ゴッドファーザーのレビュー・感想・評価
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コッポラの重厚な演出
総合85点 ( ストーリー:80点|キャスト:90点|演出:90点|ビジュアル:75点|音楽:80点 )
物語も登場人物も全くちゃらさがない。映画だからといって格好つけたわざとらしい演技・演出が無い。マフィアの世界の厳格な規則に沿って彼らの社会は形作られていて、そこに生きる男たちは背広を着こなし非合法な活動を行い組織を運営していく。「ルカは海の底にいる」という暗示があり、突然の殺しが行われる。
当時まだ32歳の天才コッポラ監督のその真剣な暴力組織の重厚な描き方の質が非常に高く、それ以前の犯罪映画とは頭一つ抜けているし、現在においてもこれだけ質が高く重厚で迫力のある演出のある犯罪映画もそうそうない。
そして物語はコルレオーネ一家の活動を描く。恩には恩で、裏切りや攻撃には粛清で答えて組織を大きくしてきた。冷静に状況を分析し厳格に対処する父ヴィトーは凄い迫力であるし、長男のソニーはすぐに感情を表し、堅気だった三男マイケルは父の才覚をそのまま受け継ぐ。彼らが組織をどのように引き継ぐかという家族の話でもある。三人とも素晴らしい演技であった。
何度も観ていると、マイケルが父親によく似ていて感情を廃して出来事に対して冷酷に状況分析と判断が出来る才覚が収まるところに収まったというのが、よりすっきりと理解出来てきた。
一回見ただけじゃ味わいきれない
マフィア映画の名作として知られるこの作品を初めて鑑賞したわけだが、配役が多く、字幕以外から感じとらなければいけないことも多くて、なかなか難解。しかしながら、解説を見た時には、なるほど!と思えるそのストーリーに感動した。キャスト全員の演技、フランシス・フォード・コッポラの演出、音楽、すべてがすばらしく、厳かで暗い雰囲気がひしひしと伝わってくる。再度鑑賞して、もう一度その素晴らしさを味わいたい。
何回でも観れる
何度観ても引き込まれる一大叙事詩
自分にとってのオールタイムベスト。
観る度に魅了され、その時の年齢や状況で様々なものが見えてくる。
一つ一つに意味のあるシナリオ、誰もが耳にしたことのある劇中音楽、作品そのものが伝説的。
ドン・コルレオーネ(マーロン・ブランド)の重厚感と思慮深さと時折見せる人間臭さに魅せられる。
そして息子マイケル(アル・パチーノ)が抗争のなかで苦悩しながら裏社会の住人になっていく姿に痛みを覚える。
どのシーンも素晴らしいが、やはりクライマックスは圧巻❗
洗礼式の裏で実行された凄惨な暗殺劇。
マイケルが本当の意味でゴッドファーザーになるための儀式として神々しく描かれている。
父ヴィトは最期までマイケルのことを案じ、申し訳なさを感じていた。
息子の才覚を認めながらも、これからの過酷な運命を憂いていたのかもしれない。
4.5
マフィアの映画の中では間違いなくNo. 1
数回観たが1回も感想を書いていなかったのでまた全部見直そうと思う。
あまりにも有名なので観たことはなくても、ゴッドファーザーという題名や愛のテーマは誰でも一度は聞いたことがあると思う。
物語は登場人物が多くて少し複雑だが、ちゃんと観ていれば、置いてきぼりをくらうことはない。
映画の雰囲気も明るさも色んな意味で暗く、マフィアの冷酷さを濃厚に描いている。
またビトー・コルレオーネとマイケルの2人のドンを中心に物語が進むのだが、この2人の変化が時々はっきりと現れるとき、毎回ハッとさせられ、胸がそわそわする。
特にラストシーンでマイケルがクレメンザ達にドンと言われて手の甲にキスされるところは異様であった。
どんな人でもこの映画を観ればマフィアのようなクールで落ち着き払い、威厳のある存在に憧れると思う。
また人望というものの本質が見えた。人望とはつまり「畏敬」であると思う。もっと簡単に言うと「いい人+怖い人」この2つのバランスをよく保てている人こそ尊敬され、かついい意味で恐れられるのだと思う。
1も2も、同じくらい好き!
初めてのシネマコンサートでの鑑賞、壮大さがさらアップ、圧巻だった。...
馬の首が衝撃的なスマートな映画。
見事な聖と俗の転倒
冒頭の結婚式のシークエンスは長い。この晴れの場は屋敷の屋外で行われ、屋内ではドン・コルレオーネが陳情を持ってきた客人の対応をしている。映画はその両方で起きていることを交互に映し出している。その陳情の内容は当事者の人生や尊厳にとって大きな意味を持つ話が行われているのだ。
結婚式は聖なる儀式だが、その後の披露パーティーはすでに俗人たちの楽しみに過ぎない。フランシス・フォード・コッポラ監督は、このような視点を提示しておいて、屋内で起きている陳情の数々にはむしろ神への祈りにも似た聖性を与えている。ファミリーへの忠誠と友愛という信仰心を持たない者には、そこへ入ることすら許されないのだ。
聖と俗。この対比を通常の観念を見事に転倒した形で映像として見せる、この結婚式のシークエンスで、マフィアの価値観に抵抗する観客との勝負はついた。
この冒頭に対応するかのようなラストのクライマックスに、教会での洗礼式と同時進行で敵対するマフィアの頭目を次々と殺害していくシークエンスがくる。
ここで敵の殲滅作戦を指揮するマイケル・コルレオーネ演じるアル・パチーノ本人は甥の洗礼式で、名付け親として聖性を帯びている。おおよそ俗人としてはこれ以上ないほどの聖性を身に着けているマイケルは、しかしその聖性に反することを彼の部下たちに実行させているのだろうか。
いや、ここでも結婚式と同様に聖と俗の観念の転倒が行われている。だからこそこのクライマックスは映画史に残るのだ。
俗人には立ち入ることのできない世界。ただのイタリア移民ビトーの息子マイケルが、マフィアの世界における神、ゴッド・ファーザー、ドン・コルレオーネという聖性を纏う儀式がここでは進行している。この視点を得た観客の目には、もはや教会での洗礼式など俗人の習慣に過ぎないものになるのだ。
しかし、この聖なる世界を生み出したものはことのほか素朴で、前近代的なものであることが映画では開陳されているのだ。いや、むしろ、素朴で非現代的なるものであるからこそ聖性を帯びるのだと言ったほうがよいだろうか。
マイケルがミゲルと呼ばれるシチリアでの隠遁生活は土俗性に満ちている。束の間の新婚生活、シチリアの貧しさ、これらを守るためにこそ聖なる力が必要なのだ。自身に至高の聖性を身に着けることを課したマイケルの、アメリカへ戻ってからの行動に迷いはないのはそのためだ。
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