「孤高の一面と裏面」市民ケーン 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
孤高の一面と裏面
『Mank/マンク』を見たので、やはりこの作品が無性に見たくなる。
オーソン・ウェルズの監督デビュー作にして、製作/主演、ハーマン・J・マンキウィッツと共に脚本も兼任。
映画史上不滅の、1941年の名作。
新聞王、チャールズ・フォスター・ケーンがこの世を去った。
生前は幾つもの新聞社を経営し、多くの女性と浮き名を流し、富と権力を欲しいままに。
が、晩年は廃れた大邸宅に引きこもり。最期の言葉、「バラのつぼみ」を遺して…。
ニュース映画の記者たちは、その意味を探る。
そして明らかになっていく、“一面”では知り得なかった新聞王の本当の“裏面”…。
本作も見るのはかなり久し振り。
改めて見ても、オーソン・ウェルズという天才の才能に圧倒される。
まず、まるでホラー映画のような、カメラがケーンの古城に迫っていくシーンにゾクゾク。
そして謎の言葉「バラのつぼみ」を遺して息絶えるケーン。
これだけでもう、掴みはばっちり!
記者たちがケーンを知る関係者たちに接触して話を聞く。語り出される関係者の証言。
こういうの、我が日本クロサワの『羅生門』が有名だが、それよりも9年前!
記者たちの現在とケーンの人生が交錯。当時としては大胆にして複雑な構成。
パン・フォーカス、長回し、ローアングル…多彩な撮影法は作品に力を与えているかのよう。
…しかしこれら、現在の映画ではどれも当たり前。
そう、その先駆なのが『市民ケーン』と言っても過言ではない。
モデルとなった新聞王ウィリアム・R・ハーストの逆鱗に触れた。
無断でモデルにされ、喧嘩を売られたからか。
プレイボーイで、権力に溺れる傲慢な男だからか。
実際Wikipediaで調べてみると、ハーストはそんな人物。
それらもあるだろうが、別の理由もあるのではないだろうか。
“一面”では知り得なかったケーンの“裏面”。
孤独で、愛を欲していた男。
傲慢な権力者からすれば、侮辱だ。
しかし私はこれで、ケーンに人間味を感じた。
例えどんな莫大な富を築き、絶大な権力を握っても、本当に欲するのは…
彼もまた一人の人間。
…いや、我々以上に哀しい人物。
記者たちが結局分からずじまいになってしまった“バラのつぼみ”。
最後の最後に明かされる。それもまた彼が秘めたるもの…。
『市民ケーン』と言うとどうしても、オーソン・ウェルズ(とハーマン・J・マンキウィッツ)がウィリアム・R・ハーストを“叩いた”作品の印象。それは『Mank/マンク』を見ても。
しかし改めてこうして見て…
権力者叩きじゃなく、一人の孤高の男のドラマチックな生涯。
ひょっとして、オーソンもマンクもそこに自分を重ねたのでは、と。
だからこその“自分の最高傑作”“自分にしか書けない物語”。
改めて見て良かったと思う。