キリング・フィールドのレビュー・感想・評価
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まさに今のガザ地区か?
フィラデルフィアのゾンビ街
これは過去の話ではない
言葉がない‼️
初めて観た本当の戦争映画
友達に誘われて一緒に観に行きました。ショッキングでした。
戦争映画と言えば、ランボーやフルメタルジャケット・地獄の黙示録等、兵士目線での映画しか観た事無かったのですが、市民目線でここまで恐ろしい戦争の実態を見せつけられたのは初めてでした。
恥ずかしながら「カンボジア難民」という言葉は当時でも何度も耳にした言葉でしたが、この映画で列をなして逃げ出してる大量の市民の映像を観た時に初めて「あ、これがカンボジア難民か・・・」と実感しました。
ポル・ポト率いるクメール・ルージュ、原始共産制の狂気を見事に描いた作品だと思います。
それ以降「共産主義」に対する嫌悪感はこの映画で固定された気がします。
しかし、共産主義だけでは無く、戦争にはいつもこの様な悲劇が付いてくるという事も頭に残りました。
軽々しく「中国と戦争したら」などと言葉に出して言う人も少し考えてから発言した方がいいと思います。一般市民が戦争に巻き込まれる恐ろしさをこの映画で知っておいて欲しいです。
今も世界中で繰り広げられている戦争の悲惨さを実感させてくれる感動の実話!!
カンボジアの悲劇
1973年のカンボジア。サムウォーターストン扮するアメリカ人記者シドニーシャンバーグは、カンボジアに着くやいなやカフェで米軍の誤爆攻撃を受けた。ハインSニョール扮するカンボジア人助手ディスプランとともにクメールルージュが支配した取材していた。外出禁止令、送信機破壊などの中で、プノンペンが陥落すると大虐殺が起こる可能性もあった。記者でもあるプランも決断が迫られた。
2019年にカンボジアを訪れたが、アンコールワットでも戦火の跡が見られた。今では日本語学校で日本語を覚えて日本へも研修生を送れるくらい平和になったのだが、ポルポト時代の悲劇はカンボジアにとって大きな痛手となったであろう。この映画は、カンボジアの悲劇を良く伝える貴重な物だと思う。また、決死の覚悟で取材した記者の勇気を讃えたいものだ。
カンボジアの悲劇を忘れるな
80年代前半の制作された映画だが
古き良き東南アジアの風景が見れて
それだけでもいい映画だなと感じさせてくれた。
70年代前半に起こった
カンボジアのクーデターと
その後に起きた
クーデター指導者の暗愚的政策は
国そのものを滅亡させるほどの蛮行であったことが
後年明るみになり
ヒトラーが行ったユダヤ人虐殺と双璧をなす
人類史上でも類をみない
残虐行為だった
この事実を、多額の予算をかけ出来るだけリアリティを持って映像化できた今作です
カンボジアという国が
クメールルージュを追放して40年経っても
浮き上がれていないほど
ズタズタに解体されてしまったツケが
今になっても、これ以上に評価されていないこととリンクしています
評価される人によっては
カンボジア語を字幕化していないことで
不要にカンボジアの旧体制を悪と見なし
偏りがあるというと言われていますが
内容の掘り下げよりも
客観的風景の羅列で十分であり
ココの掘り下げを、やり過ぎると
情報過多になり
カンボジア革命のドキュメンタリー風フィクションに変化してしまうので
この程度の触れ方で、とても良いと思います。
育ち方
革命思想の成れの果て。学校での洗脳教育や子供による処刑の様子など左...
目をそらしてはならない
軍事大国に踊らされた悲惨な現状を発信する為、活動を続けた米ジャーナリストとカンボジア人通訳の実話に基づいた作品。
これって美しい戦場の友情映画ですか?
公開当時、映画館で鑑賞したが、虫酸が走って怒りが収まらなかった。
“敵”=クメール・ルージュのセリフに字幕が付かないのは何故なのだ?
“征伐されるべき”共産国の兵士には字幕を与えず、訳のわからない言語を喋る蛮族として観客の敵意を煽る、恐ろしい扇動映画だと思った。
相手を意思の疎通の出来ない存在=非人間だと思っていれば、命を奪っても平気だよね。
「丸太」、「鬼畜」、と思わせて彼らの話す言葉を「敵性語」とレッテルすれば呵責なく銃剣を突けるわけだもの。
“カンボジア人でありながら白人記者と仲良くなったまことに感心な現地人の物語”、ってことですね?
映画館の出口では、観客たちが我先にと感動を模造紙に書き綴っていた。
僕は
「なぜカンボジア人のセリフには字幕が付かないのですか?彼らも人間ではないのですか?非道い映画だ」と書いてその場を出た。
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沖縄の県立平和記念資料館に行ったとき、沖縄戦の最中に日本軍が出した通達文が展示されていた。命令書だ。正確な記憶ではないがほんの数行の文言
「而今より琉球語を用う者は間諜として処断す」
と書いてあった。
何を喋っているのかわからない相手を、軍隊は非常に恐れて嫌うという実例だ。
まさにキリング・フィールドだ。
BS12字幕版鑑賞。 カンボジアって昔はどえらいことになってたんで...
カンボジアとは・・・ジャーナリストとは・・・
これこそ本当の、真の意味での反戦映画だ
前半はカンボジアに取材に来た米国人記者を主人公に、後半は彼の助手を務める現地人記者を主人公に物語が進行する
米国人記者は、米国の横暴、米軍が現地にもたらしている悲惨な状況を正義感を持って報ずるのだ
だがそんなものは偽善だ
手柄が欲しいだけだ、念願通り賞を受けた時に仲間からそれを指摘されるのだ
家でへこんで見るビデオのニュースでニクソン大統領がカンボジアへ関与しない政策つまり最後まで責任を持たないことを誇らしげに説明するのを見て、初めて自分も同じだと気がつくのだ
彼は米国のパスポートの威力でブノンペン最後の日に脱出したのだ、現地人の記者が逃げ遅れる危険を犯かさせてまで
つまり現地人記者の生命を手柄の踏み台にしたのだ、彼は結局のところ現地人だと突き放していたのだ
そして見捨てられた現地人記者が見ることになるのが、題名のキリングフィールドだ
後半は毛沢東主義者すなわち中国共産党の手先が彼の祖国を中国の文化大革命のやり方で地獄に変えたその有り様を映像で存分に見せる
まさにカンボジア全国土がアウシュビッツにも匹敵する地獄になる、有名な人骨が見渡す限り広がる湿地帯、子供を両親から引き剥がし、共産党が子供を育て洗脳した結果、子供が大人を殺す社会、教師、医師、外国語を話せる知識人を殺戮する事が正しいとされる社会
その有り様を活写する
つまり中国で行われた文化大革命を徹底した社会がどういうものかを我々に見せつけるのだ
前半と後半の対比により米国も中国もベトナムも等しく帝国主義的である現実を正しく偏向のない視線で捉える
資本主義国も共産主義国も変わりはない
自国の都合で動くのだ
他国の干渉を実力で排除できないカンボジアの無力さ憐れさ、惨めさをえぐり出しているのだ
ラストシーンでジョン・レノンのイマジンが流れる
これは戦争のない社会を作ろうという歌だ
しかし本作を見終わった我々にはむしろ痛烈な皮肉に聴こえるのだ
なんたる夢想だ
ジョン・レノンはニューヨークのコンドミニアムに住んでお気楽に歌っているだけだ、米国人記者と同じだ
銃口の前の暴力に単なる夢想は全くの無力であり、むしろ害毒でしかない
暴力に屈服されるしかないのだ
その結末はキリングフィールドだ
本当の反戦とは、理不尽な暴力を実力で抑止し阻止できる力があることだ
それが無ければ平和なぞ夢想に過ぎないと圧倒的な映像の力で本作を観るものに教えてくれる
「ジョニーは戦場に行った」のような身体的恐怖を煽っただけのあざとさは本作にはない
現在のカンボジアはこの恐ろしい時代を克服して復興をしてきている
それは本作のラストシーンで写される、洗脳から逃れ生き残ったカンボジア人の子供達が成し遂げたのだ
彼らは今50歳代になって社会の中核を成しているはずだ
本作撮影時にはそうなる事を願って子供達を撮影したものだろう、そう思うと胸が熱くなる
他国の干渉を排除できなければまたこのような運命はこの国だけではない、日本もまたこのような運命に陥る危険があるのだ、他人事ではない
戦争するくらいなら殺されようと繁華街で歌ってビラを撒く団塊左翼老人にキリングフィールドに連れ去られてはならないのだ
反戦教育として学校で高校生に観せるべきものだろう
カンボジア内戦、クメール・ルージュ(ポルポト派)の悲惨さをカンボジ...
カンボジア内戦、クメール・ルージュ(ポルポト派)の悲惨さをカンボジア人ジャーナリストとアメリカ人ジャーナリストの友情を軸に描いていく。
まず、ポルポトが虐殺したのは知っているものの、そこに至るまでの経緯や対立構図などが分かっていないとこの話はなかなか入ってこない。
ポルポト兵士はまだ思想的に純粋な10代ばかり。社会を見てないだけに洗脳するには容易いことなのだろう。
経済援助が打ち切られることを見越して、地方で農業させられている人々。その人々に紛れ、カンボジア人のプランはひっそり生活するが、うまくすり抜けながら逃れて隣国へと脱出し、アメリカ人ジャーナリストのシドニーと劇的な再会をする。
日本人の平和ボケを再確認させられた。
カンボジア内戦の映画
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