悲しみよこんにちはのレビュー・感想・評価
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原作における主人公の繊細な心理描写には遠く及ばず…
いい歳をして、
ゲーテの「若きウェルテルの悩み」
ジッドの「狭き門」
ヘッセの「車輪の下」
そしてサガンの「悲しみよこんにちは」
を悩める若者シリーズとして
読書した後、
かつて「悲しみよ…」は映画で観た記憶が
あったので改めてレンタルして再鑑賞した。
4作品共に、主人公の未熟で独りよがりの
観念的な思考という共通項を
原作には感じたが、
特に「悲しみよ…」では、
そんな観点だけに留まらず、
自由と秩序の葛藤の点で
興味深いものがあった。
しかし、この映画ではその部分が
軽く処理されてしまい
平板な作品になってしまっていた印象だ。
原作で語られるセシルの
たくさんの繊細な心理描写を映像処理する
ことは確かに難解ではあったろうが、
彼女の細やかな思索が要約されてしまった
のは無論のこと、
逆に原作では読者には伏せられていた、
アンヌが聴くレイモンとエルザの会話内容を
あからさまに台詞として表現する等、
安易な演出は
原作の深みを台無しにしてしまった印象だ。
オットー・プレミンジャー監督作品として
「栄光への脱出」や
「バニーレイクは行方不明」を観たが、
この作品も含め、彼には
あたかも4作品の若い主人公達のような
何か独りよがりの要素を感じ、
私としては、その演出力に賛同しかねる監督
の一人ではある。
登場する女性がみな驚異的に美しい。きっと白黒映像のなせるわざなんだ...
セシルカット
原作が好きすぎて
幼い残酷さのもたらす虚無感
総合:70点 ( ストーリー:75点|キャスト:70点|演出:60点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )
退廃的生活にすっかり浸った自由奔放な少女が、その他人を思いやれない幼い残酷さをいかんなく発揮して周囲の人々を傷つけ壊していく。そんな自分の行動が自分自身にも返ってきて、何をしても幸せを感じられない虚無感にさいなまれる。でもこれだけのことをしでかしても、彼女は結局満たされない自分自身のことばかりを可哀想と思っているのだ。死んでしまったアンヌのことに罪悪感を感じるのではなく、彼女の死後の満たされない自分のことを哀れんで一年前を振り返り、そしてまず自分を哀れんでの「悲しみよこんにちは」なのだ。だからそんな自分の心を少しでも紛らわすため、今日も派手なだけの無駄な時間を無為に過ごす。退廃が作品全体の雰囲気を満たすという意味で、『太陽の季節』や『甘い生活』を思い出させる。
なんと幼く自分勝手で不道徳で堕落した少女だろうか。普通ならばただ単にこんな我侭な馬鹿女は嫌い、少しは罰を受けるべき、で終わるところである。だがここではそれ以上のものがある。それは自分の馬鹿さ加減に気がつくこともなく、自分の感じたまま思うがままにその日を生き、自分では制御できない感情が生まれて何の防御を施すことなくそれが傷つけられる様子を綴っている姿に、文学的な繊細さを感じるからである。元々の原作がわずか18歳のサガンが書いた文学作品なのだから当然といえば当然だが、恐らくは映画と同年代のサガン本人の感じていることが生々しく描写されていることにちょっとした衝撃を受ける。こんなやつが本当に身近にいたら迷惑だが、それが豊かな才能で表現された文学作品となればまた別である。
父娘が話していて声が聞こえているはずのすぐ横でフィリップとエルザが寝ているとか、アンヌが林の中を歩けば父親のエルザへの囁きがはっきりと聞こえるとか、アンヌの車が水没しているのに煙が遠くから見えるとか、作品の演技や演出にはわざとらしさがあったりして必ずしも質が高いとは思わない。でもセシルを演じたジーン・セバークの小悪魔的な美貌が魅力的だった。
タイトルなし(ネタバレ)
映像的にはきれいだったのですが
内容は…?
はじめは極度のファザコン映画なのかと思ってしまった。
主人公が父の遊び相手に若い女ならOKで年上の女性はダメ!っていうのも
若い女=自分と同一視できるから?と想像してしまったけど
このへんは原作読んだら細かいニュアンスわかるんでしょうか…?
まず今後読むことはないと思うけど
最後主人公が涙を流すシーンも、
ほんとうに悲しくて後悔して泣いているの?と疑いたくなるレベル
自分に酔ってるだけに見えてしまうのはなんでだろう
ポエミーなひとりがたり?がはいっていたからかも?
もし無言で涙を流していたらちょっと同情していたかもしれないんですがね…
この父にしてこの娘ありって感じでしょうか
そもそもあんな父親のもとで思春期過ごすのはかなりかわいそう
こんにちはって言ってるけど、そもそも元からかわいそうな主人公でした
追い出された女に同情は出来ないのだが
フランソワーズ・サガンの小説をもとにした映画。
ショートカットのジーン・セバーグが可愛いが、ゴダールの映画に出てくるセバーグのほうが魅力的だ。ゴダールの映画に出てくる女で魅力的なのはセバーグだけだ。
主人公の父が夏のバカンス中に別荘へ遊びに来た中年女性と婚約をするのだが、この主人公の少女は婚約者を謀略で傷つけて追い出してしまう。しかし、それは後味の苦い結末を迎える。その後この父娘はこの思い出に触れることなく、心に虚無を抱えて生きていくというのが筋。
しかし、バカンス中の別荘に知り合いの女が来るなり父親と婚約して、早くも母親面をされる主人公の立場を思うと、追い出したい地気持ちはよく分かる。ちょいちょい若い女と遊んでいる男と知っていて婚約したのだから、この中年女も何らかの打算があったはず。
それなのに、悲しみあまり車に乗って飛び出していくのはあまりに自分のことを棚に上げ過ぎだと思う。
どうもこの女性には同情はできないし、主人公がこのことでことさらに傷つく必要も感じない。うーん、俺はババァに冷たい人間ではないはずなのだが、、、
セシルカットが見たくて・・・
実はちょっと前に、ロバート・ロッセン監督の『リリス』を見まして、そこでロングヘアーのジーン・セバーグの美しさにやられ(って呑気に言ってられるような映画じゃなかったわけですが)、それならやっぱりセシルカットのジーン・セバーグも観たい!ということで、観てみました。
ジーン・セバーグっていったら、やっぱりゴダールの『勝手にしやがれ』なわけで、私も昔にこの映画に胸を突き抜かれたわけですが、この『悲しみよ』では、そのジーン・セバーグのセシルカットの原点を確認というわけであります。
オットー・プレミンジャー監督作品を観るのは初めてだったのですが、控え目なのか、ロングショットが多くて、ジーン・セバーグに迫るような演出は少なかったです。なので、胸を撃ち抜かれるという感じではなかったですけど、でも、ピョンピョンと跳ね回るかのような若さはとってもよく感じられました。それで、そうした控え目な演出であるからこそ、ラストシーンが際立ってましたね。ラストだけは、目が釘づけになってしまいましたよ。
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