スターライト・ホテル

劇場公開日:

解説

父を尋ね旅に出た少女と、警察から逃亡している男の、出会いと奇妙な連帯感を描くロード・ムーヴィー。製作はフィノーラ・ドゥワイヤーとラリー・パー、監督はサム・ピルスバリー、グラント・ヒンデン・ミラーの『夢商人』を原作に、彼自身が脚本化、撮影はウォーリック・アトウェル、音楽はアンドリュー・ヘイゲンとモートン・ウィルソンが担当。出演はピーター・フィルプスほか。

1987年製作/ニュージーランド
原題または英題:Starlight Hotel
配給:フォース・テン
劇場公開日:1989年3月25日

ストーリー

一九三二年夏、母を亡くしたケイト(グリアー・ロブソン)は、失業した父親が街で職を探すために預けられた叔父の家での、欝屈した日々から脱け出すために家出を決意する。そしてある夜更け、彼女は警察からの逃亡の旅をしているパトリック(ピーター・フィルプス)と出会い、二人で旅を続けるようになった。パトリックはケイトを邪悪な小娘と思っていたが、ある日農夫が二人を親子連れと勘違いしたことで、彼女を逃亡の隠れ蓑に利用しようと考えたのである。パトリックは姉の住むダニーディーンの町にケイトを連れてゆくが、彼女も貧しく力にはなってもらえない。おまけに二人は折からの失業者の暴動に巻き込まれ、離れ離れになってしまう。いつしか心和ませる大切な相棒となっていたケイトを探してパトリックは街をさまようが、二人が再会した頃、警察の捜査の手は近づいていた。そしてケイトがパトリックに無理矢理連れられていたと思い込んでいた警察は、彼を撃ち川へ転落させるのだった。パトリックの死で心の重いケイトが乗り込んだウエリントン行きの船。そこで彼女は一命をとりとめたパトリックと再会する。そして喜びを胸にウエリントンに到着したケイトを待っていたのは、最愛の父親であった。

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映画レビュー

5.0秋山図なのかも

2020年7月11日
PCから投稿

むかしVHSで見た映画だった。舞台はニュージーランド。家出した少女とお尋ね者の逃避行で、内容は記憶が薄れてしまったが、感動したことをよく覚えている。

レンタルビデオの時代は、情報が僅かだったこともあり、何げなく借りた映画が当たると、望外の喜びがあった。

大人と子供の逃避行といえばグロリア、レオン、菊次郎の夏、アジョシなどだが、子供に対する庇護本能がくすぐられることによって傑作が生まれやすい(そんな簡単なことではないだろうけれど)が、ふたりの関係性のポイントとなるのは大人が親ではないことだと思う。
無縁の子供を助けるところにドラマが生まれる。

かつて南半球の映画でよく見る俳優といえばサムニールとブライアンブラウン、三番目くらいにこの映画のPeter Phelpsがいた。
ぶっきらぼうでタフガイタイプだがいっしょに旅するあいだに少女に対する庇護本能が芽生えてくる。

少女(Greer Robson-Kirk)の寂しげな表情は忘れられないのに、憶えているシーンはあまりない。
男は当初、帽子を目深に被った少女を少年だと思っている。それをドボンと湖に投げ込むと長い髪があらわれる。そこはよく憶えている。
ふたりはときに反目しながら、ニュージーランドの広大なサバンナを野宿しながら旅する。
タイトルとなっているStarlight Hotelは「どこかに泊まるんじゃないの?」と泣きごとをいう少女に男が言ったセリフ。「泊まるさ。スターライトホテルに」そう言って男は満天の星々を仰ぐ。そこもよく憶えている。

この映画はVHSの時代、わたしがもっとも感動した映画のひとつだった。出演者も監督も知らず、南半球の話も珍しく、ドレッシーなタイトルはむしろハズれを予感させた。だからこそ増して打つものがあった。

いまさらDVD化はないだろうし、そもそもメディアを購入してまで観ようとも思わないけれど、なんとなく思い出すたび、また観られたらいいなと思う。

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津次郎

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