるスキーアクションは、その後の007シリーズにも引き継がれている見せ場である。
ただ、格闘アクション場面での部分的な早回しの多用や雪崩の特撮合成シーンなどは、今の目で見るとイマイチかも。
ルイ・アームストロングが担当した主題歌『愛はすべてを超えては』は名曲だが、暗示的なラブソングで、単体で聴くと007の曲に思えず劇中の前半に流れるだけだが、映画をラストまで観るとこれ以上にないくらいにハマっており、以前流通していた『女王陛下の007』のLDソフト版だとエンドクレジットが終わった後の暗転場面に単体で主題歌「愛はすべてを越えて」が流れてラストの余韻を深めていたのを思い出す。
版権の関係かDVDソフト版に無かったけど・・
主題歌の曲調の関係でゴールデンフィンガーから定番になったオープニングクレジットでの主題歌では無くジョン・バリーが手掛けた『女王陛下の007』のテーマの出来映えも素晴らしくて緩急あるアップテンポな曲調で作品にもマッチしている。
撮影のマイケル・リードは、それまで低予算が殆どのハマー映画を手掛けてきたが、初の大作で抜擢されて数々のロケ撮影を見事こなして、やや乾いた色調で艷やかさには欠けるが、逆に当時のアメリカニューシネマ調な側面を醸し出して作品にはマッチしていると思う。
本作をリスペクトしているクリストファー・ノーランは、『インセプション』で本作の雪上アクションを踏襲しているが、当時ノーラン作品の特徴でアクションの見映えイマイチなので元より単調で劣化したモノになっていたのには驚いたが、逆に本作の仕上がりの良さを立証している。ノーランは『テネット』でアクション音痴を克服したけど。
悲劇ヒロインでもあるテレサ役のダイアナ・リグは、当時イギリスのテレビシリーズの『おしゃれ㊙︎探偵』で人妻だが、イギリス諜報機関の工作員でもある?主人公エマ・ピエール役でイギリスでは人気があったらしい。
日本では殆ど再放送されない番組で、未見だが雑誌に載っていた解説によると、ミニスカ着用の人妻工作員が、敵を空手キックでボコるところが見所らしい(マジ?)ある種の癖のある人には堪らない作品らしい。
ダイアナ・リグの最後の出演作品でもある『ラストナイト・イン・ソーホ』のエドガー・ライト監督も多分再放送などで本作の観ていたはずで、年代的にも内容的にも彼女を起用しているのは意図的だと思う。
ちなみに先代のエマ役のオナー・ブラックマンも『007ゴールドフィンガー』でボンドガールになっていたり、もう一人主人公でエマに命令を出す上司のパトリック・マクニーも『007美しき獲物たち』に楽屋落ち的ネタをロジャー・ムーアと交わしながら出演しているのが面白い。(確かムーアがマクニーに「あんたは人使いが荒い」と言ったと記憶してます)
個人的に007のベストでもありとても好きな作品で、最新作でダニエル・グレイクのボンド引退作でもある『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』で強力にリスペクトされているが嬉しい。
ヒロインの伯爵夫人が一見わがまま美女に見えて、ボンドをひたすらに追...
ヒロインの伯爵夫人が一見わがまま美女に見えて、ボンドをひたすらに追いかけてその手助けをするとか、
悪くはないお話なんだけど、最後がどうにも。。。
ボンドシリーズは爽快な終わりであってほしかった。
泣いておしまいとか私の中のボンドのイメージに合わなかった。
この一作でジョージ・レーゼンビーが消えてしまったのは、この終わり方のせい??
シークレットサービスは誰のもの
「No Time to Die」とのつながりを確かめたく鑑賞、
するも、噂の「インセプション」つながりを目にしたり、
「カリオストロの城」のあのシーンの出典はここでは、と思う場面に出くわしたり。
驚きの連続だった。
時系列に各作品を見ていたら、どちらが元ネタなのか一目瞭然だが、
知らず上記三作を見て勘違いしていた自分が間抜けに思えてくる。
当然だが、同時に作り手が過去作を探求、リスペクトしていることに胸アツだろう。
それほど愛された名作であることは間違いないし、
今、撮ったらどうなるだろう。
撮ってみたい、と思わせる斬新さがあることもうなずける大胆な設定やサスペンス、ロケーションが登場する作品だった。
最初、タイトルの意味がよく分からなかったのだが、
結末まで見るとダブルオーの所有者は(上司でありパートナー?)
「女王陛下」以外にいない、ということなのか。
「No Time to Die」の結末も、もうひとつのそんな結末ということか。
幾つかの全く異なる作品につながる「ハブ」的存在の本作は、
単体でも素直に面白く、派生とつながりを含めて観てもとても興味深い作品と感じている。
ラストシーンがとにかく秀逸
犯罪組織スペクターの首領を追い続けるボンドはアルプスにある研究所の存在にたどり着き…。
シリーズ6作目。2代目ボンドの唯一の作品でペラペラ計画を喋る黒幕や無駄に長尺で落ちていく敵兵士など今見るとシュールな要素が多いが、ラストシーンはとにかく秀逸で泣けます。
食わず嫌いでした。ごめんなさい
え!いいじゃん?
いいじゃん、これ?
今まで、コネリーでもムーアでもないという理由で未視聴でした。
反省です。ジョージ・レーゼンビーにごめんなさい。
世間の評判はアテにならないね。レーゼンビー、いいじゃないですか!
コネリーのボンドをものすご〜く研究していると思う。遠目だと、歩き方や立ち居振る舞いは「コネリーだよ」と言われたら信じちゃうかもです。
ムーアは丸っきり違うけどね。
レーゼンビー、本当によく頑張ったんだろうなぁ・・・。
初っ端から助けた女性に逃げられるボンド。
「前の奴にはこんな事は起こらない」(笑)とボヤくも好感度UP。
シェイク・マティーニ、コルシカ・ブランデー。その道、一流の男達が互いに認め合うさりげないトピック。
こういうシーンって本当に好き♪
アメ車は趣味じゃないけど、クーガー良いですね♪トレーシーによく似合ってる。(クロスオーバーSUVのクーガじゃないよ)
フォードにおけるマーキュリーってのはトヨタにおけるレクサスみたいなものと思えばいいのでしょうかね?
無事に結婚生活が訪れたなら、トレイシーがXR-7、ジェームスがGTってのも仲良くて良さそうですね♪
大空、海中、極東ときまして、今回の見せ場は氷雪です。
スイス、シルトホルン山頂からの大滑降。当然、スキーもオリンピッククラスの007。
そうか、キングスマン2の回転ゴンドラは本作へのオマージュだったのか。
ヒラリー卿やってるときは、オイスター・クロノグラフだぁ!いわゆるプレデイトナってヤツですね。今、世界に幾つくらい残ってるんでしょうね。
紋章院というのは流石、英国ですねー。いずれ、じっくり調べてみようと思いました。
コロンビア大卒、ペンタゴン勤務経験のある頭脳明晰なテリー・サバラス!
事件系作品はお手のもの。
コジャックの前にブロフェルド演ってたんだぁ!
まったく、テリー・サバラスとユル・ブリンナーのおかげで幼少のみぎりから、男性の美醜に頭髪の有無は問わない性格に育ちましたよ(笑)
ドラコ・パパも格好良かったなぁ!
ボンドの義父を張るには、これっくらい胆力ある男でなくちゃいけません(笑)
婿殿の要望にお応えし、「ウイルスだから」と慎重論の大国達を尻目に、人数と機材揃えて、スイス越境して、悪の研究所に殴り込みかけるなんざ、並のパパさんには出来ませんね。娘の幸せも考えてるし、普段は甘いけどやるべき時には毅然と対処するし。
結婚式のシーンは、先の展開が読めるだけに心が痛かったです。ブントが逃げているから当然の帰結ではありますが。
「見たくない。幸せになって欲しい!」と強く願いました。無理な願いでしたが。
公開当時、不人気というのは「ボンド=コネリー」という認識の浸透が強すぎた為じゃないですかねぇ。最初からアウェーの空気だったのでしょうね。
不遇な一作です。
個人的にショーン・コネリーは大好きなのですが、それでも、これまでの007シリーズでは本作が1番好きかもしれません。
プロデューサー、ハリー・サルツマンは原作忠実派。なるほど!うん、自分の好みは完全にこちらの路線です。
今回はQの台詞で締め括りたいと思います。
「キミを見直したよ!」
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