軽蔑(1963)

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劇場公開日:2023年11月3日

軽蔑(1963)

解説・あらすじ

名匠ジャン=リュック・ゴダールがスター女優ブリジット・バルドーを主演に迎えて手がけた長編第6作。イタリア人作家アルベルト・モラビアの同名小説をもとに、ある夫婦に訪れる愛の終焉を、斜陽化の進むヨーロッパ映画産業の問題と絡ませながら描いた。

脚本家のポールは映画プロデューサーのプロコシュから、フリッツ・ラングが監督する大作映画「オデュッセイア」の脚本の手直しを依頼される。ポールと妻で女優のカミーユはプロコシュの自宅へ招かれるが、ポールが遅れて到着するとカミーユの態度はなぜか豹変しており、彼に対して軽蔑のまなざしを向ける。やがてポールとカミーユは映画のロケのため、カプリ島にあるプロコシュの別荘を訪れるが……。脚本家ポール役を「昼顔」のミシェル・ピッコリ、映画プロデューサーのプロコシュ役を「シェーン」のジャック・パランスが演じる。

巨匠フリッツ・ラング監督が本人役で出演。日本初公開は1964年。2017年9月にデジタルリマスター版が公開。2023年11月には60周年4Kレストア版で公開。

1963年製作/104分/G/フランス・イタリア・アメリカ合作
原題または英題:Le mepris
配給:ファインフィルムズ
劇場公開日:2023年11月3日

その他の公開日:1964年11月22日(日本初公開)、2017年9月30日

原則として東京で一週間以上の上映が行われた場合に掲載しています。
※映画祭での上映や一部の特集、上映・特別上映、配給会社が主体ではない上映企画等で公開されたものなど掲載されない場合もあります。

スタッフ・キャスト

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映画レビュー

4.0 カミーユその人を見よ

2024年4月19日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

ジャン=リュック・ゴダール作品。

ブリジット・バルドーがすごい。美の模型。
そしてあの軽蔑する眼差し。記憶に残り続けると思う。

本作はバルドー演じるカミーユと劇作家のポールの倦怠感漂う夫婦の話だが、映画製作についても軽蔑の眼差しを向けている気がする。
特に試写の時、映画プロデューサーのプロコシュが裸体に喜んでいる様を冷めた感じで撮っていることにその眼差しを感じる。
ゴダール自身も映画プロデューサーとの関わりや脚本直しの指示で自分の思い通りに撮れないときがあったのだろう。そんな実体験を皮肉めいたジョークで映画に昇華しているのだから素晴らしい。

またカミーユが軽蔑するのもすごいわかる。妻として特別視されないことへの傷つき。ポールよ、セックスへの心配じゃなくて、カミーユその人を見よ。

カプリ島の画も美しいし、観れてよかった。

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まぬままおま

4.0 ゴダール作品でも、分かり易い映画理論と斬新な感性で創作されたフランス映画の粋に魅了される秀作

2025年12月6日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル、TV地上波

知的

驚く

斬新

初見は18歳の時のテレビ見学でしたから、50年振りの再鑑賞になります。ヌーベルバーグの旗手にして映画の革命家であるジャン=リュック・ゴダール(1930年~2022年)作品の初体験は、変わった映画を撮る人のイメージを持ちながら、ある夫婦の倦怠期を扱った物語の内容が分かり易く、予想外にも好感を持ちました。映画日誌には、退廃的な映画に驚きつつ秀作と明記しています。それでもこの時期は、アーサー・ペンの「奇跡の人」ロベール・ブレッソンの「スリ」リチャード・サラフィンの「バニシング・ポイント」ビリー・ワイルダーの「あなただけ今晩は」ルネ・クレマンの「雨の訪問者」ジョージ・シートンの「大空港」と観ていて、唯一このゴダール作品には星評価を付けていません。この曖昧さを振り返ると、まだ映画の知識について未熟であると自覚していたからでもあります。初見の印象は、フランス映画のセックス・シンボルにしてコケティッシュな魅力溢れる女優ブリジット・バルドー(1934年生まれ)の美しい身体が堪能でき、原作者アルベルト・モラヴィア(1907年~1990年)という作家の存在を知り、名前だけは有名なドイツ無声映画時代の巨匠フリッツ・ラング監督(1890年~1976年)の素顔が見れて、「シェーン」の悪役で印象的だったジャック・パランス(1919年~2006年)の配役の意外性と、映画としての楽しみ方が色々と出来る事でした。そして、映画タイトルの軽蔑という言葉について、好きか嫌いかの価値判断はあっても、人を軽蔑するという概念をまだ人生で経験したことが無かったことです。

1954年に発表されたモラヴィアの原作は、夫婦間の好き嫌いが愛憎を通り越して軽蔑に至る過程の心理を表現したもののようですが、これに制作当時33歳のゴダール監督が共感し身につまされたのかは、偶然にも2年前結婚したパートナーのアンナ・カリーナと翌年の1964年に離婚した私生活から想像するしかありません。それでも長編デビュー作「勝手にしやがれ」(1960年)でも主人公のミシェルとパトリシアが延々と噛み合わない会話を交わし、“見つめ合っても結局無意味”な男女を描いていて、ゴダール監督の特徴の一つと印象に持ちました。この作品でも脚本家ポールと妻カミーユがアメリカ人プロデューサープロコシュの誘いで別荘のあるカプリ島に行くか行かないかで揉めて、最後は喧嘩からカミーユの口からポールに軽蔑の言葉が浴びせられます。ローマのこのアパートシーンが全体の約三分の一の30分を占めているのも、ゴダール監督が意図したものに間違いありません。

先ずタイトル表示のないナレーションでキャスト・スタッフを説明するプロローグの斬新さに驚きました。ゴダール監督の解説好きが窺えます。ヌーベルバーグの精神的父親と言われる映画批評家アンドレ・バザン(1918年~1958年)の言葉 “映画は、欲望が作る世界の視覚化である” と述べ、「軽蔑」はその世界を描く、と観客に直接語りかけます。20歳で批評家デビューし、その後バザン編集の『カイエ・デュ・シネマ』に執筆したゴダール監督は、批評家として古今東西の映画を沢山浴びた映画人であり、その知識と解釈は映画史を熟知したものであったと想像します。カメラのレンズ側を観客に向けて本編が始まる、この大胆さを支える自信には、畏敬の念を抱かざるを得ません。そして全裸で横たわるカミーユが身体の脚から顔までの一つ一つの部分を言葉にして、ポールに好きか素敵かを尋ねるカットのフランス映画らしさ。それは当時29歳のブリジット・バルドーのヌードだから表現できたことかも知れません。均整の取れた美しい肢体が清潔感あるエロティシズムを感じさせ、少しも淫靡さがなく、淀川長治さんがこのシーンを褒めていたことが想い出されます。女性美崇拝のフランス映画を代表するシーンです。続くイタリア国立撮影所チネチッタのスタジオからプロコシュが登場するカットのフレーミングの奇抜さもいい。斜陽のイタリア映画界に参入したハリウッド大手の配給会社のプロデューサーの横柄さと自信に溢れた態度から、プロコシュの人間性が分かります。まるで舞台に立って演説する演劇人のようで、ポールと通訳のフランチェスカは、頭だけしか見えない観客の扱いです。プロコシュは映画興行面からフリッツ・ラング監督の演出に不満があり、色っぽいシーンを入れるようポールに脚本の手直しを要請する。ここで最初のバルドーのヌードシーンの意味が明かされる諧謔たっぷりなゴダール演出の理論的映画解説の面白さです。体格の良いプロコシュが格言をまとめたミニミニ手帳を取り出して、“己の無知を知ることは優れた精神の賜物”と自分に言い聞かせるように語るのも、皮肉が効いている。

古代ギリシャの叙事詩『オデュッセイア』の英雄オデュッセウスと妻ペネロペの物語は、古代遺跡から発掘された彫刻のモンタージュと僅かに役者が登場する撮影シーンで全容は分かりません。来年公開されるクリストファー・ノーラン監督の超大作で勉強するとして、この映画の素晴らしさは、撮影のラウール・クタール(1924年~2016年)の映像美にあると深く感銘しました。カメラワークの素晴らしさは、プロローグからラストカットまで統一された美学があります。今回クタールの監修のもとに修復された4Kデジタル化の映像の色彩の配置とその色合いの美しさは見事です。プロコシュのスポーツカーの赤、フランチャスカのオレンジ色の服も上品に、全体としては赤と青と白のコントラストが際立っています。ローマのアパートで交互にお風呂に入って、カミーユが赤のバスタオル、ポールが白のバスタオルを身体に巻く姿が、古代ギリシャの彫刻を思わせる見せ方も面白い。そして、最後の舞台となるカプリ島のロケーションの美しさと、プロコシュの別荘のモダンで独創的なデザイン。屋上が平面で、そのまま海につながる景観の素晴らしさ。この別荘で修復不可能になったポールとカミーユの最後のシーがいい。一度画面から消えて海に泳ぐカミーユに、うたたねするポールを俯瞰で捉えたカットが、世界を分けた二人を映像で語ります。目覚めたポールにカミーユが遺した置手紙のモノローグが重なる演出が巧い。洗練された演出とカメラワークです。

フランソワ・トリュフォーやゴダール監督と多く組んだラウール・クタールのカメラワークと色彩の美しさに、これもトリュフォー作品で音楽を担当したジョルジュ・ドルリュー(1925年~1992年)の音楽が合っていました。古代ギリシャを想像させる悠久の静かな時の流れのようなメロディが、カミーユとポールのすれ違う意識の軋轢を、普遍的男女の人間模様として伴奏します。それも一つの曲を何度も繰り返しながら、不思議とくどく感じません。このような映画音楽の使い方があるのに、いたく感心してしまいました。ストーリーは悲劇で終わりますが、ゴダール監督の表現力の豊かさとスタッフの充実度、主演バルドーの女性美に改めて魅せられた嬉しさが勝りました。フランス映画らしい感性の秀作と思います。

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Gustav

3.5 男と女は別れるものだし

2025年10月2日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

難しい

愛は思い込み。愛は幻。男と女は別れるものだし。そもそも愛って何?恋愛、性愛、慈愛、どれも愛なのかもしれませんが、それぞれ意味合いが違いますしね。

ゴダールのカメラが美しい。けれど、私はまだ愛を理解できていません。恋愛適齢期も過ぎてしまったし。ラストが何とも。

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ミカ

2.5 映画終活シリーズ

2025年3月9日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

単純

1963年度作品
バルドー作品見たさで、鑑賞しましたが
この時代のフランス映画の傑作(フェリーニ、ゴダール、トリフォー作)のよさ
まったくわからん

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あきちゃん