サムライ(1967)のレビュー・感想・評価
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アラン・ドロンの孤高の存在感とメルヴィルの創造性が融合した一作
本作において、“サムライ”と直接結びつくのは冒頭に掲げられた文言だけで、あとは殺し屋の日常が淡々と描かれていくのみ。おそらく監督は、この孤独な生き様や、何事にも特殊なこだわりを持った生活様式を、サムライのそれと重ね合わせたかったのだろう。 見所なのは、冒頭のシーン。雨の音が絶え間無く続く中、クレジットを映し終えると、ほぼ不動に近かった室内が急にボワンボワンと膨張と収縮を始める。これはカメラを後退させてはズームしたり、ストップ・モーションを加えたりする操作の産物らしいが、この場面を通じて「すべてが動き、同時にすべてがそこにとどまったまま」という象徴的な状況を描きたかったそうだ。 主人公は決して刀を振り回したりしないが、かくも精神性の部分で、サムライにも似た特殊な境地を表現しようとする。何者にも束縛されず、自由に創造性を羽ばたかせる。そんなメルヴィルの研ぎ澄まされた流儀がとても粋な一作だ。
【噛めば噛むほどに味が出るスルメのような映画】
殺し屋Jef Costelloが仕事に向かう4月4日土曜日午後6時からの2日間を描いた作品。
ぼ〜っと観ていると、
鍵のパターンはあれしかないのか?!盗み放題だな!とか、あの川でオリンピアンは泳いだのか🤮とか、400人集めるって非効率だなとか、何も馬鹿正直に帽子とトレンチコートを持って行かなくてもとか、少しは変装しろよとか、途中で尋問されてた兄ちゃんそっくりだなとか、令状もなくタンスの中身をひっくり返していいのかとか、それセクハラだろとか、移動の度になかなか目的地に到着できなくて大変だなとか、ストレスマックスの小鳥ちゃんが一番不憫だとか、背後から撃つなんて卑怯極まりないだろとか…
こんなことしか頭に思い浮かびません🙃
もっと感じ取らねば!
と再々々…挑戦。
様々な解釈が可能になるほど、経緯や動機は明言されません。しかし、鑑賞の度に小さな発見があり、一瞬しか映らない細部にまで拘っていることがよく分かりました。
冒頭紹介されるあの文言は“Bushido”になく、監督の創作とのこと。
一匹狼の孤独と覚悟をサムライという単語からイメージするのでしょう。三島由紀夫先生が褒めているので、文句を付けにくいですが、金目当てに殺しを引き受けることに何の美徳もないし、それは決して武士道でも侍でもないと考えます。それでも引き込まれるのは、各シーンのスタイリッシュな構図とくすんだ背景に、Alain Delonの蒼白い美貌と潔い佇まいが映え、時々名画のような美しさを帯びるからです。陰鬱で寒々しいパリの風景に、”Le Samourai” のメロディがよく似合います。
÷÷÷
〈なぜ金が必要か〉
「ちゃんと払えるのか?」
闇賭博での質問に、
「俺は絶対に負けない。」
と答える。
Jefは賭博で借金を作り、返済のためにこれから仕事、すなわち依頼殺人に向かう。当然アリバイ工作は暗黙の了解。充分な資金を得たら、必ずポーカーで勝つ(雪辱を果たす)という宣言。
〈Jefと警視正〉
警視正は結婚指輪をはめている。家族に連絡もせず、日曜日を返上して捜査にのめり込む。 Jefそっくりさんに尋問中、警視正はなぜか我が子の写真を被疑者に向けていて、その後、向きを自分の椅子の方へ戻している。写真立ての向きが変わるのはこの時だけ。恐らく自白を得るためなら、利用できる物は何でも利用するのだろう。Janeを追い詰める時も「親の立場」を話している。
Jefは白い手袋のせいで、銃の扱いがまるで手品師レベルに見える。鍵穴を見なくても次々と鍵を差し込めるし、すぐ逃走する際は車のエンジンを切らない(それだけ短時間で仕事を終えられるという自信の表れ)。即興アリバイなど朝飯前。「仕事」にだけ特化した生き方は、警視正と同じようだが、基本単独行動のJefに対し、警視正は多くの部下を指揮している。
警視正はいつJaneの嘘を見破ったのか。
あまりに出来過ぎたアリバイ証言という他に、Janeが座っていた警視正の部屋をJefが通る際、婚約者であれば、「ねぇ大丈夫?」「君こそ大丈夫?安心して。」などという受け答えがあって然るべきで、鋭い警視正が、後々2人の不自然さに気付かないとは考えにくい。逆にJefは、このような時に一芝居打つことを思い付くだけの人生経験がない。
〈芸術作品の有無〉
被害者、ReyやValérieの部屋は特に目立つが、Janeの部屋、警視正の部屋、賭博場となっているホテル、盗聴目的で待機する向かいのホテルの一室、そしてナイトクラブのトイレですら、絵画や置物が飾ってある。Jefの部屋は、ベッドの頭上に真っ黒なキャンバス風の物体が一つだけ掛けてあるが、絵画には見えない。(修理工のガレージにも飾り付けはない。)芸術作品を、愛や生の喜び、繁栄の象徴と捉えると、Jef(と修理工)の人生にはそれらが欠如していると言える。
〈2人の女性〉
(元)恋人Janeの反応から、これまでJefが彼女とは少し距離を取っていたと分かる。二股(もしくは新しい彼氏Wienerの存在)も承知の上。(この後Wienerが来ると知り、彼をもアリバイに利用することをJefは咄嗟にひらめいている。)(一方のWienerは、警察署で二股に気付き、Janeを置いて先に帰る。)Janeの本命はJefなので、彼の突然の訪問は何時でも嬉しい。愛するJefに必要とされ、役に立ちたいと願っている。彼女の熱い直球に、Jefは素っ気ない。
そんなJaneへの態度を踏まえると、ピアニストValérieに対して抱いた興味は明らかに好意へ変化したことが分かる。
犯行直後と面通しで見つめ合う。
偽証したValérieの真意を確かめようとナイトクラブに戻ったJefは、注文したウィスキーには手も触れず、ピアノを弾く彼女を一心に見つめる。
報復を恐れての偽証なら、車には乗せないはず。
「なぜ殺したの?」
「あなたは何者?」
Jefへ向けるValérieの不思議そうな眼差しには邪気がない。まるで、こんなに冷たく透き通る瞳を見たことがない、というかのように。
自宅でJefの話を聞いて、Valérieは誰がJef殺害を指示したかに気付いている。そうとは知らず、Jefは演奏する彼女の頭を愛おしそうに軽く触る。 Olivier Reyが帰宅するか、相手をしなければならない時間になり、Jefを帰す。約束の電話で雇い主を教えるつもりだったが、Reyを裏切ることが怖くなったのか考え直す。受話器を取らずにReyの部屋へ向かう行動は、彼女がReyに誠実であることを示唆している。
Jefは自室で待ち伏せていた刺客から、雇い主と新たなターゲットを聞き出す。
〈第2のターゲット〉
次なるターゲットはValérieと考えると最も辻褄が合います。Reyが愛人を殺す動機は、警察に目をつけられたJefと親しくなり過ぎたという判断でしょう。Jefに新たな依頼が来るのは、Valérieに電話した直後です。
そして、
恩人を、金のためには殺せない
恩を仇では返せない
という信念がJefの中にあるはずだと考えることで、彼の終盤の行動が最も「サムライ」らしくなり、私の中で唯一「侍」らしさを見出せる点です。
Rey宅へ乗り込むまで、JefはReyとValérieの関係に気付いていない。
Valérieがターゲットになった理由は、愛人だから(Jef→ Valérie→ Reyへと捜査の手が及ぶ恐れ)ではなく、自分に協力的なせいだと考えたJefは、当然Janeの身も案じる。だからReyの元へ向かう前に彼女の家を訪れる。
(恐らく何度も)助けてくれたJaneをこれ以上危険な目に遭わせる訳にはいかない。今度は(最初で最後?)、自分がJaneを守る番だ。
「心配するな。片をつける。」
(この言葉の意味を理解しているか、一旦ドアの前で止まり、命懸けだと慌てたJaneの姿を横目で確認して出て行く?)
今生の別れを予期していたかのように、Janeは黒いドレスを着ている。
Reyの家へ押し入り、Valérie はコイツに囲われていたのだと初めて知る。
つまり、彼女は誰が雇い主で、誰がJefの命を狙っていたか、知ってい(て尚且つ教えてくれなかっ)たことに気付く。
それと同時に、Reyは保身のためなら忠実な愛人の殺害も依頼するような奴だと見抜き、一直線に殺しに行く。
警察署でValérieが自分の窮地を救ってくれたのは、Reyの指示があったからだとしても、恩人には変わりない。
君を殺す訳にはいかない。
それまで冷たく据わっていた目は、Valérieの顔を脳裏に焼き付けようとするかのように小刻みに激しく動く。(Jefは僅かに頬を赤らめている。)
「ここにいちゃダメ。」
既にReyが始末されたことをValérieは知らないので、まだJef の身が危ないと案じて伝えている。
「金をもらった。」
ここでValérie は、Reyの裏切りに気付く。
横たわるJefを見て、涙を浮かべるValérie。(よぉ〜く観察すると、左眼に間違いなく一粒の涙!)
この時点ではまだ、Jefの拳銃が空であることを知らない。ReyとJefが自分を狙ったことにショックを受けている。
Valérieの涙を見逃さなかった警視正は、Jefと彼女との間に何らかの感情のやり取りがあったことを瞬時に見抜き、弾は空だったと伝える。
Valérieは、Jefに救われたことを悟り茫然とする。
… 君が尽くした男は、君を切り捨てたのだよ。
(俺は違うぜ😘)
Rey殺害後、Valérieに会うことなく逃亡しても良いのにそうしないのは、自分が生き残ることで女性達だけでなく、これで最後だと約束した修理工にも迷惑を掛けるし、金を貰って仕事を引き受けたというプロ意識があるからだと考えました。
「サムライ」=厚い忠誠心というイメージが強いことを念頭に置けば、JaneとValérieも「サムライ」魂の持ち主で、サムライがサムライを救う話にも取れますが、タイトルからして「サムライ」設定はJefだけでしょう。そこに男女の愛を絡める所がフランスらしいと思いました。
÷÷÷
まずは、視覚情報を言葉にせず、思考にせず、勿論推理などとんでもなく、眉目秀麗な殺し屋が生きるこの世界を素直に堪能する。
刻々と変化する状況を諦観してきた男が、その無情の瞳に微かに湛え始めた愛を見抜き、あれは彼が最期に望んだ視界なのだと気付いた時、一層胸が苦しくなりました。
***
十人十色の解釈が可能ですが…
※ 売春容疑をかけてもいいんだぞと警視正に脅されますが、Janeが娼婦だという明言はありません。もし娼婦だとして、毎回客に「Jef?」と訊ねるのは商売上手と言えないです。また、当初WienerはJaneに寄り添う素振りを見せますが、Jefを確認した後は、ずっとJaneに背を向けています。そもそも娼婦の出頭に付き添うでしょうか。自分の前に客がいたことを怒るでしょうか。Jefとは売春で、Wienerがsteady?JaneはJefのガールフレンドか元カノと考えるのが自然だと感じました。
※ 名前も知らない主君に忠義を尽くすことは、「侍」らしくありません。そもそも一匹狼のJefに、組織の一員として、誰かに奉仕しているという概念があるとは思えません。Jefには自身の掟があり、当初から、自分の命を脅かす金髪野郎とそのボスを敵とみなして探しています。主君を殺めた→組織の掟を破った→「ハラキリ」に向かった(警察に自分を射殺させた)という外国人に非常に多い感想は、「ハラキリ」を単なる自殺手段と捉えていて、「切腹」が名誉の自決であることを理解していないからでしょう。(そういう解釈も勿論自由で、誤りだと決めつけている訳ではありません。)
当時Delon夫人だったNathalie が本作Jane役でデビュー。Alainは妻の女優業に反対だったため、離婚のきっかけになったというこの背景が、心なしか2人の演技に影響を与えているような気がします。
深い深い孤独
一匹狼の殺し屋ジェフ・コステロを若きアラン・ドロンが渋い魅力で演じる。襟を立てたトレンチコート姿が様になる。
アラン・ドロンの当時の妻ナタリー・ドロンとの共演も見どころか。
侵入者の有無を、鳥籠のカナリアの様子から推察する姿が印象深い。
何故お金が必要なのか、端正な顔立ちのアラン・ドロンを他の誰かと混同し得ないのでは … 。その2点が気になった。
鑑賞から時間が経ってしまったが、アラン・ドロンが8月18日に永眠されたとの報道に驚きました。ご冥福をお祈り申し上げます。
ー サムライの孤独は他の誰の孤独よりも深い
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕)
アラン・ドロンの存在感
チャコールグレーのスーツにトレンチコート、中折れ帽の縁を整える仕草がダンディな、孤高のヒットマンが主人公のサスペンス。
監督がサムライに例えた彼の生き方の最期はハラキリにも相当する空弾の拳銃で犯行場所に戻り目撃者のシンガーを脅す行為。おそらく警察が張り込んでいることも予想していたと思うので、大物を殺してしまったからには自分の人生も最早ここまで、ということだったのかな…。
107分の上映時間のうち1時間以上はほぼ彼だけのシーンに見えた。当時32歳のアラン・ドロン氏、やっぱり大物。単なるイケメンにとどまらない、その年齢には思えない渋みと存在感があった。
その他、セット、美術、音楽も今見てもおしゃれで、映像にも一貫した美を感じた。
アラン・ドロンが暗い暗い、中折れ帽とトレンチコートを身にまとう一匹...
アラン・ドロンが暗い暗い、中折れ帽とトレンチコートを身にまとう一匹狼の殺し屋の生きざまを演じた名作。 共演に『カビリアの夜』のフランソワ・ペリエ、当時ドロンと婚姻関係にあったナタリー・ドロン。ピアニストのヴァレリー役でカティ・ロジェ。 冒頭、「侍ほど深い孤独の中にいる者はない。おそらくそれは密林の虎以上だ ――『武士道』より」と表示される。 そうだろうか?
映画鑑賞の原点
1968年7月14日、私は「サムライ」を観た。 近所の名画座で「サムライ」「続夕陽のガンマン」「007は二度死ぬ」の3本立てであった。他の2本も楽しめたが、何と言っても私の心を捉えたのは「サムライ」である。 淡いブルーの色調に抑えたアンリ・ドカエのカメラ。フランソワ・ド・ルーベの音楽。派手に流れないジャン・ピエール・メルビルの演出。アラン・ドロンの演じたストイックな一匹狼の殺し屋に魅せられてしまい、ラストシーンでは思わず涙が出てしまった。 映画とは素晴らしい物だと思い、少しでも多くの素晴らしい映画と出逢うために映画館通いが始まった。 最初は名画座ばかりだったが、そのうちロードショーへも行くようになり試写会へも応募するようになった。観た映画をノートに記し、映画雑誌を読み、スタッフやキャストも気にするようになった。初めのうちは洋画オンリーであったが、黒澤明の「七人の侍」を観てからは邦画へも目を向けるようになった。いつしか映画を観る事が生活の一部になった。 この映画は、私の映画鑑賞の原点である。 あの日流した涙は何だったのか。その答えとの出逢いを求めて、私は今日も映画館の暗闇の中へと出かけて行くのである。 1968. 7.14 東十条オデオン座(併映 続夕陽のガンマン、007は二度死ぬ) 1968. 7.16 赤羽オデオン座(併映 続夕陽のガンマン) 1970. 7.25 シネマ新宿 1970. 9. 6 テアトル新宿(併映 泥棒を消せ、華麗なる賭け) 1971. 2. 7 テアトル新宿(併映 さらば友よ) 1971. 6.27 テアトル新宿(併映 冒険者たち) 1971.10.22 テアトル新宿(併映 さすらいの狼) 1973. 4. 9 池袋文芸座 1973. 7. 7 テアトル新宿(併映 さらば友よ、リスボン特急) 追記:1990年代以前の鑑賞日の設定は出来ませんでした。 追記2:映画の冒頭「ジャングルの中の虎に似てサムライの孤独ほど深く、厳しいものはない−武士道-」という字幕が入ります。 これは武士道が出展ではなく、ジャン・ピエール・メルビルが考えたものだと、本人がインタビューで語っています。 孤独が深く、厳しいものとしてのサムライだと言う事でしょう。 追記3(2024.7.29NHK-BS 字幕・大城哲郎⇒追記2の翻訳のニュアンスが若干違う) ・当時アラン・ドロン夫人だったナタリー・ドロンは本作が映画デビュー。 ・ナタリー・ドロンの部屋を訪ねて来る記憶力のいい男はミシェル・ボワロン監督。 ・ナタリー・ドロンは、この後ミシェル・ボワロン監督の「個人教授」に出演して日本で人気が出る。
【笑顔無き、自身の殺しの流儀を変えない孤高の殺し屋を演じたアラン・ドロンのスタイリッシュな魅力炸裂作品。】
■恋人ジャーヌ(ナタリー・ドロン)にアリバイを頼み仕事に出掛けていく殺し屋・ジェフ。(アラン・ドロン)クラブの経営者を殺害し、現場を後にしようとしたその時、黒人歌手・バレリー(カティ・ロジェ)に顔を見られてしまう。 だが警察で行われた面通しで、なぜかバレリーはジェフが犯人であることを否定する。 ◆感想 ・灰色がかった硬質な映像と、最小限の音楽。そして、ニヒルなまでに、自身の殺しの流儀を変えない孤高の殺し屋ジェフを演じたアラン・ドロンが、格好良すぎる。 ー トレンチコートに、帽子。長身痩躯なアラン・ドロンの姿が印象的である。- ・資料によると、ジャン・ピエール・メルヴィル監督は、日本の侍をイメージしてジェフのスタイルを考えたそうである。 <抑制したトーンの中、警察に追われるジェフが地下鉄を巧みに使うシーンや、バレリーが演奏するバーに現れた時に、彼の拳銃には銃弾が入っていなかった所など、作品全体が醸し出す雰囲気が、格好良すぎる作品である。>
ジャングルの中の虎に似てサムライの孤独ほど深く、厳しいものはない‼️
アラン・ドロン扮するジェフ・コステロ‼️彼こそサムライである‼️目深にかぶったソフト帽、襟を立てたトレンチコートが虚無感を漂わせて何ともカッコいい‼️サムライですね‼️「武士道」の厳しいルールを自分に課しながら生きている彼は、常に深く熟考し、引っ切りなしに煙草を吸い、部屋の中でも決して帽子を脱がないような男‼️サムライですね‼️ジェフは孤独で無口で、暗い部屋に一人暮らし、小鳥一羽を同居人としている‼️サムライですね‼️常に死と対決しながら冷静に行動し、裏切られることはあっても裏切ることはなく、殆ど表情を変えず、落ち着いて相手を射殺するが冷酷ではない‼️サムライですね‼️わが道は死ぬことと知っている‼️本物のサムライですね‼️カラーなのにまるでモノクロ画面のような渋い色彩設計、セリフではなくジェフの行動のみで物語を語るジャン=ピエール・メルヴィル監督のスタイリッシュな演出‼️彼もまたサムライですね‼️他人を一切寄せ付けず、己のスタイルを貫き通して死んでいく殺し屋を、日本の侍のイメージとダブらせるなんて、フツー思いつかない‼️天才ですね‼️線路にかかった陸橋の上で、ジェフが金髪の男に襲撃されるシーンは何度観ても息を呑む素晴らしさ‼️サイコーのフィルムノワールの一本ですね‼️
かっこよさがかっこよさであった時代
ノワールである。黒いパイプ椅子にも型押しがしてあって、黒の多様性が興味深い。 そしてアラン・ドロンはパーフェクトな美しさだが、美しいものを美しいと真っ直ぐに発信し、見る側もそれをそのままに受け取れたんだなと思う。 (その後、容姿の端正な美は持て余されるものとなった気がするし、その結果としてパロディ化されたりしてーー泉昌之『かっこいいスキヤキ』を思い出してしまったのだーー無邪気にうっとりすることが難しくなったように思う。)
アラン・ドロンの孤独な殺し屋
1967年(仏/伊)監督:ジャン=ピエール・メルヴィル 孤独な殺し屋のアラン・ドロン。 ソフト帽にベージュのトレンチコート。 着こなしが完璧な上にその姿・お顔の美しいこと。 アラン・ドロンを堪能する映画でした。 ジェフ・コステロ(アラン・ドロン)は金で人殺しを請け負う孤独な殺し屋。 題名は「サムライ」ですが、誤解が海外にはあるようです。 サムライ(武士)は組織(主君とか藩に属する職業で、大義のためには命を捨てて戦うけれど、 殺し屋ではない。特に孤独な訳でもない・・・) ジェフはナイトクラブで《殺しの仕事》を果たして部屋を出る時、黒人のピアニストに 顔を目撃されてしまいます。 面通しでピアニスト(カティ・ロジェ)は嘘をつき、ジェフをかばう。 事前にコールガールのジャーヌ(ナタリー・ドロン)に、アリバイ工作を頼んでいたジェフ。 一旦釈放されたものの。 主任警部(フランソワ・ペリエ)は、犯人はジェフに違いないと確信して、 包囲網を引いて行く。 メトロの追っかけっこ=逃亡劇は、スリルがあります。 マンツーマンで警察官がマークする中、彼らを巻くジェフのカッコ良さ!! ジェフが車を盗む手口。 鍵束がネックレスのようです。 一個一個試して即、エンジンが掛かりスタート!! 盗んだ車を仲間のアジトに持ち込んでプレートを変えて、ついでに銃を受け取る。 と、かなり周到な仕事ぶり。 孤独なサムライの心を慰めてくれるのは毛色の悪い、声も悪いカナリアだけ。 この映画、カラーなのにほとんど色味がないです。 肌の色と車のライトが目立つくらいで、ほぼ無彩色。 会話も少なく、心の繋がりを断つジェフだけがポッカリと浮かび上がります。 しかし殺し屋の嗅覚は鋭い。 部屋に押し入ってきた殺し屋。 ジェフの首に銃を押しつける。 ジェフの目つきが瞬時に殺気立ちます。 目の前に肉塊をぶら下げられたドーベルマンのように、素早く襲いかかるジェフ。 流石の凄腕だ! この暴力=心底プロの殺し屋だと知ります。 ラストの展開は、覚悟を決めたのでしょうか? 孤独な男は最後まで、1人ぽっち・・・でした。
「愛と誠」の鳥のシーンはここからか・・・
刑事をはじめ登場人物がみな無表情で語るため、シリアスな行動にもどっぷりと入り込めるのですが、警部の勘が冴えすぎることにひいてしまいます。しかし、ハードボイルドさは秀逸!「俺の背後に立つな!」なんて叫びたくなるような(笑)。そしてラストも唸らせてくれます。
タイトル通り、侍をモチーフとしているのだが、偽証させたり暗殺したりでは、侍というよりは忍者や間者のイメージが強いと思うのですが・・・
アラン・ドロンの佇まいの素晴らしさ
アラン・ドロンのトレンチコートに帽子の佇まい、かっこ良いといったらない。 ストーリーとしてはこの時代のフランス映画独特の後味の悪さが残った。 アラン・ドロンの映画、冒険者たちと同じ後味の悪さ。
一匹狼の殺し屋の運命
アランドロン扮する一匹狼の殺し屋ジェフコステロは、ナタリードロン扮するジャーヌの所へ行ってアリバイ工作をした。ジャーヌとコステロは警察に呼ばれて取り調べを受けたが証拠不十分だった。コステロは、尾行を逃れ仕事の相手方に報告したところ警察に拘束されたため撃たれ腕を負傷した。警察からも組織からも狙われる事になったコステロの運命は? 追跡を繰り返す極めて地味なトーンだったが殺し屋の孤独感が出ていたし、何と言っても久しぶりにナタリードロンが観られたのは良かった。
フィルムノワールとはこれのことだと思います
冒頭に武士道の一節が出てくる。よく判らないが新渡戸稲造のだと思う。 外国人は、孤独と侍を結びつけて捉えている。日本での侍の位置付けとは少し異なっている──と思う。 日本で侍が描かれるとき、それは七人の侍のごとく多様だが、孤独のエレメントよりは、概して、秩序を重んじ義理がたく豪胆に描かれる。平生は穏健で、理想は久蔵の宮口精二の感じ。 日本人が侍のイメージを孤独とつなげないのは、おそらくメディアに孤独な男の話が少ないから──でもあるだろう。ふつう、しゃべらない男の映画なんて作ろうと思わない。 転じて、それをやっている映画には自負があるに違いない。フォレストウィテカーのゴーストドッグ、ジョージクルーニーのThe American、ライアンゴズリングのドライブ、フレッドジンネマンのジャッカルの日。孤独で寡黙な一匹狼──それらの基点となる映画がメルヴィルのサムライだと思う。 フィルムノワールという定義があり、それをよく判ってはいないが、個人的には、とても狭義な枠と捉えている。 私見としては、幸福、饒舌、陽気、人情、楽観などの属性を持った人間がひとりも出てこない映画で、何事にも動じない男が自律や掟に副って生きている。 かれは幸福にならないが、不幸にもならない。なぜなら悲劇臭を出さないのがフィルムノワールだからだ。死のうが生きようが、たんなるファクトとして置かれる。 哀感は多少あってもいいが、訴えるのはだめ。仲間や相棒はいいが、仲良しはだめ。女はいいが、情愛はだめ。ミッションを成し遂げるのはいいが、無償はだめ。生き残るのはいいが、ハッピーエンドはだめ。──それが私的認識のなかのフィルムノワールである。 すると誰もが聞いたことがあるこの定義が、ほとんど数作に絞られてしまう。本編はその筆頭だと思う。かえりみて、外国人の定義によって侍を教わったところは大きい。
アラン・ドロンを観賞する映画
この映画のアラン・ドロンは渋い、格好いい、スタイリッシュ。街の雰囲気も良い。 ただラストはあっけなくてエッとなった。 きっとわかる人にはわかる映画。 全体的な雰囲気は良い。
アラン・ドロンがカッコ良すぎる。警察と依頼人、双方から追われる孤独...
アラン・ドロンがカッコ良すぎる。警察と依頼人、双方から追われる孤独な殺し屋。そして女は彼の為にどんなリスクも顧みず偽証してしまう。 無茶な拘束、住居侵入しての愛人脅迫、下手くそな盗聴、集団尾行大失敗。警察の無能っぷりが笑える。 いろんな作品に影響を与えたのも納得の面白さ。よく考えてみれば話は穴だらけなのだが(笑) フランス映画嫌いの私が言うくらいだから間違いない。こいつは見るべき。
スタイリッシュさは確かに見事
評価の高いジャン=ピエール・メルヴィル監督作品。 観てみたが… 青灰色で統一された色彩やセリフ数の少なさ。そぎ落とされた作りに高い美意識を感じる。そしてドロンの美しさ。 わかる、わかるけども… プロの殺し屋として工夫もなく顔見られたり、警察の雑な盗聴や尾行など「・・・」というシーンも多し。長い地下鉄シーンとか必要? しかし唐突に来る銃の撃ち合いや狭い室内でのやりとり等は素晴らしい出来。ラストの幕引きもいい。 フランス映画らしさ(緊張感ある素晴らしいショットと割とどうでもいいシーンの混合)がある作品だなあという感想ですね。クールな犯罪映画の原点としては見事だと思いますが。
寡黙な殺し屋の静かな佇まい
KBS京都「ウィークエンド指定席」で鑑賞。
先日、カンヌ国際映画祭で名誉パルムドールを受賞し、「これで本当の引退」と発言したことで話題になったアラン・ドロンの主演作。恥ずかしながら彼の出演作を初めて観ました。
フレンチ・フィルム・ノワールの系譜に属する作品なので、主人公に待ち受けているであろう結末は、容易に想像がつきました。しかし、そこに行き着くまで、だんだんとヒリヒリやハラハラが加速していく様に手に汗握りっぱなしでした。この手の焦燥感が大好きなので、夢中になれました。
アラン・ドロンの静謐な佇まいに痺れました。傷を負っても自分で治療し、追い詰められていても、全然平気かのように振る舞う。これこそまさに痩せ我慢のハードボイルド。
殆ど台詞が無く、劇伴も少ない。静謐さが緊迫感を演出しているが故に、突然訪れる壮絶なバイオレンスに目の覚める想いがし、その巧みな緩急のおかげで終始引きつけられました。
※修正(2024/02/04)
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