生きる(1952)のレビュー・感想・評価
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わたしはそんな風に・・・ひとつ・・・生きて・・・死にたい。 いや、それでなければ・・・とても・・・死ねない。
生きることと、ただ生かされることは明確に違う。
役所で波風立てず、ただどうでもいい事務仕事をこなし、それなりの役職で定年の30年を迎えることが人生の最終ゴールなのか。生活の糧を得るためなら、空虚なことを空虚だと思わず、疑問にも疑問だと声をあげず、感情は奥底に封印し、ただ死んだような目でやり過ごすことが模範的な組織人の姿なのか。
同じような宣告をされたとき 「私の人生は何だったんだ。。」と後悔する場面を想像すると背筋がゾッとする。
「面白くない仕事やけど、家族のためにも定年までなんとかしがみつくか。 それなりの給料もらえるし。 目つけられるとやっかいだから、疑義も唱えずイエスマンでさ。。。」
こう思いながら過ごす日々は、ぜんぜん楽しくなかった。でもこれが賢い大人の選択だと思い込もうとしていた。 この状態でもし死んだら、自分は成仏できるだろうか。
いつまでも体の中にしこりのように残る映画だ。それも相当に熱いしこりで。
※意外にも、渡辺は中盤であっさり退場する。そこから通夜に参列した者たちによる回想で展開する。こういう斬新な構成やカット割など令和のこの時代でも全く古臭さを感じず新鮮味さえ感じる、実に面白い。「羅生門」を観た時も思ったが、黒澤監督が「世界の黒澤」といわれていることに、ものすごく腹落ちする映画である。と同時に、世界の映画人がこういう機微や面白さをちゃんと捉える感性であることを嬉しく思う。
タイトル無し
マーティン・スコセッシは「サイト&サウンド」という雑誌で13本映画を選んだ。中に日本映画は2本ある。1つ目は「雨月物語」、もう1つ目はこの「生きる」である。
2回目を見て、すごく感動した。再び志村さんの芝居に感動されたことだけでは無く、白黒映画の照明や脚本の特別な書き方を勉強した。動機→行動→結果、私は最初からずっとこの考え方だった。本作は物語の前半は動機がない主人公とその周りの無関心という辛さを感じて、物語のクライマックスで主人公の動機がやっと表した。その行動はどのように進んで行くのか、そういうことに期待しながら、突然結果を目の前に表した。まるで、「パルプ・フィクション」のように観客は自分の予想に進めると信じつつ、突然の意外な展開を出すことである。
その行動の描き方も非常に素晴らしいと思う。「市民ケーン」の全体と「人間蒸発」の前の一部のように、周りの群像を表して、主人公のことはだんだんはっきりになることだと考える。主人公のことを辿りつつ、主人公のことだんだん理解できるようになって、自分も影響受けて変わって来る。
チャイナタウンのジャック・ニコルソンはヒッピー派の映画の「イージーライダー」演じたことがあり、その中のひとつ「人は死ぬから存在する意味がある」セリフがあり、この作品と連想して、主人公の存在はどうのような存在か、考えてみれば、思うこそ故に存在することでは無い、意志を恵まれて存在すると考えている。人はエデンの楽園から人間の世界へ来るは何の罰なのか?その罰は自由ということだと考える。自由は何かを手に入る一方で何かを犠牲することだ。主人公は真っ逆に、「他人は地獄」のような人々の理解されてないという犠牲や死亡から、何か手に入る。人生の最後に自分の人生を思い出す意味は何か、主人公はそうでは無い。死ぬことから、自分の存在を証明して、自分の意味を見つける。
更に、イギリスの「生きる」と比べてみれば。芝居だけで言えば、黒澤明の方はもう完勝した。
昔観て感想書いて無かったシリーズ❤️🔥
重い。が、普遍的なテーマ。
「生きる」とは。人が何を以てして「生」とするか。時代によって考え方は違えども、人は考えざるを得ないのです。
そんな普遍的なテーマを描いた黒澤映画。役所勤めの余命短い哀れな中年男性が、試行錯誤と自分とは正反対な女性との出会いにより人生に意味を見出すお話。ストーリー構成が素晴らしく、後半の通夜の場面はモヤモヤしつつも見入ってしまいました。
主人公渡辺が見出した「生」とは。キリストを絡めたセリフがあったり、なんだかトルストイっぽいなぁ、と思って観ていたんですが、原作トルストイだそうで。とはいえ、その「イワン・イリッチの死」は読んだ事ないのですが…。トルストイは他の著書で「人間の生命は幸福への志向であり、その志向するものは人間に与えられているのである。」「もし人が、他の個人も生きていることを知らず、自分もやがて死ぬ身であることも知らずに生存しているとしたら、その人は、自分が生きていることさえ知らないのである。」なんて言ってますが、あー!もう!難しい!(笑)そんな難しい話を黒澤明がこの「生きる」にまとめてくれてます!
主演は志村喬。黒澤映画に欠かせない存在ですが、本作での演技は少しクセが強く、それがまた渡辺の性格や人生そのものを表現していて非常に引き込まれます。「ゴンドラの唄」を歌うシーンが2度ありますが、その対比が素晴らしい!あー思い出しただけで泣けてくる…。
この重いテーマを一本の映画に落とし込んだ黒澤明は凄い。それを演技で表現した志村喬も凄い。「生きる」を観たことは私の人生に少なからず、影響を与えるのは間違いない。
人間の悲哀がひしひしと伝わる
残りの力で
昔は告知しなかったのか。
患者の一人から聞いた顛末が自分の症状と合い、ビクビクしつつ受診したら
あの男の言った通りに話が進む。
医者もなんと言うか、患者のことを
考えてないようにとれる。考えていないのだ。
今と昔と患者にとってどちらがいいのだろう。
病名と進行状況、患者本人によるのか。
とにかく渡辺さんは自身の病名並びに余命も
確信した。
戦後数年経った日本、喧騒著しい。
自宅の2階には光男夫婦が同居している。
昔だからといって親を敬う雰囲気は皆無。
自分たち二人の生活の為に
父親渡辺さんの持ち金を算段する
あけすけな光男夫婦の会話、
ここに自分の居場所は無い。
二階から呼ばれて内心うれしく思い階段を
上がりかけたら、戸締まり頼むと、だけ。
床の間の小さな仏壇を開けて亡き妻の顔を
拝み亡くなった当時を思い出す。
兄が再婚を勧めるもまだ幼かった光男を
一人で育てて来た。
野球の試合、盲腸の手術、出征、など
思い出が浮かんで懐かしむ。
顔が見たくなりまた階段を上がりかけたら
電気が消され、しかたなく下りて来る。
布団を敷いて目覚ましをかけて寝る用意をして
いたら堪らなくなり、布団の中でむせび泣く。
あんなに可愛がったのに、
なついて来ていたのに、と。
職場の人間が、5日間無断欠勤の様子を心配して訪ねて来る。応対した家政婦は、毎日出勤して行っている旨話す。
驚く光男夫婦、伯父たちにも相談。
飲み屋で知り合った睡眠薬を欲しがる男と
一緒に無茶して一思いに死んでやれと
酒を飲みに来た。
今まで自分の金で酒を飲んだことがないって。
宴会や奢りばかり?
自身では呑みに行ったことがない、
それだけ節約して来たのか。
苦悩に満ちた様子で喉から絞り出すように
話す様には哀愁が漂う。
払拭するかのように、頭を切り替える。
何十年もかかって貯めた5万円を
下ろして所持している。
どう使おうか、わからない。
新しい帽子やパチンコ、、バー、ダンスホール
煌びやかな世界など遊興費に使ってみたが、
何をしても満足できない自分。
ピアノ奏者が客にリクエストを募ると、
「いのち短し、して。」と声を振り絞り叫ぶ。
「『ゴンドラの唄』ですか?」と確認。
渡辺さんは、独唱するのである。
大きな目はウルウルしている。
♪命短し〜♪
♪明日という日のないものを〜♪
♪今日はふたたび来ぬものを〜♪
ギクッ❣️
ストリップでの渡辺さんの新鮮な驚き、可愛い❤️
ダンスホール超満員❗️ぎゅうぎゅう詰め。
ホールを出て歩く渡辺さんの表情、
暗く暗く陰鬱な、連れの男も一歩引く表情。
家近くで女性部下に出くわす。
ただ忙しくて退屈な市役所の仕事を辞めて
職場をかわるので退職届を受理してもらいに
来た、と。家まで来る?
渡辺さんが帰って来た、若い女性と一緒に⁉️
女性部下からあだ名を告げられ、
穏やかな渡辺さんだから顔には出さなかったが
人のあだ名はおもしろく笑えるが‥‥。
色々廻りストッキングをプレゼントした。
付き合ってもらったお礼のつもりか。
パチンコ、スケート、映画。
鍋の席で、
ミイラのように働いて来たのに、
息子はその意を介してくれないとグチる
渡辺さん。
女性から、
「実は息子さんが一番好きなくせに。」
と指摘され躊躇しながら顔が一瞬ほころぶ。
渡辺さんは普通のいい父親だった。
やはり、光男に身体のことを相談しようか。
家で光男の心ない言葉に唖然とする渡辺さん。
5万円使わせられた、とか、
財産分与とか、あんた呼ばわりとか、
妻が可哀想、とか。(どこが?)
渡辺さんの驚愕した表情❗️
きっと一人で育てて来た光男と
今目の前で話す男とは
別人であると思ったに違いない。
役所では渡辺さんへの馬鹿にした噂や憶測。
しかし、
当人にとっては今までにないほど真剣であった。
女性部下も辛辣❗️
新しい職場に行き、
渡辺さんオドオドしながら誘うと、
「でも、今夜だけよ。」やっと付き合ってくれた。
喫茶店でたらふく食べ、
ご馳走に飽きたら、キツい言葉浴びせる女性。
渡辺さんのビックリまなこ。
職場にも家にも居場所は無い。
もがいても暴れても、
息子はどこか遠くにいる。
そんな気持ちになってしまった自分なんだ。
君(女性)はワシに親身になってくれるし、
活気がある。なぜ活気があるか知りたい。
それを知らなけれは、死ねない。
目に涙を溜めて訴える渡辺さん。
やる気になれる、ワシにも何かできるように
教えてほしい、と懇願。
ウサギ🐰のおもちゃ🐇可愛い💕
こんな物作っていても楽しいわよ。
目を潤ませ俯き考え込む渡辺さん、
(この時の音楽)
🎼ハッピー、バースデー♪
しばらくしてハッと目覚めたかのような表情。
遅くはない、遅くはない、
自分にもできる、自分にも何かできる
やる気になればできる。
渡辺さん久しぶりに出勤して、
諸々の事案について
市民課が主体にならんとと行動に移す。
実地調査し始めて5ヶ月、
渡辺さんは亡くなってしまった。
家での葬儀通夜の席、
助役に会いに押しかける記者たち。
助役と記者との攻防。
記者、
渡辺さんが真の功労者だ。
プロモーターだ。
地域の人皆言っていた。
渡辺さん、無視されていた。
公園で亡くなっていた。
あれは、市の上層部に対する無言の抗議❗️
ではないか、という噂が持ち上がっている。
助役、
凍死でもなく自死でもない。
渡辺さんには持病があり胃がんの内出血で。
引く記者たち。皆鎮痛な面持ちで帰った。
助役、やってられないよ、とグチャグチャ言う。 イヤな上司❗️
土木部長、助役にゴマスリ。
イヤなヤツ❗️
黒江町の婦人たちが焼香に来る。婦人たちは亡くなった渡辺さんが公園作りの功労者であることを知っている為、成し遂げてくれた功績を感謝しつつ今はいない現実にすすり泣く。
この婦人たちの様子に、
驚き顔を見合わせる光男と妻。
顔を上げられない助役たち。
伯母が促し伯父、伯母、光男、妻総出で、
婦人たちを送り出す。
居心地の悪そうな助役たちが帰り、
部下たちが車座に座り、
忌憚のない話が始まる。
役所には縄張りがあるんだ。
渡辺さん変わったな。5ヶ月前から変わった。
自分の死期を知っていたのだろうか。
雨が降り、水がはけない地面で衛生面から
付近の住民から苦情が出ていた土地。
その地に土を入れ児童公園にとの陳情。
市役所の数ある課を廻って廻って、
許可を得たり印を貰ったり連絡して貰ったり、
たくさんの過程を経る為に
誰にでも頭を下げて、下の者にまで頭を下げて来るから気の毒になってしまった。
渡辺さん必死❗️やっとの粘り勝ち❗️
究極は、アレだなぁ。
陳情団連れて来て助役室に入り楯突く
凛々しい姿。
しかし、渡辺さんが頼みに来ても、
「見送れ。」と言い捨て雑談に戻る助役。
渡辺さんの苦しそうな表情。
世の中闇で、渡辺さんは
仕事だけで身体を支えているみたいだった。
歩くのがやっとの渡辺さん。
現場で渡辺さんが倒れると婦人たちが、
助けに走り甲斐甲斐しく世話をする。
水を飲んだ時の表情、
工事を見る顔、
子か孫を見る眼差しだった。
当たり前。あの公園を作ったのは渡辺さん。
またこんなことも、
歓楽街を作りたい反対派に脅されるも、
怯まずに意思を通した。
反対派、おとなしく帰ったなぁ。
胃がんを知っていたと思えるフシがある。
あまりの各課の仕打ちに憤慨する係長に、
「人を憎んでなんかいられない、そんな暇はない。」
また違う人は、
「夕焼け美しい。ワシには(ゆっくりと眺める)そんな暇は無い。」
と言ってたな。
皆で役所の愚痴のオンパレード。
役所とは何もしてはいけないところだなぁ。
何も報われないなぁ。
渡辺さんの手柄を横取りした、‥‥
助役とはっきり言え❗️
お巡りさんが焼香に来た、
渡辺さんの帽子も届けて。
今までの職員たちの会話を聞いていた
光男の後悔の顔。
警察官は言う。雪の中だったが。
「あんまり楽しそうだったし、
しみじみと歌を歌ってられたから
邪魔しては悪いと思って。
帰るよう言わなかったんだ。💦」
気にするな、と帰ってもらう。
渡辺さん、
雪☃️降る中
ブランコに乗って、
♪命短し〜って
❤️心の中は満足、多分顔ニコニコ❣️
だったと想像する。
光男、帽子持って父が遺してくれた通帳書類も
持って何を思うのだろう。
しかし、市役所はいつもの日常。
愕然とする新人職員。
そして公園を見る、
上に上がろうとすれば何もしてはいけないのだ
。生きているのか死んでいるのかわからなくてもただただ日々を過ごすのだ。
それが市役所の仕事だ。
トボトボ帰る新入職員。
古き良き時代のファンタジー
お斎の席で渡辺の謎の行動が解き明かされていく
公開は1952年。
その7年前の戦時中であらば「生きる」意味はまったく変わっていた。
ガンの宣告は今では当たり前だが、つい最近まで
精神的な負荷を考えて本人に宣告をすることは稀だった。
死と向き合うことは人生の一大事だが、
戦争ではなく、病気と向き合って死に行くという、
当たり前の日常を新鮮に描いている。
まだ戦後復興の槌音が響く平和の時代を背景に、
登場した事なかれで無気力な役人や、裏社会と結びつく幹部。
平和の中にこそ芽生えた新たな社会の病理を描くことで
新たな時代の生き方を浮き彫りにした作品といえる。
今では見られなくなった自宅で催されるお斎の席上には
渡辺と最後の時間を共有した人々が次々と訪れ、
渡辺(志村喬)の謎だらけの行動が徐々に解き明かされていく。
同僚の役人たちが渡辺の生き方に絆されていく場面は、実に圧巻である。
渡辺が示した生き方。実は多くの日本人が共有していたといえる。
それが奇跡の復興とその後の高度成長をもたらした、
といってよいのではないだろうか。
音声が
1950年頃、市役所市民課課長渡辺は、勤務30年「忙しく退屈」に仕事をし、真面目で無気力な毎日を過ごしていた。そんなとき、自分が胃ガンであることを自覚する。彼は無断欠勤、知り合った作家と盛り場で放蕩、転職をしようとしていた部下の若いとよと出かけたりする。そして残りの時間で、自分ができることを。
ずいぶん前に観賞しましたが、音声がひどくて感動がそがれた思いがありました。今回は字幕で観賞、より深くしっかり感動できました。
そして最近イギリスのリメイク版「生きる LIVING」を観賞。文化の違いがわかりやすいです。当時の日本は、ガンの宣告が一般的では無かったですね。
序盤の市役所内でのたらいまわしのひどさや、病院で医者が待合室の患者と同じことを言うところは、黒澤明流のコメディのシーン。そして~命短し~と歌うところは、泣けてきます。
息子役は金子信雄だったのか、後の仁義なき戦いシリーズとは随分イメージが違います。今作の多くの俳優が、2年後の「七人の侍」に出演。合わせて観ると、また面白いと思います。
さすが、クロサワ。「生きる」という重いテーマが心に響く
全体のプロットがとてもうまくできていて、セリフやナレーション、場面展開もうまく最高級の脚本だと思った。特に後半の回想シーンで“生きる主人公”を描くところは、「いろいろな見方ができる」と観ている人に提示してから、「本当に生きるというのは、こうゆう姿を言うのではないか?」と考えさせるようになっていて、すごいと思う。
冒頭の「死んでいるも同然の主人公」の描き方、志村喬の力のない演技が上手かった。動かない役所という社会問題もリアリティをもって伝わってくる。「生きる」を伝えるために「死んでいる状態」を描いて、対比が際立つようになっている。
自分の運命を悟った主人公が、先ず享楽へ走るところも、きっかけに小説家を使う展開が自然でうまい。絶望した主人公が「楽しいことをしよう」というのはよくある展開だが、この『生きる』がその元祖なのかもしれないと思った。
主人公がこころを入れ替える場面もよくできていた。「活力にあふれ、まさに生きている若い女性」からヒントをもらうのだが、そのヒントが「なるほど。確かにそうだ」と思えるヒントで説得力があった。主人公が生きるという意味を必死に求めて、女性に顔を近づけつつ強い気持ちを訴える演出も良かった。
この映画のラスボスは、役所のトップの助役だろう。公園を実現するための最大の壁。門前払いのような扱いを受け、助役が他の客と雑談を始める場面は、こう言われたらであきらめない人はいないだろうと思わせる。それでも、低姿勢でありながら鬼気せまる表情で「・・是非・・もう一度ご一考を」と迫る。今は怖いものがない。ここで諦めたら、自分が生きた意味がなくなるという強い思いが普通はできないことをさせる。迫力があり、こころに響く場面だった。
さすが黒澤明
そりゃ既視感あるわな
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市役所の課長が、無気力で無為な人生を送ってた。
そんなある日、胃がんであることが発覚する。
しばし会社を休み、元部下の女の子と親しくなった。
その子は役所をやめて製造業につき、生き甲斐を感じてた。
その影響で、課長は職場復帰後、公園の建設に尽力する。
主婦が役所に提案し、たらい回しにされてた案件だった。
なお尽力する場面は直接は描かれず、課長はガンで死ぬ。
その後に関係者が思い出して語るような形で描写される。
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古過ぎる映画は見にくいな。どうも音声のバランスが悪い。
よく聞こえないので、TVの音量を大きくせざるを得ない。
すると大声やBGMが異常にうるさく、結構ストレスになる。
見始めて10分、何この既視感?って思ったんよな。
これ、去年映画館で見て、寝てもた同名映画と同じやん。
あれはこの作品をもとに、作られた海外作品やったんやな。
今回は寝ることはなかったが、やっぱりよく分からんかった。
っていうか音の問題があってあまり集中できてなかった感じ。
生きた屍のようだ
素晴しい
黒澤明監督の最高傑作のひとつ
初見は1980年3月9日、銀座・並木座で鑑賞。(2本立て)
その後も、映画館・VHS・DVD繰り返し観ている。
「生きる」は、黒澤明監督の最高傑作のひとつである。
物語は、ある男の「胃のレントゲン写真」から始まる。その男=渡辺勘治(志村喬)は市役所の課長をしているが、生きながら死んでいるような覇気がまったく無い。その彼が、医者に行くが、そこで他の患者(渡辺篤)から「軽い胃潰瘍です、と言われたら、そりゃ胃ガンだね」と勘治の診察前に話すが、果たして勘治の診察結果は「軽い胃潰瘍です」と医者から言われる。この場面、映画館(並木座)で観ていた観客は、爆笑🤣
のどかに皆で映画を普通に楽しんでいた。
余命短いことを知った渡辺勘治は、それからというもの生き返ったように行動力を発揮する。歓楽街に行ったり、小田切みきと一緒に過ごしたり、そして、市民のためになるようにと公演をつくることを生前最後の仕事として貫く。その姿は胸をうつ。
この映画できわめてインパクト強い場面が、映画途中で「渡辺勘治が死んでしまうこと」であり、主人公を映画半ばで死なせてしまう黒澤明の映画の作り方に感動した。
そして、後半は「死んだ渡辺勘治の通夜に集まった人々による追想」によって、渡辺勘治を描くという素晴らしい展開。
その追想場面の中でも、やはり「自分がつくりあげた公演のブランコで『ゴンドラの唄』を歌う渡辺勘治」が印象的である。
志村喬は、この映画と『七人の侍』は、甲乙つけ難い名演。
大好きな映画。
黒澤明監督 やはり名作 94点
個人的には「噛み合わず」、
個人的には「そこまでいいものだったかなあ」と。
古い映画ということもあり、全体的にセリフの音声がくぐもって低かったりボソボソ話してたり、声が割れてるかんじもあって聞こえづらかった、というか、8割くらい聞きとれなかった。
音量をあげればいきなり怒鳴り声になったり騒音になったり、小さくすればそんなボソボソなかんじで、見にくかった。
それでも高い評価のこの映画、なんとかがんばって見てみた。
中盤までの騒がしいくだりとか女性とのデートの部分も、話はわからんではないけど「んー、それでどーなるの?、残りの人生で盛り上がっていくんじゃないの?」って変に自分が期待してたからか、中だるみはしちゃったかな。。。
後半までそんなかんじで、いよいよ開き直って割り切って残りの人生を、と思いきや、そこで亡くなってしまいあれやこれやという回想の展開。
「あー、そういうことか」と思うも、あとは男連中が事後談義だけで「その顛末」を聞かされるかんじだったから、気持ちも入り込めないまま、その本人は亡くなってるし、で、なんか自分と噛み合わなかった。
終盤は、その事後談義も男連中の酔っ払いながらの侃侃諤諤の議論の流れ。
そのよさはわからんでもない、まだ話がわかるだけよかった、でも、正直、「そこまでいい」とは思えなかった。
ところで、その主人公の人が時に本田圭佑にも見えたり。
真の行政の姿とは‼️❓死に向き合う姿とは❓‼️
テレビの録画📺
想像していたより風刺色が強く、けたたましい音響と白黒の画面から陰惨な想いが駆け抜ける。
実は、真の行政機関の姿は、ミイラでは無く、亡者が支配しているのだ、古今東西。
映画は最下層の管理職の姿なので、さもありなん、でも、上へ行くほど権力欲の塊で、税金の無駄遣いどころか権力者の権威を保つものに過ぎない、最近ではコロナのばら撒き、万博、国、地方を問わず。
余談は置いといて、この映画の主人公は、生きる証として、人のためになる後世に残るものを最後の生き方とした、いろんな享楽は病にはてる者には何の意味もない、元気なうちには気づかない、因果なものだ。
主人公のように生きてるうちに証を残せたのは、なんとも果報者と言えるのかもしれない。
リメイクに比べてオリジナルは極めて残酷な視点であり、人生の悲哀をより感じさせる。
黒澤明の視点は冷酷で暖かい哲学なのかもしれない、娯楽ではなく、人生の指針を示す。
死に至る病の臥せる前に、より、形に残る、多くの人のための、仕事を、ささやかでも、したい、そう思わせられた、ありがとうございました😭
やっぱり名作
以前DVDで観て、今日NHKの地上波で放映していたので観ましたがやっぱりいいですね。
お葬式のシーンは『北の国から』の、杵次(大友柳太朗)のお葬式のシーンの参考にしたのかな?的な、黒澤監督の映画は世界中の映画監督のお手本になっていて本当に上手いと思います。
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