ケイン号の叛乱

劇場公開日:

解説

世界的なベストセラーでピュリツァ賞を受けたハーマン・ウークの同名小説の映画化。「乱暴者」のスタンリー・クレイマーの製作になる。「セールスマンの死」のスタンリー・ロバーツが脚色し、「コンクリートの中の男」のエドワード・ドミトリクが監督にあたった。テクニカラー色彩撮影は「ローマの休日」のフランク・プラナー、音楽は「勇魂よ永遠に」のマックス・スタイナー。出演者は「悪魔をやっつけろ」のハンフリー・ボガート、「雨に濡れた欲情」のホセ・フェラー、「二世部隊」のヴァン・ジョンソン、「深夜の告白」のフレッド・マクマレイ、新人ロバート・フランシスおよびメイ・ウィン、アーサー・フランツ、トム・タリー、E・G・マーシャル、アーサー・フランツ、リー・マーヴィンなど。

1954年製作/124分/アメリカ
原題または英題:The Caine Mutiny
配給:コロムビア映画会社
劇場公開日:1954年8月16日

ストーリー

1943年、プリンストン大学を卒業したウィリー・キース(ロバート・フランシス)は、ナイトクラブの歌手をしている恋人メイ・ウィン(メイ・ウィン)に別れを告げ、海軍少尉候補生として駆逐艦ケイン号に乗りこんだ。ケイン号では艦を切り回しているのは艦長デヴリースではなく、むしろ副官のマリク大尉(ヴァン・ジョンソン)であったが、間もなく艦長更迭が行われ、新艦長のクィーグ中佐(ハンフリー・ボガート)が着任した。ウィリーはクィーグのデヴリースとは正反対なキビキビした態度に感心した。魚雷の曳航演習中、クィーグが1人の水兵を叱責することに夢中になって指揮を忘れたため魚雷の曳航綱が切れてしまうという事件が起きた。この事故の説明のため、ケイン号はサンフランシスコに入港し、ウィリーはメイとともに休暇を過ごした。休暇が終わって艦に帰った乗組員たちは艦長が事件の責任を部下一同になすりつけたことを知った。クィーグへの信頼は一挙に失われた。ケイン号は直ちに機動部隊に加ってクェゼリン群島に向かったが、この上陸作戦でクィーグは満足に任務が遂行できず、大変な臆病者であることを暴露してしまった。インテリのキーファー大尉(フレッド・マクマレイ)は彼を偏執狂だといった。事実、クィーグは冷蔵庫の苺が紛失したといって乗り組員の身体検査をする有様だった。そんな矢先、艦は猛烈な颱風に遭遇し、艦長に指揮を委せていたら沈没も免れぬと思ったマリクは決然クィーグに反抗して艦の指揮をとり、皆の応援を得て艦を救った。艦はサンフランシスコに帰港し、マリクとウィリーは反逆罪で軍法会議に附されることになった。体勢は明らかにマリクたちに不利だったが、弁護人バーニー・グリーンウォルド中尉(ホセ・フェラー)は巧妙な質問でクィーグが偏執狂であることを証明し、2人は無罪の判決を受けた。ウィリーはメイと結婚し、颯爽と新しい艦に乗りこんだ。その艦長はケイン号の前艦長デヴリースであった。

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スタッフ・キャスト

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受賞歴

第27回 アカデミー賞(1955年)

ノミネート

作品賞  
男優賞 ハンフリー・ボガート
助演男優賞 トム・テューリー
脚色賞 スタンリー・ロバーツ
編集賞 ウィリアム・A・ライオン Henry Batista
作曲賞(ドラマ/コメディ) マックス・スタイナー
音響録音賞  
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映画レビュー

3.5アメリカ海軍の服務規定を題材に、軍隊のあるべき姿を追求した群像劇の真剣さと鋭さ

2024年7月26日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD、TV地上波

知的

ピューリッツァー賞を受賞したハーマン・ウォークの原作の面白さと主演ハンフリー・ボガートの演技が見所の海洋戦争映画。特にケイン号が台風に遭遇してから反乱罪で軍事裁判が開かれる後半の、各登場人物の立場や心理が浮かび上がる人間ドラマとしての見応えに感心もしました。今回約50年振りに見直しましだが、映画日記を確認すると初見の時は全く評価していません。軍組織において、例えばこの作品で主題となるアメリカの海軍服務規定の絶対的規範の重要性を理解するところまで想いが至らなかったと、我ながら想像します。やはり学生の気楽な環境にいては、大人社会の決まり事への実感が持てないのは必然でしょう。それも命を預けた軍隊における決め事です。艦長を解任して副艦長が代行する第184条が定められていても、あってはならない異常事態であるし、それがもし反乱罪に当て嵌まったらと考えると、これは非常に特別な題材を扱った事例研究でした。それが組織内の矛盾や理不尽なことを実生活で経験して大人になり、改めて映画の中とは言え、太平洋戦争中のアメリカ軍内部の服務規定に想いを寄せるなんて、高校生の自分から見たらなんて思うだろうか。この視点から、気になるワンカットがありました。

それは名門プルンストン大学卒業後、兵学校で優秀な成績を収めて実戦経験なく少尉になったウイリー・キースが、配属されたケイン号艦内を移動するシーンで、ザビを落としている水兵にある将校が声を掛けるー“サビを落としたら防水が効かなくなるぞ”ーの台詞です。経験による価値観のパラドックスの暗示になるカットです。ナイトクラブの歌手メイ・ウィンと付き合いながらも母親には従順な良家の好青年キースは、学校で教わった通りの模範を遂行しようとしています。しかし、老朽化した掃海駆逐艦の風紀は乱れ、規律のないように見える水兵たち。初めて面会したデブリース艦長は上半身裸の格好です。落胆するキースに対して、離艦するデブリース艦長に腕時計のプレゼントをする水兵たちの別れを惜しむ親しみの感情。この物語の始まりは、この兵士の自由を尊重するデブリース艦長とボガート演じる規律最優先の厳格なクイーグ艦長の対比から始まり、キース少尉からみた上官のあるべき姿の理想とは何かを考えさせます。しかし、規律に従って艦内の空気が引き締まると同時に、クイーグ新艦長の行動に綻びが見えてくるところが展開の面白さになっています。部下を叱責することに集中するあまり、演習でミスを犯すはめに陥ったり、また上陸作戦の護送では艦長として有るまじき臆病さを露呈します。極めつけは、冷凍苺の配給で見せる盗み食い犯人探しの執拗な追跡です。ハンフリー・ボガートが演じるから余計に感じる奇妙なシーンですが、遂に副艦長マリク大尉が通信長キーファー大尉と共に艦長の偏執症を提督に告発しようとするところまで行きます。ここでキーファー大尉がぎりぎりになって翻意するシーンが、最後の裁判劇で予想を超える展開を見せて、意味ある伏線だったことに気付かされます。

一端保留にした状態で台風に遭う場面が、最初のクライマックスと言えるでしょう。但し、当時の撮影技術の限界か、今日の視点から見ると苦しいものがあります。台風の激しい大波を受けるケイン号をミニチュア撮影で巧みに描写しますが、艦内の行き詰まる会話劇とカットバックされるとその陳腐さが引き立ってしまいます。艦船の傾きと一致しないのが映画の迫力として一つにならないのです。ここが唯一の減点になりました。しかし、その欠点を補うのが、軍事裁判で登場する弁護士バーニー・グリーンウォルド大尉の複雑にして軍隊を知り尽くした価値観です。証人喚問を受けるハンフリー・ボガートのパラノイア演技で裁判の決着を見せた後に、マリク副艦長の反乱罪無罪の祝賀パーティーの会場に現れ、小説家志望のキーファー通信長を責め立てるシーンが最後のクライマックスになっていました。クイーグ艦長の責任感と完璧主義からくる戸惑や不安を理解せず、馬鹿にして揶揄した士官に対して言い放つ台詞がー“艦長が好きだからじゃない、艦長が艦長だから従んだ”ーです。同じ部下の立場でひとり人間観察を得意とし、副艦長に告発を促し、いざという時には一人責任逃れに走り、裁判の席では嘘の証言までする。“ケイン号の座付き作家、狡猾なシェークスピア”と罵るのです。裁判がどうなろうと安泰の立場を巧妙に選択したキーファー通信長が最も非難されるべき人間というこのドラマの結末が、原作者ハーマン・ウォークの創作か、スタンリー・ロバーツの脚色のなせる技か、どちらにしても小説家の特質を辛辣に指摘して鋭いのは凄いことです。軍隊の上意下達の組織力と、駆逐艦という狭い空間に閉じ込められた部隊の結束強化を最優先にして、命を賭ける共同体のあり方を理解したグリーンウォルド弁護士の見識。キーファー通信長のような人物を嫌うのは当然ですが、このような癖のある人間を描けるかどうかが小説の良し悪しになるという事でしょう。

主演のハンフリー・ボガートは3年前の「アフリカの女王」でオスカーを受賞していますが、それに匹敵する演技力を見せます。スターの貫禄と性格俳優として巧さがあって、流石の存在感と再認識しました。次に優れた演技を披露していたのは、マルク大尉のヴァン・ジョンソンとグリーンウォルド大尉のホセ・ファーラーです。どちらも1950年代の中堅の名優ですが、この作品で見方が変わるくらい感心しました。役柄の良さもありますが、今回見学した収穫の一つに挙げたくなりました。惜しいのは、ビリー・ワイルダーの「深夜の告白」「アパートの鍵貸します」で好演していたフレッド・マクマレイの自己保身に長けたキーファー大尉の演技です。狡猾さを表情に出さない難役故の、もっと深い表現を要求したくなる人物像でした。後はお馴染みのリー・マーヴィンが若々しい姿を見せてくれることと、「十二人の怒れる男」「インテリア」のE・G・マーシャルの地味ながら安定した演技も印象に残ります。キース少尉のロバート・フランシスが、ジョン・フォードの「長い灰色の線」に出演していて、ジェームズ・ディーンより一つ年上のデビュウーまもなくの大抜擢を受けての主演扱いも、ディーンと同じ1955年に飛行機事故で亡くなっていたことを今回初めて知りました。ベテランから中堅、新人と幅広い俳優陣の観るべき演技が遺されています。

監督は「山」「愛情の花咲く樹」のエドワード・ドミトリク。特に際立つ演出力は感じませんが、この貴重な大作を手堅くまとめています。またこの映画化には制作のスタンリー・クレイマーの社会派映画の特徴を感じました。「真昼の決闘」「手錠のまゝの脱獄」「ニュールンベルグ裁判」「招かるざる客」と、噛み応えのある映画の名プロデューサーです。そして、この1950年代のハリウッドの戦争映画を特徴付けるのが、名匠マックス・スタイナーの音楽でしょう。場面に添った軽快かつ明朗なメロディーで、深刻なストーリーでも海軍の勇壮なイメージを保ちつつ、映像と密接にシンクロした映画音楽です。好みが分かれる映画音楽とも言えますが、私は嫌いではありません。

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Gustav

2.0旧日本軍よりは理屈が通じる組織ではあったものの…

2024年6月26日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

エドワード・ドミトリク監督作品としては
「ワーロック」位しか観たことは
なかったような気がするが、
軍艦における部下の反逆を描くという
「戦艦バウンディ号の叛乱」等にも共通する
内容の作品と知って初鑑賞した。

この映画、通信長大尉が自己保身のために
信念を曲げる経緯なども描かれたので、
一見複雑そうには見える内容だ。
しかし、
私には偏執症なのかは分からないが、
少なくとも船長は、
服装問題に気を取られての不適切艦船反転、
イチゴ紛失への行き過ぎた対処、
嵐の中での対応
等々で間違った指令を繰り返している人物
であることは明らか。
最後には真実にたどり着いたものの、
序列を優先するがごとくの
軍法会議の進捗には、
現代にも続いている誤った組織論を
感じるばかりだった。

また、主人公が誰なのかが明白では無い
ようなウエイトの置き方に、
自分の気持ちを誰に投影していいのか
分からなかったことも、
なかなかこの作品の世界に入りこむことが
難しかった原因だったかも知れない。

その関連では、主人公のようにも見える
新任少尉の成長譚にも見えないし、
彼の恋愛パートも主題とのリンク性も弱く、
むしろ全てカットした方が
良かったようにも。

総じて、邦画で軍隊内問題に迫った
「真空地帯」や「人間の条件」のような
非人間性や残虐性がまかり通るような
旧日本軍の組織内問題に比べれば、
当時の米軍内部はまだ理屈での判断を
活かせるレベルだったかも知れないが、
この映画の内容がピューリッツァー賞の
原作通りとしたら、
一人の人間性に原因を帰結させようとする
構図と、
その都度その都度の事例が
あからさま過ぎて、
原作自体が少し深みに欠ける内容
だったのではとの想像も巡った。

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KENZO一級建築士事務所

4.0海軍服務規程第184条

2024年5月7日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
ネタバレ! クリックして本文を読む
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こころ

3.5部下から不信がられる不安定な艦長

2024年4月27日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

ロバートフランシス扮するウイリーキースは大学を卒業し海軍に入隊し少尉としてケイン号に配属された。しかしケイン号は廃船に近い老朽船だった。ハンフリーボガート扮する規律を重んじるフィリップクイーグ少佐が新艦長として赴任し、キースは風紀係に任じられた。
ハンフリーボガート主演作だが、キースの恋愛物語もあったけど部下から不信がられる不安定な艦長だったね。

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重