クレイマー、クレイマー
劇場公開日 1980年4月5日
解説
ダスティン・ホフマンとメリル・ストリープが夫婦役で共演し、79年度のアカデミー賞で作品賞、監督賞を含む5部門で受賞したファミリードラマ。毎晩深夜に帰宅する仕事人間の夫テッドに愛想を尽かし、自分自身を取り戻すために家出した妻のジョアンナ。その翌日からテッドは7歳の息子を抱え、仕事と家庭の両立に励むが、家出から1年後、ジョアンナが息子の養育権を主張し、テッドを提訴する……。監督・脚本はロバート・ベントン。
1979年製作/105分/G/アメリカ
原題:Kramer vs. Kramer
スタッフ・キャスト
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2022年6月24日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
家庭を顧みない夫が妻に出ていかれ、親権を争うことに。
息子と二人になってしまい、日々を過ごすうちにお互い距離と愛情が大きくなる。フレンチトーストを作るシーンとか朝の何気ないシーンとか、自転車に乗れるようになるシーンとか。ひとつひとつのシーンが微笑ましく、可愛らしく、大切な時間なんだと、そしてその生活も親子で成長していくんだと思えるそんな映画だった。
ラストは意外な展開だけど、余韻を残す感じが素敵でした。
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突然妻が家を出て行ってしまった後の、テッドの料理の適当さ具合がとてつもなく心配になるレベルだが(笑)、最後は息子と息ぴったりにフレンチトーストを作るシーンは素晴らしい。
勝手に家を出て行って、ビリーを愛しているわ!私が育てる!と言い出す妻に少々イライラする。妻側のストーリーがもっと見えれば意見が変わるかもとは思うが、生活に不満があったにしろ正しい順序を踏まず勝手に出て行った責任は重いと思う。
今まで仕事一筋だったテッドがしっかり子供と向き合う姿が不器用ながらも微笑ましい。いろいろ雑なところもリアルで良い。(服のたたみ方テキトー、ご飯そんなので大丈夫か?!)
仕事をクビになり速攻で面接を受けに行き、パーティーの中で死んだような顔して椅子に座ってる姿が面白い。受かった時は一緒にヤッタネ!!!って心の中で思いましたね。ガッツがすごい。
何のとんでもストーリーでもないし、どんでん返しがある訳ではないけれどストーリーに入り込める。繰り返される日常の中で徐々に親子の距離が近づき、父親も息子も少しずつ変わっていく、その絶妙な演技があってこそ。
子供が裁判に巻き込まれるなら上訴はしない、と即答するテッドがとても良かった。フレンチトースト、アイスクリーム、ケンカからの仲直り、上司との会話、ママ友との交流、病院へダッシュ。印象的なシーンがとても多い。
二人ともビリーを愛しているだけに、ビリーが不安そうにしている姿を見ると心が痛くなる。
2022年5月20日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館、TV地上波
女性の自立と共に男性が享受してきた社会的地位の瓦解がマスコミで話題になる時代だ。そこで黙っていられなくなった夫たる男性が、何処か惨めに見えるのも今のご時世ではないだろうか。そんな不満を持つ男性諸君に捧げる映画として、このアメリカ映画は感動と同情を得て、アカデミー賞では作品賞を受賞し、アメリカ社会から10年遅れのこの日本でも大ヒットしている現状は面白いと言えばおもしろい。しかし、そんな単純な見方だけでは、この脚本家出身の映画作家ロバート・ベントンの秀作は済まされない、もっと奥深い内容を持っている。それは、女性の権利と男性の権利の相互対決といった自己主張の言い争いに止まらず、人としての生き方の問題として扱っているところが、この映画の大人たり得ている一端である。ただし、映画の最初に妻の一方的な家出を物語の起点にしている為、女性の自立に説得力が無く、それだけ夫に同情が行くような物語の設定になっていた。家出前の夫婦の実態を敢えて説明しない作劇は、、男性側の立場を貫いている。これが成立した理由は、何といっても妻役のメリル・ストリープの演技力によることが大きい。単なる我儘ではない、苦しんだ挙句のやむにやまれぬ家出だったことを見事に表現していた。ダスティン・ホフマンとストリープの夫婦役に違和感があるにも拘らず、互角の演技力で乗り切っている。キャスティングの妙味と言えよう。またベントンの演出の、全編簡潔で明快なリアリズムでマンハッタンに住むサラリーマン家庭を描いているリアリティが、過度のドラマツルギーを排除して、物語の本質を描き出す説得力を高めている。意図的に情感を抑えて、リアリティだけで押し通した映画の模範と評価出来よう。
この映画において最もショッキングなことは、夫が仕事に夢中で家庭を等閑(なおざり)にした結果、離婚することよりもはるかに、子供をどちらが引き取るかを法の判決で持って決められるという、一家庭内の私的な問題が社会の法律によって左右されることだ。他人同士が夫婦になる意味では当たり前なのだろうが、改めて気付かされる。裁判で夫婦が弁護士に相互に詰問されるところは、真に痛々しい。夫婦間では相手を傷つける為の発言ではない言葉が、そこでは意味を履き違えられた武器になってしまう怖さである。そこには夫婦生活の真実は語られない。しかし、映画の結末は、子供を育てる父親の苦労から母親の本音の部分を温かく見詰めて、父と母と子のホームドラマに転化させている。この感動的なシークエンス作りは、適切と言っていい程に中庸を得た上手さであった。新しい感覚のリアリズムによる、現代人の夫婦の在り方を模索して観る者のこころを捉えた、この社会派映画の存在価値は高い。子役のジャスティン・ヘンリーの自然な演技、ダスティン・ホフマンの演技の巧さ、特にメリル・ストリープの演技の素晴らしさと共に。
1980年 4月11日 丸の内ピカデリー
40年前は、アメリカ映画の新作を観れば10年後の日本社会が予想できた。21世紀はそのタイムラグが短くなり、現在はインターネットの普及により殆ど無くなりつつある。記憶にあるのは20代の頃、映画からではないが、アメリカの女性へのアンケートで、モテる男性の条件に料理が出来る項目が上位にあって驚きつつも、自分も料理を覚えないといけないと思ったことがある。中学時代は自分で学校の弁当を作っていたし、冷蔵庫や電子レンジが家に初めて来た時は説明書の料理レシピを参考にアイスやグラタンなどを作っていた。少しは出来たが、結婚して休みの日にやるようになって、定年後の今では平日の夕ご飯作りを苦も無く担当している。私の年代の上の男性は仕事100点家事0点でも許されて、いまの40代以上の年代は仕事100点家事50点が要求され、現在は仕事も家事も100点でないと理想の旦那さんには成れない。勿論一般サラリーマンの話で、職業や収入により差があるであろう。それでも今の若い男性には同情する。会社時代は、よくアルバイトの男子大学生に、アメリカ映画の新作を観ることと、兎に角料理を覚えることを勧めていた。
映画を観て来て得た知識に、男女の性差がある。この映画の子供は男の子だが、大概の夫婦間の力関係は子供の性で判断できる。亭主関白の家庭は女の子が多く、かかあ天下は男の子が多い。女性の男性的な面と女性的な面の割合を観察すると、何となく生まれてくる子供の性が分かって来た。親戚の子供の殆どを当てている。私も子供が生まれる時に、妻には男の子と断言していた。メリル・ストリープが演じた女性は男性的な仕事人間が合っている。家事と育児に追われて解消できないストレスを抱えていたのであろう。この映画を参考にして私も、子供がある程度成長してからも妻には仕事をする事を勧めた。幼稚園や保育所に行くまでの子育てをする女性は、やはり大変だと思う。映画からは、色んな事を教わる楽しみもある。
2022年4月25日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
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初めての鑑賞
家庭を顧みない、仕事人間の夫
自身が打ち込める仕事につきたいが、夫の理解が得られず不満の妻
これ以上の結婚生活は無理と、一人で家を出る妻
その後、子供の親権をめぐって裁判で争う、元夫婦の物語
自分は両親の離婚、親権争いを経験してるので
大人の自分勝手な言い争いに見えてしまった
置いて行かれた子供から言わせれば、母親を選ぶ理由は無いです
理由はどうあれ、捨てられたのですから
一度はあきらめた子供の親権を取り戻したい母
これからも自分が育てていくことを望む父
裁判に敗れ、子供を元妻に引き渡す日
全然料理ができなかった父が、息子との最後の朝食を手際よく作るシーンは
たしかに胸に刺さった
40年以上前の映画に今さらだが
奥さんに家出された夫が、仕事と子育ての両立に奮闘する物語
のほうが良かったのではないかと思う
最後のシーンは謎が残った
母は子供をあきらめた?
この家に戻ってやり直すようには見えなかったが・・・
見る側にラストをゆだねたのかもしれないが
何のための裁判だったのだろう・・・・
自身、あるいは両親でもいいが
全く離婚の経験がない人間が見たらいい作品かもしれない
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